今回も京都府京都市の西本願寺について。
当記事では阿弥陀堂などについて述べます。
御影堂周辺の伽藍
御影堂の南側、境内南東端には、飛雲閣(ひうんかく)という3階建ての建築があります。ふだんは非公開で、年に何度か公開日があり、外観を間近で見られるとのこと。
造営年不明。桃山時代の建築とされ、国宝に指定されています。
建築の年代や経緯については諸説あるようですが、住宅建築としては古い部類であり、独特な外観で細部意匠も凝っていることから、高い価値があるようです。
御影堂門と阿弥陀堂門のあいだには茶所(休憩所)があり、飛雲閣の模型が展示されていました。
ほか、茶所には国重文の梵鐘が展示されています。
12世紀、平安時代の鋳造で、もとは広隆寺に奉納されたもののようです。その後、1547年に広隆寺から石山本願寺に売却され、当寺の所有となったとのこと。
茶所の近くには、手水所(ちょうずしょ)があります。
桁行2間・梁間1間、入母屋、本瓦葺。
1758年(文化七年)造営。「本願寺」7棟として国指定重要文化財。
柱は几帳面取り角柱。柱上は舟肘木。
虹梁には木鼻が付き、中備えは蟇股。
東面。こちらも虹梁中備えは蟇股。
妻面には木連格子が張られ、破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。
阿弥陀堂門
御影堂門からいったん境内を出て数十メートルほど北へ向かうと、国道(堀川通)沿いに阿弥陀堂門が東面しています。
一間一戸、四脚門、切妻、正面背面軒唐破風付、檜皮葺。
1802年(享和二年)造営。「本願寺」7棟として国指定重要文化財。
正面の唐破風部分の軒下。
唐破風の兎毛通には、菊の花の彫刻。
奥の梁と茨垂木のあいだの壁面には、大瓶束が立てられ、その左右に唐草らしき彫刻があります。
正面の柱間には虹梁がわたされています。虹梁の上には台輪が通り、中備えは組物が並んでいます。
向かって左手前の控柱。
控柱は上端が絞られた几帳面取り角柱。
外側の側面(写真左)には大小の木鼻がつき、内側(右)は繰型のついた腕木で虹梁を持ち送りしています。
柱上の組物は出組。
通路部分向かって右側。写真右が正面方向です。
主柱は円柱。主柱と控柱は貫と長押でつながれ、腰貫と頭貫とのあいだの欄間には菊の花の彫刻が入っています。
門扉は桟唐戸。こちらも菊の彫刻があります。
通路上には冠木がわたされ、その下に菊や唐草の彫刻が入っています。
冠木の上の中備えは、蟇股や組物が使われています。
背面全体図。
こちらにも軒唐破風がついていて、前後対称の構造です。
左側面(南面)の妻面。
側面には冠木が突き出し、出組で妻虹梁が持ち出しされています。妻飾りは二重虹梁で、組物や大瓶束が使われていますが、金網がかかっていてよく見えず。
破風板の拝みと桁隠しには、鰭付きの三花懸魚。
阿弥陀堂
阿弥陀堂門の先には、当寺の本堂に相当する阿弥陀堂(あみだどう)が鎮座しています。本尊は阿弥陀如来。
入母屋、向拝3間、本瓦葺。桁行45.2m、梁間42.1m、棟高25m。
1760年(宝暦十年)再建。国宝*1。
向拝は3間。
虹梁の中備えは蟇股が使われています。
向拝柱は几帳面取り角柱。上端が絞られています。側面には象の木鼻。
虹梁は、錫杖彫のような形状の枠の中に、渦状の若葉の意匠が彫られています。
隅の柱の組物は、皿付きの連三斗。
向拝を左側面(南側)から見た図。
向拝の組物や蟇股の上は、手挟があります。
縋破風の桁隠しには懸魚。
その1にて述べた御影堂と同様に、この阿弥陀堂も縁側の外周に支柱が立てられ、軒先を支えています。また、母屋の前面と側面の1間通りが吹き放ちの庇になっている点も御影堂と同様です。
母屋の前面。
柱間はいずれも桟唐戸です。
母屋側面。
こちらは板戸と桟唐戸が使われています。
庇の左手前(南東)の隅の柱。
几帳面取り角柱がつかわれ、縁側の外周の柱とのあいだに海老虹梁がわたされています。
母屋の左手前の柱。
母屋柱は円柱で、上端が絞られた粽柱です。軸部は長押と頭貫で固定されています。
母屋柱と庇の柱とのあいだも、海老虹梁がわたされています。
柱上の組物は尾垂木三手先。
左側面(南面)。
こちらには、御影堂とつながる渡廊下が設けられています。
入母屋破風。
妻飾りは二重虹梁。蟇股や大瓶束が使われ、妻壁は彫刻で埋め尽くされています。
破風板の拝みと桁隠しは鰭付きの三花懸魚。
御影堂(写真左端)と阿弥陀堂をつなぐ渡廊下は、阿弥陀堂の附(つけたり)として国宝になっています。
桁行8間・梁間1間、向唐破風、本瓦葺。
渡廊下の柱は面取り角柱。
頭貫には木鼻が付き、中備えは蟇股。
柱上の組物は、大斗と花肘木のような意匠を組んだもの。
阿弥陀堂側の妻面。
妻虹梁の上の妻飾りは、笈形付き大瓶束。
破風板には猪目懸魚が下がっています。
阿弥陀堂などについては以上。
*1:附:渡廊下、喚鐘廊下