甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【笛吹市】美和神社

今回は山梨県笛吹市の美和神社(みわ-)について。

 

美和神社は御坂町地区の住宅地に鎮座する甲斐国二宮です。

創建は不明。『甲斐国志』によると第12代・景行天皇の時代の創建で、伝承によると大神神社(奈良県桜井市)から勧請されたらしいです。『日本三代実録』にも記述があり、863年(貞観五年)の記事では一条天皇によって二宮に定められています。『延喜式』には「桙衝神社」と記載され、その里宮が当社に比定されています。鎌倉時代も天皇家からの崇敬がつづき、室町時代には武田氏から篤く崇敬されました。武田氏滅亡後は徳川氏と豊臣氏の崇敬を受け、社領を安堵されています。

現在の社殿は、明治以降のものと思われます。多数の社宝を所蔵しており、平安時代の木造大物主神立像は国の重要文化財、武田信玄の奉納と伝わる胴丸(甲冑)と三十六歌仙図は県の文化財に指定されています。

 

現地情報

所在地 〒406-0807山梨県笛吹市御坂町二之宮1450(地図)
アクセス 石和温泉駅から徒歩1時間
一宮御坂ICから車で10分
駐車場 20台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 15分程度

 

境内

参道と手水舎

美和神社の境内は東向き。境内北側には川が流れ、南側は住宅地となっています。

境内の手前には、当社の参道だったと思われる長い並木道が伸びています。

 

境内入口には木造両部鳥居。扁額は「美和神社」。

柱と島木のあいだに円い台輪があります。

 

参道を進むと左手(南側)に手水舎があります。

切妻造、桟瓦葺。

 

手水鉢の蛇口には竜の頭の彫刻。

案内板*1によると、この手水鉢は幕末に原石が寄進されたのち、1877年に身延の石工によって完成されたとのこと。

 

参道を進んで境内の中心部に到着すると、鉄柵と鉄製の鳥居の先に拝殿、社務所、神楽殿があります。

 

神楽殿と境内社

拝殿向かって右手前(北側)には神楽殿が南面しています。

入母屋造、桟瓦葺。

この神楽殿で行われる「美和神社の太々神楽」は江戸中期からの由緒があり、県の無形民俗文化財に指定されています。

 

柱は糸面取り角柱。柱間は、飛貫虹梁、頭貫、台輪でつながれています。頭貫には象鼻。

柱上の組物は出三斗。台輪の上の中備えは平三斗。

内部には格天井が張られ、軒裏は一重の繁垂木。

 

神楽殿の左奥(北西)には境内社が南面しています。

写真右は山梨県に特有の丸石神、左は「毘売神」。

 

「毘売神」の本殿は、一間社流造、鉄板葺。

母屋柱は円柱。母屋と向拝とのあいだに海老虹梁。

大棟に鬼板がありますが、頂部が破損してしまっています。

縁側は切目縁が3面にまわされています。

 

向拝柱は几帳面取り角柱が使われ、柱上は出三斗。

虹梁中備えは平三斗。

 

「毘売神」向かって左には「天照大神」。

見世棚造、一間社流造、鉄板葺。

こちらは大棟の鬼板が欠損しています。

 

拝殿と本殿

境内の中心部には拝殿が東面しています。

入母屋造、向拝1間 入母屋造(妻入)、桟瓦葺。

 

向かって左の向拝柱。

向拝柱は几帳面取り角柱。柱上は出三斗。側面には大きな象鼻がついています。

 

虹梁中備えは板蟇股。丸に二つ引きの紋があります。

 

母屋柱は角柱。柱上は舟肘木。

木鼻や中備えといった意匠はありません。

 

拝殿の南側には、宝物庫(左)と名称不明の社殿(右)があります。

宝物庫には国重文の木造大物主神立像(当社の神体)をはじめ多数の社宝が収められ、収蔵された社宝の解説が案内板に書かれています。

 

拝殿の後方には、ブロック塀に囲われた本殿が鎮座しています。祭神は大国主(大物主)。

本殿は、一間社流造、銅板葺。

 

大棟は箱棟になっており、箱棟の前面には丸に二つ引きの紋。箱棟の屋根の上には鰹木が3本。

 

向拝柱(写真左)は角柱、母屋柱(中央と右)は細い円柱が使われています。

母屋の柱間は横板壁。軸部は長押と貫で固められ、妻虹梁の上に間斗束を立てて棟木を受けています。

破風板の拝みと桁隠しには懸魚。独特な形状です。

 

本殿の後方にはこのような小屋が設けられています。用途はわかりません。

 

本殿の後方、駐車場の区画には、子安大神が南面しています。

内部には石造の小祠と神木の切株らしきものが安置されています。

 

以上、美和神社でした。

(訪問日2024/12/28)

*1:美和神社と御坂町郷土研究会による設置