甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【稲沢市】長光寺

今回は愛知県稲沢市の長光寺(ちょうこうじ)について。

 

長光寺は岐阜街道に面した住宅地に鎮座している臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は興化山。

創建は伝承によれば851年(仁寿元年)、小野篁が当地の街道沿いに地蔵を祀ったことが始まりとされます。以降、平安期には平頼盛、室町期には足利尊氏の寄進を受けて隆盛しました。戦国期には織田信長がこの寺の井戸で水を汲んだという伝説もあります。江戸期には尾張徳川家の庇護を受けたとのこと。

現在の境内は再建された楼門や本堂、そして室町期の地蔵堂(六角堂)が現存しています。地蔵堂は類例のきわめて少ない六角形の平面で造られており、その希少さと歴史的価値から国重文に指定されています。

 

現地情報

所在地 〒492-8172愛知県稲沢市六角堂東町3-2-8(地図)
アクセス 清洲駅から徒歩15分
清洲東ICから車で10分
駐車場 5台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 15分程度

 

境内

楼門(仁王門)

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長光寺の境内は東向き。寺号標は「臨済宗妙心寺派 興化山 長光寺」。

境内の前を通る道(1.5車線くらいの道幅)は旧街道のようです。写真左端に写り込んでいる石柱によると、向かって右が岐阜方面、左が京都方面とのこと。

 

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楼門は三間一戸、楼門、入母屋、本瓦葺。

案内板(稲沢市教育委員会)によると江戸期の造営とのこと。市指定文化財。

案内板には単に「楼門」と書かれていますが、下層には仁王像が安置されているため仁王門と呼んでもいいでしょう。

 

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下層。

柱は角柱。虹梁に唐草が彫られ、中備えに蟇股が配されています。

内部の仁王像は頭身が低く短足なプロポーションで、あまり筋肉質でない感じ。顔もコミカルな印象でした。

 

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内部通路。

内部の柱間(写真下)にも虹梁と蟇股が使われています。こちらのほうが凝った造形になっています。

天井は踏み天井で、上層の縁側や母屋の床板を兼ねているようです。

 

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柱上に組物は使われておらず、繰型のついた板で持ち送りしています。

側面は横板壁で、とくに目立つ意匠はありません。

 

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上層。

こちらも柱は角柱。上端が絞られています。

柱間はいずれも桟唐戸で、中央の柱間は2つ折れのものが立てつけられています。

台輪の上の中備えは、中央が蟇股、左右は蓑束。頭貫と台輪には禅宗様木鼻が設けられています。

 

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上層側面および背面全体図。

上層は側面・背面ともに横板壁。下層後方はとくに何もない空間となっています。

軒裏は一重まばら垂木。

 

地蔵堂(六角堂)

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仁王門の先には当寺の目玉である地蔵堂。別名は六角堂。

六角円堂、銅板葺。

露盤の銘より1510年(永正七年)造営(稲沢市教育委員会の案内板より)。国指定重要文化財

 

六角形の平面構成をした非常にめずらしい様式の仏堂。

八角形の堂だと法隆寺夢殿(奈良県斑鳩町)が著名ですが、六角形の堂で国宝・国重文クラスのものは私の知る範囲ではほかに例がありません。案内板いわく“六角堂は全国に残存するものが少なく、中世に遡る唯一の例として貴重”

ちなみに所在地は「稲沢市六角堂」。この堂が地名の由来と見てまちがいないでしょう。

 

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地蔵堂は中央部に六角形の内陣があり、その周囲は吹き放ちの外陣(庇)となっています。

正面は柱間が3間あり、中央の間がやや広く取られています。

柱上の組物は平三斗。中備えは中央にのみ間斗束が立てられています。

 

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外陣の柱は円柱で、上端が絞られて粽になっています。頭貫には拳鼻。

軒裏は二軒繁垂木で、放射状に延びた扇垂木になっています。垂木は木割が細く、重厚さと繊細さを兼ね備えた優美な軒裏だと思います。

なお外陣部分は江戸中期、軒より上は江戸後期の改変で、当初の形態は不明とのこと(文化財ナビ愛知より)。

 

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向かって左の面(辺)。

こちらは柱間2間。2間とも中備えに間斗束があります。

 

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背面の内陣部分。

内陣も円柱の粽が使われ、柱間は板戸や桟唐戸が使い分けられています。頭貫と台輪には禅宗様木鼻が設けられています。

柱上の組物は出三斗で、中備えにも組物が配されています。

内陣の外は天井が張られておらず化粧屋根裏で、軒裏が見えます。前述の軒裏も良かったですが、こちらはより一層繊細です。

 

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屋根と露盤。

屋根が六角形のため、露盤の台も六角形。頂部には火炎の意匠のついた宝珠。

案内板によるとこの露盤に永正七年の銘が鋳造されているようです。

 

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欄干や昇高欄の親柱には擬宝珠がついています。縁束は角柱。

階段は正面と右後方・左後方の3か所に設けられています。木材ではなく石材(大谷石?)を積んで造っているあたりから察するに、後補のように感じます。

 

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床下。

亀腹の上に礎石を置き、そこに柱を立てています。亀腹はもちろん六角形です。

柱の床下も観察したかったのですが、暗いうえに長押が打たれていてよく見えず。

 

本堂など

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地蔵堂の後方には本堂。

本堂は入母屋、桟瓦葺。扁額は山号「興化山」。

 

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本堂向かって左手には鐘楼。

切妻、桟瓦葺。

 

ほか、境内には織田信長が水を汲んで茶の湯に供したと伝わる井戸があり、「臥松水」という雅称がついているとのこと。

本堂の裏手にまわって探してみようかと思ったのですが、クレーン車が出入りして石塀の工事をしており、うろうろしていると邪魔になりそうだったためあえなく断念。

 

以上、長光寺でした。

(訪問日2021/05/15)