今回は千葉県香取市の側高神社(そばたか-)について。
側高神社は市東部の丘陵上に鎮座する、香取神宮の摂社です。
創建は不明。社伝によると、創建は初代・神武天皇の時代で、香取神宮と同年に創られたとのこと。鎌倉時代には、香取神宮とともに社殿の造替があったようで、1243年(寛元元年)の造替の記録が残っているとのこと。江戸時代も、香取神宮と同様に1607年(慶長十二年)に社殿が再建され、1700年(元禄十三年)に社殿が改修されたようです。
現在の社殿は江戸時代のもので、本殿が県の文化財に指定されています。ほか、境内にある「四箇の甕」という窪みを用いた神事や、髭撫祭という独特な祭事が伝わっています。
現地情報
所在地 | 〒287-0013千葉県香取市大倉1(地図) |
アクセス | 香取駅から徒歩30分 香取佐原ICから車で10分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
拝殿
側高神社の境内は南向き。入口は丘陵の一画にあり、北側は鉄道、東側は高速道路が通っています。
左の社号表は「側高神社」。
参道を進むと鳥居と手水舎があります。
鳥居は石造の鹿島鳥居。神明鳥居のように笠木がまっすぐで、明神鳥居のように貫が左右に突き出ているのが、鹿島鳥居の特徴。
手水舎は、切妻、銅板葺。
参道の先には拝殿。真正面ではなく、拝殿向かって左手前から斜めにアプローチしています。
拝殿は、入母屋、向拝1間、銅板葺。
向拝柱は几帳面取り。正面には唐獅子、側面には獏の木鼻。
柱上の組物は連三斗。獏の頭に巻斗が乗り、組物を持ち送りしています。
虹梁は眉欠きだけが彫られた無地のもの。
中備えは竜の彫刻。やや退色していますが、きらびやかな極彩色です。
向拝の手挟は、板状のもの。細い線で渦状の意匠が彫られています。
海老虹梁は、向拝柱の虹梁の高さから出て、母屋の頭貫の位置に取り付いています。
母屋の扁額は「側高神社」。
母屋柱は面取り角柱。柱間は舞良戸で、戸の上には長押が打たれています。
頭貫には拳鼻。
組物は出三斗と平三斗。中備えは蟇股。
右側面(東面)。
側面は2間。前方は舞良戸、後方は横板壁。
縁側は切目縁が3面にまわされています。
軒裏は二軒繁垂木。
左側面と、左後方。
後方には、本殿へつづく小屋がついています。
本殿
拝殿の後方には本殿が鎮座しています。
一間社流造、銅板葺。
1665年(寛文五年)造営*1。県指定有形文化財。
慶長年間(1607年)にも再建の記録がありますが、現在の本殿は1665年のものであることが墨書や棟札から判っており、慶長年間の本殿の部材が一部転用されているとのこと*2。屋根は、現在は銅板葺ですが、当初はこけら葺だったようです。
祭神は古来より明かされていないらしく、諸説ありますが不詳。通称として側高大神と呼ばれているようです。
向拝の軒下。
向拝柱はふつうなら階段の下に立てるのですが、この本殿は階段の上の縁側に立っており、母屋柱とのあいだが非常に短いです。案内板では“向拝部は見世棚造の前面に浜縁と木階を組み合わせた構造”と解釈されており、“当地域では他に類例が無い建築物”だそうです。
向拝柱は角面取り。側面には唐獅子の木鼻。
組物は連三斗。唐獅子の上に巻斗を乗せ、持ち送りされています。
虹梁は彩色されていた跡があります。
中備えは蟇股。彫刻は、鮮明な写真が撮れなかったため題材不明。
母屋柱は円柱。側面は横板壁。
縁側は切目縁が3面にまわされ、欄干は跳高欄。背面側は脇障子を立てています。
妻面。
破風板の拝みには三花懸魚。桁隠しは蕪懸魚。
母屋の頭貫は、輪違の文様で彩色されています。
頭貫の上の中備えは蟇股。彫刻は鳳凰。
蟇股の左右の壁面には極彩色の雲。
妻飾りは大瓶束。束の左右にも極彩色の雲が描かれています。
背面。柱間は横板壁。
母屋柱は床下まで円柱に成形されていました。
右側面の海老虹梁。牡丹と思しき花が描かれています。
母屋の頭貫には木鼻が付いています。
最後に、拝殿手前の参道左手にある「四箇の甕(かめ)」。
この4つの穴はそれぞれ春夏秋冬に対応していて、穴にたまった雨水の量から、季節の降水量と作物の豊凶を占ったようです。案内板いわく、“先人の純朴な信仰が偲ばれ”ます。
以上、側高神社でした。
(訪問日2022/11/20)