今回は岐阜県恵那市の長国寺(ちょうこくじ)について。
長国寺(長國寺)は恵那市街の旧大井宿に鎮座する曹洞宗の寺院です。山号は稲荷山。
創建は不明。寺伝によると飛鳥時代で、当初は長興寺という寺号だったとのこと。ほか、行基によって開かれたという伝承もあるようです。事実上の創建は1187年(文治三年)で、根津甚平是行によって栄慶が招かれ、現在の山号に改められました。室町後期は戦乱で荒廃しましたが、1596年(慶長元年)に體巌雲恕が中興し、現在の宗派と寺号に改められました。江戸中期に現在地へ移転し、伽藍が造営されました。
現在の境内伽藍は江戸中期以降に整備されたもので、本堂などの主要な伽藍は移転時のもののようです。また、境内は中山道・大井宿の東端にあり、近辺には江戸時代のおもかげを残す町割が残されています。
現地情報
所在地 | 〒509-7201岐阜県恵那市大井町1246(地図) |
アクセス | 恵那駅から徒歩15分 恵那ICから車で10分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
山門
長国寺の境内は南向き。入口は、西側の県道に面した場所にあります。
入口の右側の石碑は「不許葷酒入山門」。写真中央奥の寺号標は「長国寺」。
入口の左側の石碑は「西行法師葬送之寺」。西行は河内国(大阪府)で亡くなったというのが定説ですが、当寺の近辺で亡くなったという伝説もあるようです。
参道の先には、山門が南面しています。
三間一戸、楼門、入母屋、正面軒唐破風付、桟瓦葺。
下層。
正面は柱間が1つですが、内部には4本の柱が立てられ、3間のうち1間が通路となっています。
白い垂れ幕には、丸に月の字の紋が入っています。めずらしい寺紋だと思います。
下層内部には格天井が張られています。
内部の通路上には虹梁がわたされ、中備えに竜の彫刻が置かれています。
内部向かって左側の柱間。
羽目板には、牡丹と唐獅子の彫刻が入っています。
上層。扁額は山号「稲荷山」。
正面の軒先には唐破風があります。兎毛通は鶴の彫刻。
軒裏は平行の二軒繁垂木。
柱間は正面3間。中央は桟唐戸、左右は火灯窓です。
柱は上層下層ともに円柱が使われ、上端が絞られています。
上層の柱間は貫や長押で固定され、柱上には台輪が通っています。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。
柱上の組物は出組。中備えはありません。
背面全体図。
こちらには軒唐破風がなく、上層は3間とも横板壁です。
背面と左側面(西面)。
側面も、柱間は横板壁です。
破風板の拝みには鰭付きの懸魚が下がり、破風には木連格子が張られています。
本堂など
山門の先には本堂が鎮座しています。
本堂は、寄棟、桟瓦葺。
本堂と開山堂は元禄年間(1688~1704)の建立のようです。
本堂向かって左には開山堂。
開山堂は、入母屋(妻入)、向拝1間、桟瓦葺。
軒下で本堂とつながっています。
開山堂の向拝には彫刻があります。
向拝柱の正面は唐獅子、側面は象。虹梁中備えには竜。
開山堂の向かいには鐘楼。
入母屋、桟瓦葺。
柱は上端が絞られた円柱で、頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。
柱上の組物は出組。中備えにも組物が配されています。
長国寺を出て旧中山道を南西方向へ進むと、大井宿があります。
こちらは本陣で、現在も一般の民家として使われているため見学等はできません。すぐ近くには、明治天皇の宿泊した行在所や商家の資料館があり、こちらは内部を見学することができます。
上の写真は、手前が中山道の京都方面、左が江戸方面。右奥は長国寺の正面に出る道ですが、中山道ではありません。
周辺の町並みはほとんどが現代の建物となっていて、往時の雰囲気はあまり残されていませんが、町割りや道路の曲がりかたは宿場町の創設時から変わっていないようです。
以上、長国寺でした。
(訪問日2024/03/30)