甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【袋井市】油山寺

今回は静岡県袋井市の油山寺(ゆさんじ)について。

 

油山寺は市北部の山間に鎮座する真言宗の寺院です。山号は医王山。

同市の尊永寺可睡斎とともに遠州三山のひとつに数えられます。

創建は寺伝によれば701年(大宝元年)で、行基によって開かれたとのこと。奈良時代に46代・孝謙天皇が当寺で祈願したところ眼病が平癒したため、以降「目の霊山」として信仰されています。戦国期には戦災で境内を消失し、江戸初期に三重塔が再建されています。

現在の境内は江戸以降に整備されたもののようです。伽藍については、江戸初期に完成した三重塔や、掛川城から移築された城門(山門)が国重文に指定され、遠州三山のなかでもひときわ充実した内容となっています。

 

現地情報

所在地 〒437-0011静岡県袋井市村松1(地図)
アクセス 天竜浜名湖線 桜木駅から徒歩1時間
袋井ICから車で10分
駐車場 30台(無料)
営業時間 09:00-17:00
入場料 無料
寺務所 あり
公式サイト 目の霊山 油山寺
所要時間 1時間程度

 

境内

山門

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油山寺の境内は南向き。

境内入口の山門は1873年の廃藩の折、大田備中守の寄進で当地に移築されたもの。

方潜付櫓門、前後庇付、入母屋、本瓦葺。

井伊兵部直好により掛川城に1659年建立国指定重要文化財

 

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柱はいずれも角柱。

正面の間口は3間。通路は1間なので、三間一戸といったところでしょうか。

梁の上から腕木を突き出して軒桁を受けています。

 

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左側面。

前後の庇には招き屋根がついており、「へ」の字のシルエット。

壁面や破風板、垂木などの部材はしっくいで塗り込められています。

 

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上層には縦の格子の窓。

当然ですが寺社建築の連子窓とくらべて目が粗いです。

 

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内部。

側面の間口は2間。

前後方向に梁がわたされ、梁と直交する桁の上に天井が張られています。この天井は2階の床を兼ねている(踏み天井)と思われます。

 

礼拝門

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山門をくぐって境内中心部へ向かうと、左右を塀にはさまれた礼拝門があります。

一間一戸、薬医門、切妻、桟瓦葺。

 

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内部。

前方(写真左)に主柱、後方(右)に控柱が立てられ、2つの柱に梁がわたされています。

梁の上には桁が通っているだけでなく、薬医門にはめずらしい天井が張られています。

 

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礼拝門の先には宝生殿。本堂ではありませんが、伽藍のこの一帯の中心的な堂のようです。

二重?、入母屋(妻入)、向拝1間、銅板葺。

 

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木鼻の彫刻は見返り唐獅子。

向拝柱は角面取り。柱上には連三斗の発展型といった感じの組物。

 

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宝生殿向かって右には方丈。

拝観もできたようですが、時間がなかったため割愛。

 

参道

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礼拝門を出て境内奥へ進むと、途中に東屋と「るりの滝」があります。

寺伝によればこの滝はもともと油が流れ落ちていたらしく、これが寺号の由来とのこと。また、考謙天皇がこの滝で眼病の平癒を祈願し、霊験あらたかだったことから勅願寺となり、以降、民衆からも崇敬されたとのこと。

 

薬師本堂

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境内の最奥まで進むと、薬師本堂と三重塔が鎮座しています。まずは薬師本堂から。

桁行5間・梁間5間、寄棟、向拝1間、銅板葺。

1527年(大永七年)再建。1614年に修理を受け、1739年に再度の修理を受けています。1971年(昭和四十六年)の修理で銅板葺に改められ、各所を当初の形態に復元したとのこと。

県指定文化財。本尊は薬師如来。

 

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向拝柱は几帳面取り。

木鼻は正面が唐獅子、側面が獏。江戸中期1738年のものと思われます。

柱上の組物は連三斗。

 

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水引虹梁には唐草が彫られ、中備えには空間いっぱいに竜の彫刻が配されています。

先述の唐獅子や獏とくらべると、若干の野暮ったさが否めない造形。

 

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向拝と母屋は海老虹梁でつながれています。

正面の間口は5間で、中央の3間は桟唐戸、そのほかの柱間は上下に開く形式の蔀。

 

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側面および背面。ともに柱間5間。

背面は中央に扉が設けられています。

縁側は切目縁が4面にまわされています。欄干なし、縁の下は角柱の縁束。

 

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軸部は貫で固定されています。頭貫には拳鼻。

柱上の組物は出組。中備えは蟇股。

軒裏は二軒繁垂木。

 

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薬師本堂の右手には鐘楼。

入母屋、桟瓦葺。下層は縦板の袴腰。

 

三重塔

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薬師本堂の手前、参道右手には三重塔が鎮座しています。

三間三重塔婆、銅板葺。全高23.88メートル。

1611年(慶長十六年)再建国指定重要文化財

 

着工は1574年で、理由は不明ですが再建工事がかなり遅れたらしく、てっぺんの法輪を上げて竣工するまで37年の歳月を要したとのこと。

案内板(静岡県教育委員会)によると長命寺(滋賀県)と宝積寺(京都府)の三重塔とともに、桃山時代の三名塔のひとつに数えられています”とのこと。

 

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初重正面。柱はいずれも円柱。

中央の柱間は桟唐戸。左右の柱間には白い壁板が立てつけられ、窓がありません。

紅白を基調にした華美な配色は、安土桃山時代や江戸初期に見られる作風。

 

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軸部は貫と長押で固定されていますが、頭貫木鼻はありません。頭貫に木鼻をつけないのは古風な技法。

組物は和様の尾垂木三手先。持ち出された桁の下には軒支輪と格子の小天井。

中備えは省略されています。

 

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二重。

縁側には跳高欄。

柱上の中備えには蓑束が使われています。

 

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二重および三重。

軒裏は二軒繁垂木。初重および二重(写真下)は平行垂木ですが、三重(上)だけは扇垂木となっています。

案内板(設置者不明)によると三重の繰型(頭貫木鼻のことか?)は禅宗様と大仏様の折衷となっているらしいですが、さすがにこの距離で繰型まで観察するのは難しいです。

 

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本堂から俯瞰した図。

三重塔としては少し小振りな部類ですが、桃山期の作風を色濃く伝える清楚で華やかな塔となっています。

 

以上、油山寺でした。

(訪問日2021/03/20)