今回は神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮(つるがおか はちまんぐう)について。
鶴岡八幡宮は鎌倉市街の北部に鎮座しています。別名は鎌倉八幡宮。
創建は1063年(康平六年)。河内源氏2代目の源頼義が、石清水八幡宮(壺井八幡宮とする説もある)から八幡神を勧請し、現在の鎌倉市材木座に祀ったのがはじまり。1180年(治承四年)に、源頼朝によって現在地に遷座されました。1219年(建保七年)には、3代将軍・源実朝が当社境内で暗殺されています。戦国時代には房総の里見氏により焼き払われ、後北条氏によって再建されています。江戸時代には幕府の庇護を受け、現在の主要な社殿が造営されました。しかし明治時代の廃仏毀釈で多宝塔などが破却されています。
現在の境内の主要な社殿は江戸初期の再建、境内社の丸山稲荷は室町時代の造営です。大規模な本宮(上宮)や、境内の南の路上にある大鳥居などが国重文となっています。ほか、段葛、源平池、大銀杏といった名所も著名です。
当記事ではアクセス情報および参道と源平池について述べます。
舞殿、若宮、本宮、丸山稲荷社については後編をご参照ください。
現地情報
所在地 | 〒248-8588神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31 (地図) |
アクセス | 鎌倉駅から徒歩10分 朝比奈ICから車で15分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 境内は随時。上宮周辺の開門時間は06:00-20:00(※時期により変動するため注意)。 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | 鶴岡八幡宮 |
所要時間 | 30分程度 |
境内
鳥居と参道
鶴岡八幡宮の境内は南西向き。
上の写真は境内の1kmほど南にある一の鳥居。鎌倉駅や横須賀線よりも南にあり、境内からも遠いため、たいていの人は三の鳥居から参拝することになると思います。
一の鳥居は、石造明神鳥居。
1668年(寛文八年)再建。「鶴岡八幡宮大鳥居(一の鳥居)」の名称で国指定重要文化財となっています。
向かって右の柱には「寛文八年戌申八月十五日」の銘。
柱に入っているひびは、関東大震災の被害を修復した跡。関東大震災では、一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居すべてが倒壊し、この一の鳥居だけはもとあったものを修復して立て直したようです。
一の鳥居の北の、下馬交差点。
近くの石碑によると、武士が鶴岡八幡宮を参拝するとき、このあたりで下馬して歩いたのが地名の由来とのこと。
二の鳥居は、赤い明神鳥居。
幹線道路(若宮大路)の中央分離帯の位置に、一段高い参道(壇葛)が通り、そこに鳥居と狛犬が立っています。
壇葛(だんかずら)は鎌倉時代の建立で、現在のものは平成期の修理によるもの。県指定史跡。
一の鳥居から徒歩十五分ほどで、三の鳥居のある社頭に到着します。周辺は観光客向けの店が密集し、このあたりにまで来ると人出が一気に多くなります。
三の鳥居は赤い明神鳥居。
三の鳥居を通って境内に入ると、参道中央に石造の太鼓橋があります。
創建当初は木造だったようです。現在の太鼓橋は関東大震災で崩壊したのち、1927年に再建されたもの。
参道の先には舞殿と楼門が見えます。
なお、太鼓橋は通行禁止で、橋の左右を迂回して進みます。
源平島と白旗神社
太鼓橋の右手(東)には源氏池。
池に浮かぶ島には旗挙弁財天社が鎮座しています。また、島内では八幡宮のシンボルである鳩が飼われています。
旗挙弁財天社本殿は、一間社隅木入り春日造、銅板葺。
案内板*1によると、明治の廃仏毀釈で破却されたのちに再興され、現在の社殿は1980年の再建とのこと。
祭神は弁財天。かつて祀られていた弁財天坐像は鎌倉時代の作で、国重文となっています。
向拝柱は角柱、柱上は連三斗。
虹梁中備えには蟇股が置かれ、彩色された雁(あるいは鴨)の彫刻が入っています。
軒裏は二軒繁垂木。
母屋(左奥)から斜めに隅木が伸び、入母屋のような軒まわりになっています。
縋破風の桁隠しには猪目懸魚。
母屋の正面は板戸。側面は横板壁。
3面にまわされた縁側には跳高欄。階段には欄干がありません。
母屋柱は円柱、柱上は出三斗。
中備えの蟇股は、向拝のものと同様に彩色された彫刻が入っていて、安土桃山風の趣。
背面。こちらは中備えの蟇股がありません。
妻飾りは大瓶束。
破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。
旗挙弁財天社本殿のうしろには、「政子石」なる石があります。
どのような由緒があるのかは不明。
参道に戻って源氏池の反対側、太鼓橋の左手(西)へ行くと、平家池。
こちらの島はとくに何もなく、桜や松の木が植えられているだけで、源氏池とくらべておざなりな感の否めない造り。鶴岡八幡宮は源氏を顕彰する神社なので、宿敵の名を冠した平家池が、源氏池よりも簡素に造られるのは当然といえば当然でしょう。
平家池には島が4(死)あるのに対し、源氏池には島が3(産)あって縁起が良いらしいですが、訪問時は池が蓮の葉に覆われていて、島を数えることができませんでした。
手水舎
太鼓橋の脇を通って参道を進むと、左手に手水舎があります。
切妻、銅瓦葺。造営年不明。
四隅の主柱に各2本の控柱が添えられ、つごう12本の柱が使われた構造。
主柱、控柱ともに面取り角柱で、上端が絞られています。主柱の上端には飾り金具がつき、頭貫と台輪には禅宗様木鼻。
控柱の内側(写真右)には、小さい木鼻がついています。
台輪の上の中備えは蟇股。彫刻の題材は芒(ススキ)に雁。
妻飾りは二重虹梁。
大虹梁の上の大瓶束は、内側に腕木を伸ばして上の梁を受けています。そして大瓶束の外側には渦状の繰型が彫られた木鼻がついています。
このような造りの二重虹梁は初めて見ました。個性的でおもしろい造りです。
なお、手水舎の軒下にある手水は接触感染の予防のため使用禁止で、となりにこのような手水が設けられていました。
参道と源平島については以上。
*1:設置者不明。氏子による奉納。