甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【諏訪市】手長神社

今回は長野県諏訪市の手長神社(てなが-)について。

 

手長神社は諏訪市街の東部の斜面に鎮座しています。

創建は不明。社伝によると、当初は桑原郷(現在の諏訪市中心部)の鎮守として、足長神社とあわせて祀られていたようです。鎌倉時代、桑原郷が分割されるにあたり、手長神社と足長神社も分割され、手長神社は上桑原の鎮守となったとのこと。中世の沿革は不明ですが、安土桃山時代に高島城が造られて以来、城の鬼門(北東)の鎮護として諏訪高島藩から崇敬されました。

現在の境内や社殿は江戸後期のもので、主要な社殿は立川和四郎富棟(初代和四郎)による建築で、拝殿と旧本殿が市指定文化財です。また、拝殿は諏訪大社上社本宮に似た「諏訪造」の様式で造られ、境内には御柱が立てられています。

 

現地情報

所在地 〒392-0003長野県諏訪市上諏訪9556(地図)
アクセス 上諏訪駅から徒歩10分
諏訪ICから車で15分
駐車場 5台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 15分程度

 

境内

参道

手長神社の境内は西向き。国道20号線に並行する道路に面しています。

一の鳥居は石造明神鳥居。扁額なし。

右の社号標は「県社 手長神社」。

鳥居の裏は、郵便局の駐車場になっています。

 

参道の途中には二の鳥居があります。石造明神鳥居。

 

三の鳥居は木造明神鳥居。扁額は「手長神社」。

 

鳥居の手前、参道右手には手水舎。

切妻、銅板葺。

 

柱は几帳面取り。頭貫には象鼻。柱上に台輪がまわされています。

柱上の組物は出三斗。巻斗に皿がついています。

 

台輪の上の中備えは蟇股。

妻飾りは角柱の束。

破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。

 

手水盤は、当地で採れる鉄平石(てっぺいせき)の石板を重ねて作られています。

 

三の鳥居をくぐって境内右手(南側)へ行くと、神楽殿があります。

入母屋、銅板葺。

手書きの案内板*1によると大正初期の造営で、1934年に現在地に移築されたとのこと。

内部に天井はなく、化粧屋根裏です。

 

拝殿

石段を上り詰めた先には、拝殿が鎮座しています。

拝殿の左右には一段低い屋根の社殿(左右片拝殿)が並んでいます。これは諏訪大社上社本宮の拝殿と同様の配置で、「諏訪造」(すわづくり)と呼ばれる建築様式です。

 

中央の拝殿は、桁行1間・梁間1間、入母屋、正面千鳥破風付、向拝1間 向唐破風、銅板葺。

1788年(天明八年)造営。1952年の火災で一部を焼失し、修理したようです。市指定有形文化財。

大工棟梁は立川和四郎富棟(初代和四郎)諏訪大社下社秋宮などを造営した名工です。

 

正面の千鳥破風と軒唐破風。

軒唐破風の兎毛通には、鳳凰の懸魚。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。木鼻は、正面側面ともに唐獅子。

柱上の組物は、出三斗を2つ並べ、上に連三斗をのせた構造のもの。

 

虹梁には、若葉と波の中間的な意匠の彫刻が入っています。

中備えは、牡丹に戯れる唐獅子。

 

海老虹梁には、豪快な竜の彫刻。こちらは昇り竜。

向拝の組物の上の手挟は、菊の籠彫り。

 

反対側。こちらの海老虹梁は、降り竜。

海老虹梁の母屋側は、柱筋からずれた場所に取り付いています。

 

母屋部分を右手前(南西)から見た図。

正面(写真左)と側面には建具がありません。

縁側は切目縁で、欄干は擬宝珠付き。側面(写真右)には、片拝殿へつづく階段が設けられています。

 

母屋の正面は1間。扁額は「手長宮」。

扁額の上の蟇股は、松に鷹。

 

母屋柱は円柱。頭貫には、正面側面ともに唐獅子の木鼻。

海老虹梁が柱筋からずれているため、母屋柱の正面にも木鼻がついています。

柱上の組物は三手先。

 

側面の軒下。

こちらも中備えに蟇股があり、何かしらの樹木が彫られています。

持ち出された桁の下には、波や雲の彫刻。

 

左右片拝殿

拝殿の左右には片拝殿がつづき、別棟ですが階段で連結されています。こちらは向かって右(拝殿南側)の片拝殿。

片拝殿は、桁行2間、梁間2間、切妻、銅板葺。

 

柱は円柱。正面は建具がなく、吹き放ち。

 

軸部は長押と頭貫で固定され、頭貫には木鼻。柱上には台輪が通っています。

組物は出組。

持ち出された桁の下には、波の彫刻。

 

正面向かって右の柱間。

台輪の上の中備えは蟇股。彫刻の題材は波。

 

側面は、前方の1間が吹き放ちで、後方の1間は火灯窓になっていました。

縁側の背面側には脇障子が立てられています。

 

側面の台輪上の蟇股は、彫刻が入っていません。

組物の上には無地の妻虹梁がわたされ、笈形付き大瓶束が棟木を受けています。

 

破風板の拝みには、鰭付きの懸魚。鰭は雲の意匠。

 

反対側、拝殿向かって左(北側)の片拝殿。

右の片拝殿を左右反転させた構造となっているため、詳細は割愛。

 

本殿と回廊

拝殿の脇から奥をのぞき込むと、一段高い区画に鎮座する本殿が見えます。

本殿は一間社神明造、銅板葺。

正面側面ともに1間の、簡略化された神明造です*2。柱はいずれも円柱で、両側面の室外に棟持柱が立っています。

 

造営年不明。おそらく戦後のものと思われます。

祭神はテナヅチ(手長彦神)。祭神としてはマイナーな存在ですが、相方のアシナヅチとともに記紀のヤマタノオロチのくだりに登場する神で、タケミナカタ(諏訪大社の主祭神)の祖先にあたるようです。

 

屋根には千木と鰹木。

千木は屋根から突き出たタイプのもの。先端は水平に切りそろえられ、いわゆる女千木です。

鰹木は細い紡錘形のものが5本。

 

向かって左の片拝殿には回廊が接続され、社務所につながっています。

回廊は、切妻、銅板葺。

 

回廊の内部。

柱は角柱。柱上には梁がわたされ、斜めの材で梁を持ち送りしています。

梁の上に収納されている綱は、おそらく御柱祭で使用するもの。

 

回廊に沿って境内の北端まで行くと、聖徳神社が鎮座しています。

切妻、銅板葺。

 

境内社

拝殿から向かって右へ行くと、境内南端の区画に摂社・末社(境内社)が並立しています。

ひとつひとつの境内社に御柱が立てられています。独特な光景に見えるかもしれませんが、諏訪地域では小さな祠でも祭神に関係なく御柱を立てる風習があり、境内社の多い神社ではこのような光景がめずらしくありません。

 

片拝殿の南側には、やや大規模な境内社(おそらく摂社)。

左から、弥栄神社(彌榮神社)、松尾神社、稲荷神社。

 

左の弥栄神社(やさか-、いやさか-)は手長神社の旧本殿で、大隅流の伊藤庄左衛門により1709年(宝永六年)に造営されたもの。市指定有形文化財。

一間社流造、銅板葺。

 

向拝柱は几帳面取り。柱上は連三斗。

側面の象鼻は、若葉状の彫刻が薄く入っています。

 

虹梁中備えは蟇股。

彫刻の題材は不明。

 

海老虹梁と母屋。

母屋柱は円柱。柱上の組物は出三斗。

海老虹梁は、母屋の頭貫に取り付いています。

側面の頭貫の上には、中備えはありません。妻飾りは大瓶束。

 

母屋の正面は桟唐戸。

切目縁が3面にまわされ、欄干はありません。

 

以上、手長神社でした。

(訪問日2023/02/08)

*1:手長神社による設置

*2:通常の神明造は桁行3間・梁間2間の三間社