甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【足利市】鑁阿寺 前編(山門、鐘楼、本堂)

今回は栃木県足利市の鑁阿寺(ばんなじ)について。

 

鑁阿寺は足利市街の中心部に鎮座する真言宗大日派の本山です。山号は金剛山。

前身となった足利氏宅は、平安末期に足利氏の祖である源義康によって造られました。寺院としての創建は鎌倉初期で、当地を治めた御家人の足利義兼が、1196年(建久七年)に自邸の足利氏宅に大日如来を祀る堂を造ったのがはじまりです。1234年(文暦元年)に義兼の子の足利義氏が伽藍を造営し、父の戒名から寺号を鑁阿寺としました。

鎌倉後期に伽藍を焼失しましたが、足利貞氏(尊氏の父)によって1299年に現在の本堂が再建されました。室町初期には鎌倉公方の足利満兼によって経蔵が再建され、室町後期には13代将軍・足利義輝によって山門が再建されました。江戸時代は幕府の庇護を受け、桂昌院(徳川綱吉の母)によって多宝塔が再建されました。当初は真言宗豊山派の寺院でしたが、戦後に独立して大日派の本山となっています。

 

現在の境内伽藍は、平安時代から江戸時代にかけての非常に古いものです。前身となった足利氏宅は平安時代の武家屋敷のおもかげを残し、国指定史跡と日本100名城となっています。本堂は鎌倉後期の折衷様建築で国宝、同時代の鐘楼は重要文化財に指定されています。ほか、山門や多宝塔など多数の伽藍が県の文化財に指定されています。

 

当記事ではアクセス情報および山門、鐘楼、本堂などについて述べます。

多宝塔、経堂、御霊屋などの伽藍については後編をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒326-0803栃木県足利市家富町2220(地図)
アクセス 足利駅から徒歩10分
足利ICから車で10分
駐車場 30台(無料)
営業時間 09:00-17:00
入場料 無料
寺務所 あり
公式サイト 国宝 鑁阿寺
所要時間 40分程度

 

境内

太鼓橋(反橋)

鑁阿寺の境内は南向き。境内の出入口は東西南北の計4か所にあり、太鼓橋と山門のある南側は住宅地の生活道路に面しています。

境内は四囲を水堀に囲われ、堀の内側には土塁のような地形があります。これは当寺の前身である「足利氏宅跡」の遺構で、平安末期の武家屋敷のおもかげをよく残しているとのこと。境内全体が国指定史跡となっています。

 

太鼓橋は、梁間1間・桁行3間、向唐破風造、本瓦葺。

江戸後期の造営。県指定有形文化財。

 

正面の唐破風。

兎毛通は鳳凰の彫刻。

 

正面向かって右の柱。

柱は角柱。柱上に組物はありませんが、虹梁との接続部(写真左)に挿肘木の斗栱がついています。

虹梁の位置には唐獅子の木鼻があります。

 

正面の柱間には虹梁がわたされ、中備えは蟇股。

唐破風の妻壁にも虹梁がわたされ、大きな蟇股で棟木を受けています。

 

内部は格天井。

側面の柱間には、擬宝珠付きの欄干がついています。

 

背面。

構造は正面と同じですが、こちらは兎毛通に麒麟が彫られています。

 

山門(仁王門)

太鼓橋の先には山門。

三間一戸、楼門、入母屋造、本瓦葺。

足利義輝(室町幕府第13代将軍)によって1564年(永禄七年)に再建されたもの。県指定有形文化財。

 

下層。

正面は3間で、中央の1間が通路となっています。

 

中央の柱間。

柱は上端が絞られた円柱(粽柱)。柱間は貫と長押でつながれ、柱上に台輪が通っています。

 

向かって左。

隅の柱は、台輪と頭貫の位置に禅宗様木鼻がついています。

柱上の組物は三手先。柱間にも組物が配され、禅宗様の詰組となっています。

 

右側面(東面)。

側面は2間で、前方の1間には縦板壁が張られています。

柱の基部は、礎石と礎盤を重ねたものの上に据えられています。

 

上層。扁額は山号「金剛山」。

柱間は正面3間で、桟唐戸と火灯窓が使われているのが見えます。

 

上層も粽柱が使われ、頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。

柱上の組物は出組。柱間にも詰組があり、通肘木で軒桁を受けています。

 

上層右側面。

側面は2間とも縦板壁。

縁側の欄干は親柱に逆蓮がついています。

 

入母屋破風。破風板には蕪懸魚が3つ下がっています。

奥まって見づらいですが、妻飾りは虹梁と大瓶束。

大棟には鬼瓦がつき、箱棟の上には鯱(しゃちほこ)が乗っています。

 

背面全体図。

 

上層背面。

正面と同様に、中央は桟唐戸、左右は火灯窓となっています。

軒裏は平行の二軒繁垂木。

細部意匠は禅宗様が多く使われていますが、下層の長押や軒裏の平行垂木は和様の意匠で、この楼門は和様と禅宗様を折衷した建築といえます。

 

鐘楼

山門をくぐり、参道からはずれて境内南東の区画へ進むと、庭園の一画に鐘楼があります。

桁行3間・梁間2間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺。

鎌倉後期の造営国指定重要文化財

 

下層正面(東面)。

下層は縦板壁が張られた袴腰で、正面中央に板戸が設けられています。

 

下層背面。

袴腰の上は腰組。

腰組は三手先。中備えは撥束。

 

上層正面は3間。

粽柱が使われ、頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

柱上は出組。中備えや詰組はありません。

軒裏は平行の二軒繁垂木。

 

本堂

境内の中心部には本堂が鎮座しています。

 

桁行5間・梁間5間、入母屋造、正面向拝3間、軒唐破風付、背面向拝1間、本瓦葺。

1299年(正安元年)造営。当初は向拝のない堂だったようですが、1407年から1432年の改造ですべての柱が新調され、正面に向拝が設けられています。

国宝に指定されています。

 

各所の構造や意匠は和様と禅宗様が混在し、折衷様建築となっています。この鑁阿寺本堂は関東における折衷様建築の最古例と考えられ、関東の禅宗様建築の古例として知られる円覚寺舎利殿(神奈川県)と正福寺地蔵堂(東京都)よりも古いです。

 

向拝は3間。

軒下には彫刻が配されていて、これは江戸時代以降の後補かと思います。

 

向拝の軒唐破風。

兎毛通は怪鳥の彫刻。

 

正面中央の柱間。

虹梁は若葉の絵様が彫られ、中備えの彫刻は竜。

竜の彫刻の上にも虹梁がわたされ、しゃがんだポーズの力神が棟木を受けています。力神の左右には笈形が添えられています。

 

向かって右。

虹梁中備えは雲の彫刻。虹梁と向拝柱との接続部には、挿肘木の斗栱が添えられています。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。正面に唐獅子、側面に獏の木鼻がついています。

柱上の組物は連三斗。

 

向拝柱と母屋柱とのあいだには、海老虹梁がわたされています。海老虹梁の中央には大瓶束。大瓶束の上にも小さな海老虹梁があり、母屋の組物の上に取りついています。

向拝の組物の上には手挟があり、菊の籠彫りとなっています。

縋破風の桁隠しには鶴と思しき鳥の彫刻。

 

母屋は正面5間。

柱間は桟唐戸(禅宗様)と連子窓(和様)。

母屋の周囲は縁側、堂内は撮影できませんでしたが板張りで、構造は和様がベースとなっていることがわかります。

 

側面も5間。

柱間は縦板壁と桟唐戸。縦板壁も禅宗様の意匠です。

縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。

軒裏は平行の二軒繁垂木。

 

柱は上端が絞られた円柱。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

柱上の組物は尾垂木二手先。台輪の上の中備えに詰組があります。

 

入母屋破風。

拝みには三花懸魚が下がっています。

妻飾りは虹梁と大瓶束。大瓶束は禅宗様の意匠です。

 

背面。

こちらにも向拝が設けられています。

背面に向拝が設けられた堂は非常にめずらしい*1ですが、どのような目的で設けられたのかは不明。

 

向拝柱は大面取り角柱。上端が絞られています。面取りの幅が大きめで、古風な技法です。

虹梁(頭貫)は無地のものが使われ、上に台輪が通っています。虹梁と台輪には禅宗様木鼻。

柱上の組物は出三斗。

 

台輪の上の中備えは平三斗。

 

向拝と母屋とのあいだには虹梁がわたされています。向拝側は組物の上から出て、母屋側は頭貫のやや下に取りついています。

 

背面も柱間は5間。

中央に桟唐戸が設けられ、ほかの4間は縦板壁です。

 

本堂向かって左側(西)には不動堂が南面しています。

1592年の再建で市指定有形文化財ですが、訪問時は改修工事中でした。機会があれば再訪して追記したいです。

 

山門、鐘楼、本堂などについては以上。

後編では多宝塔、経堂、御霊屋などについて述べます。

*1:筆者の知る範囲では、本興寺本堂(静岡県湖西市)と知恩院御影堂(京都市)がある