今回は滋賀県日野町の八千鉾神社(やちほこ-)について。
八千鉾神社は町西部の田園地帯に鎮座しています。
創建は不明。『近江蒲生郡志』によると当社は式内社の「大屋神社」に比定される式内論社で、幕末まで「鉢森大明神」と称していたとのこと。室町時代は蒲生氏、江戸時代は渡辺氏の崇敬を受けたようです。明治時代に現在の社名に改称し、村社となりました。
境内は鬱蒼とした社叢に覆われています。社殿は江戸中期のもののようで、本殿は白木の彫刻で飾られた三間社流造となっています。
現地情報
所在地 | 〒529-1653滋賀県蒲生郡日野町三十坪813(地図) |
アクセス | 日野駅から徒歩20分 蒲生スマートICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道
八千鉾神社の境内は南東向き。境内入口は田園地帯に面しています。
入口の鳥居は石造の明神鳥居。扁額はなく、額束です。
右の社号標は「八千鉾神社」。
鳥居の先へ進むと参道がわずかに右に折れ、南向きの拝殿が鎮座しています。
拝殿の右手には手水舎。
切妻、桟瓦葺。
柱は几帳面取り角柱。柱上は出三斗。
虹梁中備えは蟇股。木鼻は象鼻が使われています。
側面も中備えは蟇股。
破風板の拝みには蕪懸魚。
拝殿
拝殿は、入母屋(妻入)、桟瓦葺。
柱は角柱。柱上は舟肘木。
柱間には長押が打たれ、中央の引き戸の上には蟇股が配されています。
破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。
入母屋破風には、縦板が張られています。
側面。
柱間はいずれも格子の引き戸。
軒裏は二軒まばら垂木。
本殿
拝殿の後方には本殿が鎮座しています。
桁行3間・梁間3間、三間社流造、向拝1間、銅板葺。
1788年(天明八年)造営*1。
主祭神は五十猛神(大屋彦神)と大国主(八千鉾神)の2柱。ほか、オオヤツヒメとツマツヒメも祀られているようです。
向拝柱は几帳面取り角柱。柱上は連三斗。
側面には獏の木鼻が付き、頭に乗った巻斗で組物を持ち送りしています。
組物の上の手挟は、菊と思しき花の籠彫り。
縋破風の桁隠しには鳳凰と思しき鳥が彫られていますが、頭の部分が欠損してしまっています。
向拝中備えは蟇股。はらわたの彫刻は唐獅子。
向拝の下には、角材の階段が5段。昇高欄は擬宝珠付き。
階段の下には浜床が設けられています。
母屋前面。
柱間には引き戸が立てつけられています。
母屋前面の引き戸。
上のほうは斜めの格子が入り、格子には花狭間のような装飾がついています。
下のほうは格狭間の意匠。
前面の柱は几帳面取り角柱。
柱上は木鼻のついた平三斗。中備えは蟇股で、松が彫られています。
前面の隅の組物は出三斗。
頭貫には象鼻がついています。
母屋側面は3間。
3間のうち、前方の1間は前室(外陣)となっているようで、床と縁側が1段低く造られています。これは滋賀県内の神社本殿でよく見られる造り*2。
前室の側面。
前室の柱(写真左)と母屋の柱(右)のあいだには、海老虹梁が渡されています。
後方の2間が母屋の本体(内陣)で、この部分の柱は円柱が使われています。
柱の上部には頭貫と台輪が通り、禅宗様木鼻がついています。
柱上の組物は出三斗と平三斗で、中備えは蟇股。
妻虹梁の上には笈形付き大瓶束。笈形は流水の意匠。
破風板の拝みと桁隠しは蕪懸魚。拝みの蕪懸魚の左右に付いた鰭は、若葉の意匠。
背面も3間。柱間はいずれも横板壁。
軒下の意匠は側面とほぼ同じで、禅宗様木鼻や蟇股が使われています。
縁側の後方に立てられた脇障子には、竜と唐獅子が彫られていました。
境内社
本殿向かって左手、境内の西側には境内社があります。
いずれも簡素な一間社流造で、東向き。
並立する境内社の南端は「天照皇太神社」。
一間社流造、銅板葺。
虹梁中備えや木鼻に彫刻が入っています。
母屋の組物は出組。妻飾りは豕扠首。
破風板の拝みは鰭付きの三花懸魚。
以上、八千鉾神社でした。
(訪問日2022/10/15)