甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【鹿嶋市】鹿島神宮 前編(楼門、本殿)

今回は茨城県鹿嶋市の鹿島神宮(かしま じんぐう)について。

 

鹿島神宮は市の中央部の丘陵上に鎮座する常陸国一宮です。

息栖神社(茨城県神栖市)、香取神宮(千葉県香取市)とならぶ東国3社のひとつ。

 

創建は、初代・神武天皇の時代とされます。古代の関東地方には香取海という内海が広がり、当社はその沿岸の拠点として、香取神宮とともにヤマト政権から重要視されていたようです。史料上では、奈良時代の『常陸国風土記』に当社の由緒や社殿造営について記載があり、遅くとも飛鳥時代には確立されています。

当社は飛鳥時代から平安時代にかけて、中臣氏(のちの藤原氏)から篤く崇敬されました。春日大社(奈良市)は藤原氏の氏神として、当社から勧請されたと考えられます。平安時代の『延喜式』に記載のある式内社で、伊勢神宮、香取神宮とともに、「神宮」の社号で記載されています。鎌倉以降は藤原氏の影響力が薄れますが、武神として歴代の幕府から崇敬されました。江戸初期には徳川家の寄進を受け、現在の社殿が造営されました。

境内は三笠山という丘陵地の広大な領域にあり、深い社叢に覆われています。境内は奈良時代の遺跡として国指定史跡、社叢は県指定天然記念物です。社殿は江戸前期のもので、楼門や本殿などの7棟が国指定重要文化財。本殿などの主要な社殿は権現造に似た形式となっています。ほか、境内には鹿苑があり、長大な参道の先には要石や御手洗池といった名所もあります。

 

当記事ではアクセス情報および楼門や本殿などについて述べます。

仮殿、奥宮などについては後編をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒314-0031茨城県鹿嶋市宮中2306-1(地図)
アクセス 鹿島神宮駅から徒歩10分
潮来ICから車で10分
駐車場 60台(300円)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 鹿島神宮 | 常陸国一之宮
所要時間 1時間程度

 

境内

鳥居と手水舎

鹿島神宮の境内は西南西向き。後述の社殿は北を向いています。

境内入口には石造の鹿嶋鳥居。笠木はまっすぐな円柱で両端が斜めに切り落とされ、その下の貫は柱の左右に突き出ているのが特徴。

なお、こちらの社頭に立っているのは二の鳥居で、一の鳥居はここから1.5キロメートルほど南西の霞ケ浦(北浦)沿岸にあります。

 

参道左手には手水舎。

切妻、銅板葺。

 

柱は円柱。柱上は大斗と舟肘木。舟肘木は凹字状に削られ、軒桁を受けています。

妻飾りには板蟇股。蟇股の端には青い波の意匠。

破風板の拝みには猪目懸魚。

 

楼門

参道を進むと楼門があります。

三間一戸、楼門、入母屋、銅板葺。

1634年(寛永十一年)造営。「鹿島神宮楼門」として単独で国指定重要文化財

水戸藩初代藩主の徳川頼房による造営。棟梁は越前の坂上吉正。筥崎宮(福岡市)、阿蘇神社(熊本県阿蘇市)とならぶ「日本三大楼門」のひとつらしいです。

 

下層。正面3間で、中央の1間は少し広く取られています。

訪問時は七五三と菊祭りの期間中でした。

 

中央の通路部分の柱上。

柱は円柱。飛貫と頭貫のあいだには細い菱組の欄間が張られています。

組物は二手先で、中備えは蓑束が2本立てられています。

 

向かって左の柱間。

左右の柱間は、中備えの間斗束が1本です。

頭貫木鼻は拳鼻。

 

下層の側面は横板壁。

楼門の左右には回廊が付いています。

 

上層。

扁額は「鹿島神宮」。香取神宮の楼門の扁額と同様に、東郷平八郎の揮毫とのこと。

柱間は、中央は桟唐戸、左右は連子窓。

軒裏は二軒繁垂木。

 

上層も円柱が使われています。軸部は長押と頭貫で固定され、頭貫には拳鼻。

柱上の組物は尾垂木三手先。中備えは蓑束。

縁側の欄干の親柱には、逆蓮がついています。これは禅宗様の意匠。

 

上層の側面。

軒桁の下には軒支輪。母屋と軒桁のあいだには、格子の小天井。

 

背面。

構造や意匠は、正面とほぼ同じでした。

 

門の左右には回廊。こちらは正面向かって右のもの。

屋根は入母屋と切妻を組み合わせた形状で、銅板葺。

楼門と同年の造営のようです。市指定有形文化財。

 

柱は円柱。頭貫には拳鼻。

柱上は出三斗。中備えは間斗束。

軒裏は二軒繁垂木。

 

向かって左の回廊。

こちらも市指定有形文化財。

 

拝殿、本殿など

楼門をくぐって参道を進むと、右手(南)に拝殿などの社殿があります。

拝殿や本殿などの主要な社殿は北向き。めずらしい方角を向いていますが、これは東北方面の蝦夷の平定を意識したものといわれます。

上の写真は拝殿。訪問時は改修工事中でした。

 

(※画像はWikipediaより引用 2013年撮影)

通常時の拝殿の外観。

桁行5間・梁間3間、入母屋、向拝1間、檜皮葺。

正面の軒先には後補の屋根が設けられています。拝殿の手前には石造明神鳥居。

 

拝殿の向拝の軒下。

向拝柱は角面取り。唐獅子の木鼻がありますが、工事用の足場や養生の影になってよく見えず。

母屋の正面には、彩色された蟇股が見えます。

 

母屋柱は角柱。柱上は出三斗。中備えは蟇股。

軒裏は二軒繁垂木。

 

社殿の全体図。

 

(※画像はWikipediaより引用 2014年撮影)

工事前の社殿の外観。左が幣殿、中央の低い棟が石の間、右が本殿。

権現造に似た構造ですが、幣殿と石の間が別棟となっています。幣殿から本殿にかけての棟が完全に一体化しているわけではないため、権現造とはいえないでしょう。

なお、幣殿は、桁行2間・梁間1間、切妻(妻入)、檜皮葺。石の間も同じ様式とのこと。本殿の様式については後述。

 

拝殿、幣殿、石の間、本殿の4棟はいずれも1619年(元和五年)造営。「鹿島神宮 4棟」として国指定重要文化財

徳川秀忠の命による造営で、幕府作事方の鈴木長次*1によって造られました。

 

本殿は、桁行3間・梁間3間、三間社流造、向拝1間、檜皮葺。

母屋は側面(梁間)3間あり、前方の1間を外陣(前室)としています。このような前室付きの流造は関西方面(とくに滋賀県)に多く、関東ではめずらしいです。

 

正面の軒先に付加された向拝。

母屋は正面(桁行)3間ですが、向拝はその中央の1間だけに設けられています。

縋破風の桁隠しには猪目懸魚。若葉状の鰭が付いています。

 

前室の部分の軒下。

前室の柱(写真左)は角柱で、柱上は連三斗。母屋の柱(右)は円柱で、柱上は出組。

前室の梁の上の壁面には、松が描かれています。

 

母屋は側面2間。

軸部は長押と頭貫で固定されています。頭貫には木鼻がなく、和様の造り。

組物のあいだの中備えには、花鳥の彫刻。

 

妻虹梁は少しむくりがつき、中央部がわずかに高くなっています。中央には三つ巴と五三の桐の紋。

妻飾りは豕扠首。豕扠首の中央の束には藤の紋。束の左右には波の彫刻。

 

破風板の飾り金具には、三つ巴の紋があります。拝みと桁隠しには猪目懸魚。

 

縁側は見えませんでしたが、背面側に脇障子があるのが確認できます。

軒裏は二軒繁垂木。垂木の小口は金具でカバーされています。

 

楼門、本殿などについては以上。

後編では仮殿、奥宮などについて述べます。

*1:貫先神社本殿(群馬県富岡市)、伊賀八幡宮六所神社(愛知県岡崎市)、鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)など多数の寺社建築を手がけた人物