今回も長野県上田市の安楽寺について。
当記事では八角三重塔について述べます。
八角三重塔の概要

境内の最奥部には八角三重塔。通常の三重塔とは一線を画する、特異な外観を呈しています。
八角三重塔婆、初重もこし付、こけら葺。全高18.75メートル。
鎌倉時代後期の造営。国宝。

この八角三重塔を特徴づける要素として、八角形の平面、初重のもこし、禅宗様の意匠、以上3つが挙げられます。
八角形の堂塔は単層のものでも数が少なく貴重*1ですが、三重塔などの仏塔についてはこの八角三重塔が唯一の遺構となります。案内板*2によると“八角塔は奈良・京都などに記録として残されてい”ますが、それらは現存しません。
初重(最下層)には裳階と呼ばれる庇がつきます。いちばん下の屋根(厳密には屋根ではない)がもこし、下から2番目の屋根が初重の屋根で、初重は二層の造りになっています。そのため、一見すると四重の塔にも見えます。三重塔にもこしが採用された遺構は、私の知る範囲ではこの八角三重塔と薬師寺東塔*3の2例のみです*4。
禅宗様は鎌倉時代に日本に伝来した建築様式で、貫を多用した軸部や、繊細かつ装飾的な意匠がおもな特徴です。仏塔に禅宗様を採り入れた例はめずらしくありませんが、そのほとんどは細部意匠に禅宗様を採用するだけにとどまり、この八角三重塔のように構造に至るまで徹底して禅宗様を採用した例はほかにありません。

具体的な造営年については諸説あり、案内板*5には「鎌倉時代末期(1277-1333)とするのが定説」とあります。対して、パンフレットには木材の年輪年代学にもとづく鑑定結果が掲載されており、“三重塔用材の伐採年代は正應2年(1289)と判明、1290年代(鎌倉時代末期)には建立された”*6とあります。
最古の禅宗様建築とされる遺構には功山寺仏殿(1320年)と善福院釈迦堂(1327年頃)の2つがありますが、1290年代の造営とする説が事実であれば、安楽寺八角三重塔がこれら2つをおさえて最古の禅宗様建築となるでしょう。
総括すると、この八角三重塔は構造や建築様式の観点で異例づくしで比類のない遺構といえます。それだけでなく、最古の禅宗様建築である可能性もあり、建築史の観点でもきわめて意義深い遺構といえます。
八角三重塔の細部

初重のもこしの下。
母屋も八角形の平面になっており、壁面には縦板壁が張られています。


正面には桟唐戸。
戸の上側には盲連子が張られ、飛貫に取りつけた藁座で軸を吊っています。

桟唐戸の下側の軸は、地貫に取りつけられています。
柱は円柱で、下端が丸く絞られ、そろばん玉状の礎石に据えられています。
仏塔は初重に縁側を設けることが多い*7ですが、この八角三重塔はいずれの重にも縁側がなく、初重は土間床になっています。

柱は上端も絞られ、粽柱となっています。頭貫と台輪には、繰型のついた禅宗様木鼻がついています。
柱上の組物は出組。実肘木や通肘木を使わず、軒桁を直接受けています。

桟唐戸の上には飛貫が通り、飛貫と頭貫のあいだの欄間は弓連子。
頭貫の上には台輪が通り、中備えに組物(詰組)があります。

組物の肘木は、底面と側面がひとつづきの曲面で処理されています。
斗と斗とのあいだは、肘木に曲線状のくぼみ(笹繰り)が設けられています。

背面側。
正面以外の柱間はいずれも縦板壁で、細部意匠も同様です。

軒裏はいずれの重も二軒繁垂木。垂木は放射状に配され、扇垂木となっています。
もこし(いちばん下の層)の軒裏の垂木は、ほかの層よりも少しまばらに配されています。

初重の軒下。
もこしの軒下よりも小さい平面で造られています。

こちらも柱は円柱で上端が絞られ、頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。
組物は禅宗様の尾垂木三手先。中備えにも同様の組物が置かれ、柱間が小さいため軒下に組物がびっしりと並んでいます。

二重。
こちらは壁面に連子窓が使われています。この八角三重塔はほぼすべてが禅宗様の意匠で構成されていますが、連子窓は和様の意匠で、数少ない例外の箇所といえます。

二重も組物は禅宗様の尾垂木三手先。初重の組物は左右方向にも展開する構造になっていましたが、こちらの組物は手前に持ち出すだけの比較的単純な構造をしています。

三重。
細部や組物の構造は二重と同じですが、二重よりも少し小ぶりに造られています。

頂部の相輪。
屋根の頂部には八角形の露盤が据えられています。その上に伏鉢、反花、九輪、水煙、竜車、宝珠とつづきます。九輪は、上へ行くにつれて輪が少しずつ小さくなっています。
八角形の露盤はめずらしいと思いますが、相輪は標準的な構成です。
以上、安楽寺でした。