今回も茨城県鹿嶋市の鹿島神宮について。
当記事では仮殿や奥宮などについて述べます。
仮殿
本殿のはす向かいには、仮殿(かりどの)が南面しています。
桁行3間・梁間2間、三間社入母屋、向拝1間、檜皮葺。
本殿などと同様に、1619年造営。「鹿島神宮仮殿」として国指定重要文化財。
本殿の造営や改修の際に、一時的に祭神を祀るための社殿だったようです。現在は境内にある摂社末社の分霊を祀っているとのこと*1。
向拝は1間。
ほとんどが素木で造られていますが、蟇股は彩色されています。
虹梁は無地の材が使われ、中備えは蟇股。
蟇股の彫刻は、松に亀。
向拝柱は角面取り。柱上の組物は連三斗。
柱の側面には斗栱が出て、皿斗を介して組物を持ち送りしています。
向拝の下。
角材の階段が5段設けられ、欄干の親柱は擬宝珠付き。
浜床はありません。
母屋の正面は3間。
正面の柱間は、黒漆塗りの板戸。
母屋柱は円柱。柱上は出三斗。
中備えの彫刻は、松に鶴などの花鳥が題材。
側面は2間。
縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は跳高欄。
側面および背面の柱間は、いずれも横板壁。
背面にも、中備えに蟇股が入っています。
軒裏は二軒繁垂木。
入母屋破風には飾り金具が付き、三つ巴の紋があしらわれています。破風板の拝みには猪目懸魚。
奥の妻壁は豕扠首。
宝庫と高房社
拝殿向かって左側面には、宝庫が西面しています。
桁行3間・梁間3間、切妻、左端に向拝1間、銅板葺。
向拝柱は面取り角柱。側面には木鼻。
柱上は大斗と舟肘木。
虹梁中備えには角柱の束が立てられています。
側面。
母屋柱は円柱。向拝と同様に、柱上は大斗と舟肘木。
柱間には緑色の連子窓。
妻飾りは豕扠首。破風板の拝みには猪目懸魚。
拝殿から奥宮のほうへ向かうと、参道左手に高房社が西面しています。
切妻、銅板葺。見世棚造。
柱は円柱。柱上は舟肘木。
破風板に鰭付きの懸魚があるほか、目立った意匠はありません。
奥参道
境内中心部(本殿周辺)から奥宮までは300メートルほどの距離があり、奥参道という道が東へ伸びています。
奥参道の左手(北)には鹿苑。当社の神使とされる鹿が飼われています。
春日大社(奈良市)は鹿島神宮の祭神を勧請して創られた神社のため、同様に鹿が神使となっています。案内板いわく、奈良の名物である鹿は、その起源を当社に求めることができるとのこと。
奥宮本殿
奥参道を突き当たりまで進むと、奥宮(おくのみや)本殿が北面しています。
桁行3間・梁間3間、三間社流造、向拝1間、檜皮葺。
1605年(慶長十年)造営。「鹿島神宮摂社奥宮本殿」として国指定重要文化財*2。
徳川家康の寄進による造営。この社殿は、当初は鹿島神宮本殿(本宮本殿)として使われていましたが、前編で述べた現在の本殿が1619年に造営され、それにともなって現在地に移築され摂社の奥宮本殿となりました。当社の境内でもっとも古い社殿です。なお、母屋の外陣と向拝は後世の改造とのこと。
奥宮本殿の周囲は塀で囲われ、手前には扉のついた鳥居が立っています。
鳥居は木造明神鳥居。鹿島鳥居ではありません。
向拝は1間。扁額は「奥宮」。
向拝柱は面取り角柱。柱上は連三斗。
柱の側面に斗栱が付き、皿斗を介して連三斗を持ち送りしています。
向拝の下には、角材の階段が7段。
階段の欄干の親柱は擬宝珠付き。
階段の下には浜床。
母屋の側面(梁間)は3間。
3間のうち、前方の1間通りは吹き放ちの外陣(前室)となっています。鹿島神宮本殿も同様の構造ですが、こちらの奥宮本殿は外陣の柱間に建具がありません。
母屋の外陣の柱は面取り角柱。
柱上は連三斗。側面には若葉の意匠の木鼻がつき、巻斗を介して連三斗を受けています。
組物のあいだの中備えは透かし蟇股。彫刻が入っていますが、欠損していて題材がよく分からず。
左側面(東面)。
外陣部分にはまっすぐな梁がわたされ、内陣の柱の頭貫の位置に取り付いています。
母屋の内陣部分の柱は円柱。
軸部は長押と頭貫で固定され、頭貫には拳鼻がついています。
柱上の組物は出三斗と平三斗。
柱間は、横板壁が張られています。
妻飾りは豕扠首。
破風板には猪目懸魚が下がっています。
破風板の拝みの部分には、三つ巴の紋と波状の彫刻がついています。
大棟は箱棟となっており、三つ巴や五三の桐などの紋が金色で描かれています。
背面は3間。
外陣部分は蟇股があったのに対し、内陣部分は目立った装飾がなく簡素です。
縁側は切目縁が4面にまわされていますが、外陣部分にはまわっていません。
欄干は跳高欄。脇障子はありません。
要石と御手洗池
境内の南東には要石という石があります。
入口には石造鹿島鳥居。
こちらが要石。写真中央の地面にある小さな石が要石とのこと。
伝承によると、地震を引き起こす大鯰をこの石が抑えているらしいです。また、徳川光圀の命で調査のため周囲を掘り返したが、どれだけ掘っても根元が見えなかったという逸話もあるようです。
要石の近くには芭蕉の句碑。「枯枝に 鶴のとまりけり 穐(あき)の暮」。
芭蕉のほかにも、小林一茶も当社を参詣し、要石を題材に俳句を詠んだとのこと。
境内の北東には御手洗池(みたらしいけ)。要石からは徒歩5分程度。
澄んだ池の中に鹿島鳥居が立てられています。
御手洗池の近くには、末社の大國社。
一間社流造、銅板葺。見世棚造。
その他の境内社
最後に、楼門や本殿の周辺にある摂社末社をまとめて紹介。
こちらは楼門の手前、手水舎の近くにある末社。
南向きで、入口には石造の鹿島鳥居。
鳥居の先の突き当たりは、摂社の坂戸社と沼尾社の遥拝所とのこと。
鳥居の先、遥拝所の周囲には4棟の末社があります。
こちらは熊野社(くまのやしろ)。
こちらは左が祝詞社(のりとのやしろ)、右が津東西社(つのとうざいのやしろ)。
3棟いずれも、一間社流造、板葺形銅板葺。見世棚造。
こちらは須賀社(すかのやしろ)。
一間社流造、銅板葺。
参道南側の駐車場の近くには、末社の稲荷社。
一間社流造、銅板葺。
虹梁中備えには、波に竜の彫刻。
妻飾りと拝み懸魚には、雲状の彫刻があります。
以上、鹿島神宮でした。
(訪問日2022/11/20)