甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【近江八幡市】長命寺 後編(三重塔、護摩堂、三仏堂、護法権現)

今回も滋賀県東近江市の長命寺について。

 

前編では日吉神社、参道、本堂について述べました。

当記事では三重塔、護摩堂、三仏堂、護法権現などについて述べます。

 

三重塔

f:id:hineriman:20210523114828j:plain

本堂の右手には丹塗りの三重塔が西面して鎮座しています。

三間三重塔婆、こけら葺。全高24.35メートル。

1597年(慶長二年)再建国指定重要文化財

 

案内板いわく“塔全体で余裕ある形態を持ち、比較的遺構の少ない桃山時代の塔として貴重”。安土桃山時代(1573-1603)は短い時代区分なので、江戸期や室町期とくらべると安土桃山期の現存塔は必然的に数が少ないです。

油山寺(静岡県袋井市)、宝積寺(京都市)と並んで、桃山時代の三名塔らしいです(油山寺の案内板より)。

規模は三重塔として中の上といったところで、滋賀県内に7基あるうち2番目の高さとのこと(境内案内板より)。見上げるアングルで視界に入ってくるため、実際よりも高く感じられます。

 

f:id:hineriman:20210523114955j:plain

柱は円柱。軸部は長押と頭貫で固定。頭貫木鼻が使われておらず、和様の古風な造り。

柱間は3間で、中央の柱間は両開きの板戸。開いた板戸の奥には斜めの吹寄せ格子戸。

縁側は切目縁。欄干は擬宝珠付きで、三重塔の初重に欄干を設けるのは少しめずらしい例です。

縁の下は円柱の縁束。母屋柱の床下は八角柱に成形されていました。

 

f:id:hineriman:20210523114943j:plain

組物は和様尾垂木の三手先。丹塗りですが木口が黄色く塗り分けられています。

組物で持ち出された軒桁の下には軒支輪と格子の小天井。

中備えは間斗束と巻斗。

 

f:id:hineriman:20210523115035j:plain

二重および三重。

大部分の意匠は初重と同じですが、縁側の欄干に跳高欄が使われている点と、扉の左右の柱間に緑色の連子窓がある点が異なります。

 

f:id:hineriman:20210523115102j:plain

本堂向かって左正面から見た三重塔。

落ち着いた和様の意匠と、華美な安土桃山期の彩色が合わさって、高貴な印象を受けます。プロポーションはゆったりとした安定感のある印象。

私がいままで見た三重塔の中では、安楽寺八角三重塔(長野県上田市)の次くらいに記憶に残る物件でした。

 

護摩堂

f:id:hineriman:20210523115323j:plain

本堂と三重塔のあいだには護摩堂。南向き。

桁行3間・梁間3間、宝形、檜皮葺。

露盤の銘より1606年(慶長十一年)再建国指定重要文化財

不動明王を祀り、文字どおり護摩焚きをするための堂です。

 

f:id:hineriman:20210523115354j:plain

f:id:hineriman:20210523115407j:plain

意匠解説は案内板に譲ります。

 三間四方の正面中央は桟唐戸、正面左右は連子窓で、側面中央は板扉または板戸、側面前方は連子窓で、他は板壁という簡素な造りである。また、柱は全て角柱で、絵様大斗肘木に軒先は疎垂木木舞打という軽やかな姿である。

姨綺耶山 長命寺

  

三仏堂

f:id:hineriman:20210523115601j:plain

本堂向かって左(西側)には三仏堂。

桁行5間・梁間4間、入母屋、檜皮葺。

再建年は不明。案内板によると、この堂と連結されている護法権現拝殿(後述)とともに永禄年間(1558-1570)の再建と考えられています

佐々木定綱が父の菩提を弔うため建立されたもの。釈迦三尊が祀られています。

 

f:id:hineriman:20210523115727j:plain

柱は円柱。軸部は長押と頭貫で固定され、木鼻はありません。

柱間は黒い桟唐戸。

中備えもなく、欄間は漆喰塗りの壁となっています。

柱上の組物は舟肘木で、ここも古風な造り。

軒裏は二軒まばら垂木。

 

f:id:hineriman:20210523115751j:plain

縁側は切目縁。欄干は擬宝珠付き。縁束は円柱。

 

f:id:hineriman:20210523115813j:plain

本堂と三仏堂をつなぐ渡廊。

切妻、檜皮葺。

 

護法権現

f:id:hineriman:20210523115838j:plain

三仏堂の左には護法権現拝殿。

桁行3間・梁間2間、入母屋、檜皮葺。

造営年は不明。案内板いわく“小屋貫に永禄八年(一五六五)の墨書銘があったといわれており、形式技法からみてもその頃の建立”

右にある切妻、檜皮葺の渡廊とともに国指定重要文化財

 

f:id:hineriman:20210523120211j:plain

柱はいずれも角柱。柱間に建具はなく、全方向が吹き放ち。

柱上の組物は舟肘木。中備えはなく、しっくい壁になっています。

軒裏は二軒まばら垂木。

 

f:id:hineriman:20210523120302j:plain

破風の拝みには梅鉢懸魚。

入母屋破風は木連格子。

大棟には鬼板。

 

f:id:hineriman:20210523120351j:plain

f:id:hineriman:20210523120325j:plain

拝殿後方には護法権現本殿。

一間社流造、檜皮葺。

案内板によると江戸時代後期の再建。

祭神は開山の祖である武内宿禰。

 

細部の観察はできなかったため割愛。

正面の扉の両脇や、縁側の脇障子に羽目板彫刻がありました。かなり新しい(江戸中期あたり?)作風。

 

鐘楼と如法行堂

f:id:hineriman:20210523120541j:plain

本堂・三仏堂・護法権現の西側の高台には鐘楼と如法行堂があります。こちらは鐘楼。

鐘楼は桁行2間・梁間東面2間・西面3間、入母屋、檜皮葺。

1608年(慶長十三年)再建(上棟用木槌の墨書銘より)。

 

堂内に吊るされた梵鐘は鎌倉時代の鋳造らしく、県指定有形文化財。

 

f:id:hineriman:20210523120738j:plain

西面。

柱は円柱で、南北面と東面は柱間2間なのですが、こちら(西面)だけはスパンを狭めて3間となっています。撞木(鐘つき棒)を吊るすためにこのような独特の構造になったと思われます。

柱上の組物は和様尾垂木の三手先。持ち出された桁の下には軒支輪と小天井。中備えは間斗束と巻斗。

軒裏は二軒繁垂木。

 

f:id:hineriman:20210523120846j:plain

縁側は切目縁。欄干は跳高欄。縁の下は三手先の腰組。

下層は袴腰で、しっくいで白く塗られています。

 

f:id:hineriman:20210523120922j:plain

鐘楼のとなりには如意行堂。

桁行3間・梁間3間、宝形、檜皮葺。

造営年不明。

地蔵菩薩、文殊菩薩などが祀られています。

 

柱は円柱。

軒裏は扇垂木、頭貫には拳鼻、側面に縦板壁が使われているなど、禅宗様の意匠が各所に見られます。

 

 

f:id:hineriman:20210523121442j:plain

鐘楼付近から境内を俯瞰した図。奥から三重塔、本堂、三仏堂、護法権現拝殿および本殿。

土地に制約のある山寺なので、伽藍配置は「〇〇寺式」といったようなセオリーは無視されています。武内宿禰を祀るなど神仏習合の色が強いせいもあってか、輪をかけて自由な配置になっています。

檜皮葺(三重塔はこけら葺)の仏堂伽藍が林立し、圧倒的な密度。壮観としか言いようがありません。

 

太郎坊権現社

f:id:hineriman:20210523121655j:plain

境内の最奥、西端には太郎坊権現社。

鳥居は石造の明神鳥居。

 

f:id:hineriman:20210523121715j:plain

拝殿を側面から見た図。眼下には琵琶湖が望めます。

拝殿は入母屋、桟瓦葺。

右の大岩の奥に本殿があります。

 

f:id:hineriman:20210523121737j:plain

f:id:hineriman:20210523121803j:plain

本殿は一間社流造、銅板葺。

造営年不明。おそらく江戸中期以降のもの。

祭神の太郎坊は長命寺の僧侶で、寺の総鎮守になるため天狗に変じたとのこと。

 

水引虹梁の唐草や、中備え蟇股の彫刻、正面扉の両脇の羽目板彫刻から、江戸中期あたりかそれより新しいものと推測できます。

 

以上、長命寺でした。

(訪問日2021/03/13)