今回は埼玉県狭山市の慈眼寺(じげんじ)について。
慈眼寺は狭山駅西側の住宅地に鎮座する曹洞宗の寺院です。山号は妙智山。
『新編武蔵風土記稿』(江戸後期の編纂)によると1428年の草創で、同市の徳林寺を開いた一樹存松によって大永年間(1521-1528)に創建されたとのこと。その後、江戸初期に幕府から「阿彌陀堂」の名目で寺領を与えられました。
現在の境内伽藍は近現代のものと思われます。本尊は釈迦如来のようですが、当初の本尊は阿弥陀如来だったらしく、その阿弥陀如来像が市の文化財に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒350-1305埼玉県狭山市入間川1-9-37(地図) |
アクセス | 狭山市駅から徒歩10分 狭山日高ICから車で15分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 境内は随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
山門
慈眼寺の境内は南東向き。境内南側は公園のような区画になっており、北側の区画に伽藍が点在しています。
山門は、薬医門、切妻、桟瓦葺。
山門の左右には仁王像が立ち、右手には六地蔵。
向かって右の主柱。
柱は角柱が使われ、主柱の側面には見返り唐獅子の木鼻があります。
主柱の上には冠木が通り、冠木の端部は唐獅子の頭上を通って側面に突き出ています。
主柱のあいだには虹梁がわたされています。虹梁には波の絵様。
虹梁の上の材は冠木で、その上の欄間にも彫刻があります。彫刻は、左が竜、右が琴を弾く女性が題材。
向かって左の側面を内から見た図。
主柱と控柱(写真右)は無地の梁でつながれています。梁の上には蟇股がありますが、こちらは内側のため彫刻の題材はこちら側からはわかりません。
通路上には鏡天井が張られています。
左側面を外から見た図。梁の上の中備えは鶴です。
控柱から後方(写真左)に腕木を突き出し、組物を介して軒桁を受けています。薬医門は前方にこのような腕木を突き出すことが多いですが、後方に突き出しているのは風変わりだと思います。
組物の上には妻虹梁がかかり、妻飾りは笈形付き大瓶束。
軒裏は二軒繁垂木。破風板の拝みには懸魚が下がっています。
背面の控柱のあいだにも虹梁がわたされています。中備えの彫刻は戯れる唐獅子。
本堂周辺
山門をくぐると、右手に手水舎があります。
切妻、本瓦葺。
柱は面取り角柱。面取りの幅はやや大きく取られています。
頭貫にはΣ字型の木鼻がつき、柱と頭貫との接続部に持ち送り材が添えられています。
柱上の組物は大斗と舟肘木を組んだもの。
手水舎の向かいには鐘楼。内部に梵鐘が吊るされています。
宝形、本瓦葺。
柱は上端が絞られた円柱で、頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。
柱上の組物は出組。台輪の上の中備えにも組物があり、詰組となっています。
軒裏は平行の二軒繁垂木。
本堂の手前には回向柱(写真左)と香炉。
香炉の屋根は宝形、本瓦葺。
香炉の屋根の下には石造の地蔵菩薩像があります。黒こげ地蔵、あるいはイボとり地蔵と呼ばれているようです。
案内板によると1702年の造立とのこと。
当寺は旧街道の宿場町に鎮座しており、旅人の供える線香やろうそくが絶えなかったため、煙を浴びつづけた地蔵が煤で黒くなってしまったことがあり、「黒こげ地蔵」の別名がついたらしいです。往時の隆盛を偲ばせるエピソードです。
本堂と阿弥陀堂
境内の中心部には本堂が鎮座しています。
入母屋、向拝1間、桟瓦葺。
向拝は1間。向拝柱は角柱が使われ、軒桁を直接受けています。
向拝柱には無地の梁がわたされ、その上には欄間彫刻が入っています。彫刻の題材は竜。おそらく当初は彩色されていたと思われますが、退色してしまっています。
母屋部分は軒下に庇がまわされています。
母屋柱は角柱で、柱上は実肘木で軒桁を受けています。柱間の窓の枠は、火灯状の曲線になっています。
左側面の破風。
懸魚や妻飾りはありません。妻面の拝みに逆卍が彫られています。
本堂向かって左側には、阿弥陀堂と思われる堂が東面しています。扁額には「無量壽閣」と書かれていました(無量寿仏は阿弥陀如来の別称)。
入母屋(妻入)、本瓦葺。
柱はいずれも円柱で、頭貫に木鼻がついています。柱上の組物は出三斗と平三斗。
柱間の建具の上には長押が打たれ、扁額が掲げられています。扁額の裏の欄間は菱組みの吹き寄せ格子。
右側面および背面。通用口が設けられています。
中備えなどの目立った意匠はありません。
正面の入母屋破風。
大棟には鬼瓦。丸瓦には五三の桐の紋があります。
破風板の飾り金具の拝み部分にも桐の紋があり、その下には蕪懸魚が下がっています。
妻飾りは笈形付き大瓶束。笈形や結綿は若葉をアレンジしたと思われる意匠です。
以上、慈眼寺でした。
(訪問日2024/05/31)