今回は愛知県稲沢市の性海寺(しょうかいじ)について。
性海寺は市南部の住宅地に鎮座している真言宗の寺院です。山号は大塚山。
創建は寺伝によれば弘仁年間(810~824)で、空海が熱田神宮を参拝した折に開かれたとのこと。鎌倉期に中興され、勅願を受けて元寇の戦勝祈願を行ったようです。以降は北条市、足利氏、織田氏、徳川氏など時の権力者から庇護を受けたようです。
現在の境内周辺は大塚性海寺歴史公園として整備され、アジサイの名所となっています。寺の敷地内には国重文の多宝塔をはじめさまざまな堂宇が立ち並び、小規模ながら見どころの多い伽藍です。
現地情報
所在地 | 〒492-8214愛知県稲沢市大塚南1-33(地図) |
アクセス | 奥田駅または国府宮駅から徒歩30分 清洲西ICまたは一宮稲沢北から車で15分 |
駐車場 | 5台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
山門
性海寺の境内は東向き。幹線道路沿いの集落に面しています。
境内は出入口が複数あり、地元住人の散歩ルートになっているようで、かなりオープンな印象。自転車に乗った人や農具を持った人が境内を通行していたので、通路や近道として利用されている節もある模様。
入口の門は一間一戸、薬医門、切妻、桟瓦葺。
17世紀、江戸初期から中期の造営のようです*1。市指定文化財。
向かって右側の内部。
薬医門ですが男梁の前方(写真右)に円柱のつっかい棒が入り、四脚門と見まちがえそうな外観になっています。つっかい棒はほかの部材と材質がちがうため、後補と思われます。
主柱は円柱。女梁(肘木)は少し風変わりな繰型が彫られています。
向かって左側の外部。
後方(写真左)の控柱は角柱。薬医門のセオリーに則っています。
妻飾りは板蟇股。斗と肘木を介して棟木を受けています。
内部に天井はなく化粧屋根裏で、軒裏は二軒まばら垂木。
通路内部の蟇股。牡丹と思しき花が彫られています。
透かし彫りではありませんが具体的かつ立体的な造形で、江戸期らしい作風。
山門の左手には手水舎(左)と鐘楼(右奥)。
鐘楼は入母屋、桟瓦葺。
柱は角柱。禅宗様木鼻や詰組が使われ、中備えに板蟇股が配されています。
拝殿と多宝塔
山門の先には拝殿と多宝塔が一直線に並んでいます。塔婆に拝殿がある例は初めて見ました。
拝殿には「愛染明王」と札に書かれていますが、愛染明王像は多宝塔の中に安置されているようです。
拝殿は前方が切妻(妻入)、桟瓦葺。後方の低い屋根は切妻(妻入)、銅板葺。前方の1間が吹き放ちの土間になっています。
写真中央のびんずる像のとなりには底抜けのひしゃくが奉納されています。たいていは安産祈願なのですが、ここでは耳病平癒の利益があるとのこと。
拝殿の柱は角柱。几帳面取りされています。
虹梁および頭貫の木鼻は象鼻。頭貫木鼻(上)はふつうの象鼻ですが、虹梁木鼻(下)は雲の意匠が立体的に彫られ、かなり凝った造り。
正面の妻壁。
写真下端の虹梁には唐草が彫られ、中備えは雲の意匠の蟇股。
頭貫と台輪の上には、中備えとして平三斗と蟇股が配されています。
妻飾りは二重になっていて、大虹梁の上には蟇股と大瓶束、二重虹梁の上では蟇股が棟木を受けています。
蟇股が4段にわたって多用されていますが、段ごとに細部意匠がちがっていて、くどさが緩和されています。
拝殿の後方には多宝塔。
三間多宝塔、銅板葺。
詳細な年代は不明ですが、室町期の造営とのこと(稲沢市教育委員会の案内板より)。国指定重要文化財。
下層正面。
柱は大面取り角柱。柱間3間で、中央は板戸、左右の柱間は盲連子。
母屋の周囲には切目縁がまわされています。
頭貫木鼻はΣ形のもの。木口が黄色く塗り分けられています。色こそちがいますが、同市の萬徳寺多宝塔もこれに似た木鼻が使われていました。
頭貫の上下には長押が打たれています。
柱上の組物は出組。桁下には軒支輪。
中備えは中央のみ蟇股が使われています。正面側の蟇股は、はらわたが欠損してしまっている様子。
右側面(北面)の蟇股。はらわたの彫刻は白い牡丹。
全体の彩色や蟇股の彫刻から推測するに、この多宝塔は室町の後期の造営と思われます。
上層。亀腹の上に円形の母屋が建てられています。
組物は和様の尾垂木四手先。軒裏は二軒繁垂木。
三宮社
多宝塔の裏手には性海寺の鎮守である三宮社の拝殿と本殿があります。
こちらは拝殿で、切妻(妻入)、桟瓦葺。
柱は角柱、壁がなく吹き放ち。当地の拝殿でよく見られる形式。
本殿は一間社流造、檜皮葺。
1691年の造営*2。市指定文化財。
祭神はスサノオなど。明治期の神仏分離によって八剣社、天王社、春日社の3社が整理・合祀されたため三宮社と呼ばれるとのこと。
向拝柱は糸面取り角柱。
木鼻は象鼻。虹梁中備えは板蟇股。
江戸初期~中期にしては古風な印象。
向拝柱と母屋をつなぐ懸架材はありません。
母屋柱は円柱。扉は奥まった個所に設けられています。
縁側は切目縁が3面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。背面側には脇障子が建てられています。
頭貫木鼻は拳鼻。
柱上は出組。柱間に詰組が配置されています。
妻飾りはシンプルな虹梁と大瓶束。
破風板の拝みには蕪懸魚が下がっています。
背面側はとくに目立った意匠はありません。
母屋柱の床下は八角柱になっていました。
大棟の紋は五七の桐。
江戸期のものだからか破風板の曲線がゆるく、箕甲にあまり厚みがありません。
本堂
三宮社の右隣(北)には本堂が鎮座しています。
入母屋、向拝1間・軒唐破風付、こけら葺。
1648年(慶安元年)造営。堂内の須弥壇擬宝珠4個とともに国指定重要文化財。須弥壇には1281年(弘安四年)の墨書銘があるとのこと。
本尊は善光寺式阿弥陀三尊。
向拝柱は几帳面取り。上端は丸く面取りされています。
虹梁木鼻は拳鼻。組物は連三斗。
虹梁には唐草が彫られていますが、鰐口をつるす鎖を下げるために板で補強され、意匠が見えなくなってしまっています。
虹梁中備えははらわたのない蟇股。蟇股の上では大瓶束が唐破風の棟木を受けています。
向拝側面。
向拝柱の組物の上では、シンプルな笈形が軒裏を受けています。
向拝柱と母屋はゆるやかにカーブした海老虹梁でつながれています。
母屋正面。中央は2つ折れの桟唐戸が設けられています。
扉の上の中備えは蟇股。宝輪が彫られています。その上は大瓶束。
母屋正面、向かって左。
柱間は蔀戸で、蔀をつるす金具が軒裏から下がっています。
母屋柱は円柱で、上端が絞られています。柱の上部には頭貫と台輪が通り、禅宗様木鼻が設けられています。
柱上の組物は出三斗。中備えの蟇股は、独鈷の意匠が彫られていました。
軒裏は二軒の吹寄せ垂木。
左側面(南面)。
柱間は3間。正面側の1間は引き戸、背面側の2間は横板壁。
台輪の上の中備えは、蟇股ではなく間斗束。やや簡略化されています。
破風板の拝みには蕪懸魚。破風内部は虹梁大瓶束が使われていました。
以上、性海寺でした。
(訪問日2021/05/15)