甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【岡崎市】伊賀八幡宮

今回は愛知県岡崎市の伊賀八幡宮(いが はちまんぐう)について。

 

伊賀八幡宮は岡崎の市街地に鎮座しています。

創建は1470年で、松平親忠が氏神として八幡神を祀ったのがはじまり。その後、将軍となった徳川家康が社殿を改修しています。現在の社殿は徳川家光による改修・増築によるもので、国重文の随神門や権現造の社殿を見ることができます。

 

現地情報

所在地 〒444-0075愛知県岡崎市伊賀町東郷中86(地図)
アクセス 北岡崎駅から徒歩10分
岡崎ICから車で15分
駐車場 10台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 伊賀八幡宮
所要時間 20分程度

 

境内

参道

伊賀八幡宮鳥居

伊賀八幡宮の境内は南向き。道路の脇から参道が伸びています。

一の鳥居は赤い明神鳥居。扁額は「八幡宮」。

 

伊賀八幡宮参道

伊賀八幡宮鳥居

一の鳥居をくぐって参道を進むと赤い欄干のついた橋があり、その先には二の鳥居と蓮池があります。

二の鳥居は石造の明神鳥居。扁額はなく額束になっています。国重文

 

伊賀八幡宮蓮池

蓮池に架かった神橋(左手前)と随神門(中央奥)。

神橋は渡れず、池を迂回して進むことになります。

 

伊賀八幡宮神橋

神橋は1636年ごろのもので、幕府作事方の鈴木長次によって造られたものとのこと。こちらも国重文

よく見ると橋の下には虹梁、蟇股、大瓶束らしきものが、欄干には笈形のついた蓑束があり、木造の寺社建築の意匠が取り入れられていることがわかります。

 

随神門

伊賀八幡宮随神門

随神門は三間一戸、楼門、入母屋、正面背面軒唐破風付、檜皮葺。

1636年(寛永十三年)の造営国重文

 

随神門下層

随神門下層

下層。柱はいずれも円柱。頭貫の木鼻は拳鼻。

柱上の組物は三手先。組物のあいだに配置された蟇股には竜、虎、鹿などが彫刻されており、鮮やかに彩色されています。

 

随神門上層

上層。軒唐破風がついています。扁額は「八幡宮」。

頭貫の木鼻は下層と同じ拳鼻ですが、上層では頭貫のすぐ下に長押が打たれています。

柱上の組物は、和様の尾垂木が出た四手先。組物のあいだの蟇股は、内部に彫刻のない古風なもの。

軒裏は二軒の吹寄せ垂木。

 

随神門隅木

斜め方向に突き出た尾垂木には力神が座り、軒裏の隅木を支えています。

 

随神門側面

右側面(東面)。

入母屋破風の内部には虹梁と蟇股が確認できます。

大棟の鬼板には徳川家の三葉葵。

 

随神門背面

背面。こちら側も屋根に軒唐破風がつけられていて、前後対称な造り。

上層は組物が四手先にもなっているため、頭でっかちになるのを避けるためなのか母屋が低くてつぶれたようなバランスになっています。

 

手水舎と境内社

伊賀八幡宮手水舎

随神門をくぐると参道の右手には手水舎。写真左は拝所。

 

伊賀八幡宮手水舎

手水舎は銅板葺の切妻。

あまり古いものには見えませんが、蟇股や笈形付き大瓶束の造形が良く、なかなか凝っています。

 

伊賀八幡宮境内社

拝所の右手には上総社。一間社流造、檜皮葺。西向き。

おそらく1636年の造営。簡素ですが神社本殿として古風かつ手堅い造りをしていると思います。

 

伊賀八幡宮境内社

拝所の左手には牟久津社。一間社流造、檜皮葺。東向き。

上総社とまったくと言っていいほど同じ造りで、上総社と向き合うように建っています。1636年の造営で市指定文化財。

 

伊賀八幡宮御供所

牟久津社の奥には御供所。こちらは国重文。

桁行5間・梁間2間、入母屋、檜皮葺。柱はいずれも角柱。

頭貫の上には彩色された蟇股があり、入母屋破風には金具のついたきらびやかな破風板や妻壁が見えるのですが、柵があってこれ以上近づけないのが残念。

 

拝殿・幣殿・本殿

伊賀八幡宮拝殿

伊賀八幡宮の拝殿は、桁行5間・梁間3間、入母屋、正面軒唐破風付、向拝1間、檜皮葺。

1636年の造営。徳川家光の命により後述の本殿に増築したものとのこと。棟梁は遠州大工の鈴木近江守長次。国重文

屋根は四隅の軒先が軽く反った形状ですが、それに対して千鳥破風はむくりがついて少し角ばった形状をしている点が好対照。おもしろい千鳥破風だと思います。

 

拝殿向拝

拝殿も柵があるため間近で見ることはできません。写真はズームで撮影した向拝。

石灯篭の影になってしまいましたが、正面の虹梁は波に泳ぐ竜の姿が極彩色で描かれた派手なもの。虹梁の木鼻は白をベースとした彩色の唐獅子。虹梁の上の蟇股は何か彫刻がありますが、この距離では題材がわかりません。

柱上の組物は青と緑をベースに極彩色に塗り分けられ、こちらもまた派手なものとなっています。

 

伊賀八幡宮社殿

案内板によると社殿(拝殿・幣殿・本殿)は権現造とのことですが、正面から見ただけでは権現造かどうかわかりません。どうにかして幣殿と本殿を見られないかと思って伊賀八幡宮の敷地の周囲をまわってみたところ、近くの公園の敷地から塀越しに見ることができました。

写真左が拝殿、右が本殿で、両者をつなぐ屋根が幣殿。このように前後に並んだ拝殿と本殿を、幣殿で串刺しにして一体化した社殿のことを権現造(ごんげんづくり)といいます

 

なお、幣殿は両下造、檜皮葺。国重文。

右の本殿を囲う透塀は檜皮葺で、こちらも国重文です。

 

伊賀八幡宮本殿

本殿は桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間?、檜皮葺。

1611年(慶長十六年)の造営。徳川家康の命により造られたとのこと。国重文

祭神は誉田別命などの八幡神のほか、東照権現(徳川家康)も祀られているようです。

 

妻壁には蟇股、出組、二重虹梁、笈形付き大瓶束が確認でき、いずれも極彩色に塗装されています。壁面は黒く漆塗りされていて、側面に板戸が設けられているのがわかります。

伊賀八幡宮公式サイトによると“権現造りの本殿は入母屋造が普通ですが、伊賀八幡宮は流造りになっている珍しい建物”とのこと。とはいえ「本殿が流造になった権現造」というと同市の六所神社や、甲信の式内社だと玉諸神社(甲府市)や生島足島神社(上田市)など、意外に多くの例があります。

 

以上、伊賀八幡宮でした。

(訪問日2020/09/12)