今回も滋賀県愛荘町の金剛輪寺について。
当記事では国宝の本堂と、国重文の三重塔について述べます。
本堂(大悲閣)
二天門をくぐった先には、圧倒的な風格と存在感を漂わせる本堂(大悲閣)が堂々と鎮座しています。
桁行7間・梁間7間、入母屋、桧皮葺。
室町前期の造営と考えられています。国宝。
本尊は秘仏の聖観音菩薩。
解説は下記のとおり。
内陣須弥壇金具に弘安十一年(1288)の銘があり、鎌倉時代にめざましく発展した密教寺院の大規模な本堂である。
桁行七間、梁間七間、入母屋造で、妻飾は豕扠首を組み、内外に長押を廻し、正面には蔀戸を入れるなど、全体は伝統的な和様建築であるが、内部の組物の一部に、十三世紀に伝来した禅宗様式の拳鼻がついている。
密教本堂の通例により内部は外陣と内陣に区画するが、外陣大虹梁を受ける太い列柱と、格子戸・菱欄間の内外陣境境界とで構成される広い礼拝空間、天井を化粧屋根裏とし荘重な須弥壇を構える内陣は、ともに流麗な曲線の檜皮葺大屋根に包含され、堂々たる偉容は近江中世本堂の圧巻ということができる。
愛荘町教育委員会
向かって右の軒下から見た正面。
桁行(正面)7間もある大型本堂のうえ、本堂と二天門のあいだの空間が狭いため、写真に軒下の全体を納めるのも一苦労。
柱はいずれも円柱。堂内の内陣ではさらに太い柱が使われていました。柱などの材は、総欅造りとのこと。
柱間は蔀。頭貫木鼻はありません。組物は出組で、持出された桁の下には軒支輪。中備えは間斗束。
外観は純然たる和様建築で、禅宗様の意匠はいっさい見られません。
左側面(北面)。
縁側は切目縁が3面にまわされ、左右両側面は前方の3間までまわったところで途切れています。縁束は円柱が使われています。
柱間は前方の3間が両開きの板戸、後方の4間がしっくい塗りの壁。
背面。
中央の3間が突き出ていますが、ここは閼伽棚とのこと。
破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。
入母屋破風内部は見づらいですが、案内板の解説のとおり豕扠首が使われています。
左斜め前方からみた全体図。
向拝や唐破風のない純粋な入母屋で、軒先の反りも美しいです。堂々としていながら清楚で混じりけのない和様仏堂で、和様仏堂の傑作のひとつと言って過言でない物件だと思います。
内部は撮影禁止のため割愛しますが、堂内には多数の仏像が安置され、本堂の附として国宝指定されている厨子(様式は和様の入母屋)を見ることができます。また、雄大な柱や梁、屋根裏などの造りも壮観で、こちらも必見の内容です。
三重塔
本堂の左(北)の丘の上には三重塔が鎮座しています。
手前に木があるせいで写真映えしませんが、だからといって安易に木を伐るような真似をしていません。むやみに客(参拝者)に媚びない姿勢が素敵。
三間三重塔婆。桧皮葺。
南北朝時代(室町前期)の造営と考えられています。国指定重要文化財。
江戸期には三重を喪失し、二重の組物あたりまでが辛うじて残った状態だったようで、1975年から3年間にわたる工事を経て、西明寺三重塔を参考にして現在の姿に復元されています。
初重。
縁側は切目縁。縁側は造営当時に設けられる予定だったようですが省略され、昭和期の修理で新しく設けられたとのこと(愛荘町教育委員会の案内板より)。
柱間には板戸と連子窓。
軸部は長押で固定され、頭貫木鼻はありません。
組物は和様の尾垂木三手先で、持出された桁の下には軒支輪と格子の小天井。
二重。
二重および三重の軒下は、初重とほぼ同じ。
縁側には跳高欄が設けられています。
軒裏を見上げた図。
影になっていて見づらいですが、軒裏はいずれの重も二軒繁垂木でした。
以上、金剛輪寺でした。
(訪問日2021/03/13)