今回は奈良県斑鳩町の法起寺(ほうきじ/ほっきじ)について。
法起寺は町の北東の農地に鎮座する聖徳宗の寺院です。山号は岡本山。
創建は『聖徳太子伝私記』(鎌倉時代の成立)によると638年(欽明天皇十年)。聖徳太子の遺言を受けた山背大兄王(聖徳太子の子)によって、岡本宮という宮殿を寺院化したのがはじまりとされます。伽藍は638年に造られはじめ、706年(慶雲三年)に竣工したようです。
創建当初は法隆寺や法輪寺とともに隆盛しましたが、早くも衰微して平安時代に法隆寺の末寺となり、江戸時代には三重塔だけが残る状態にまで荒廃しています。1678年(延宝六年)に真政圓忍*1らによって中興され、現在の主要な伽藍が再建されました。明治時代には真言宗の寺院となりましたが、1882年に法隆寺とともに法相宗に改め、1950年に法隆寺が聖徳宗を開くと法起寺も聖徳宗となっています。寺号の読みは「ほっきじ」でしたが、1993年に法隆寺が世界遺産登録されるにあたり「ほうきじ」に改められました。
現在の境内伽藍の多くは江戸時代の中興後のもので、境内全体が国指定史跡となっています。三重塔は飛鳥時代の創建時のものが現存し、国宝に指定されています。また、本尊の木造十一面観音立像は平安時代の作とされ、こちらは重要文化財に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒636-0102奈良県生駒郡斑鳩町岡本1873(地図) |
アクセス | 大和小泉駅から徒歩30分または法隆寺駅から徒歩40分 法隆寺ICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 08:30-17:00(冬季は16:30まで) |
入場料 | 500円 |
寺務所 | あり |
公式サイト | 法起寺 |
所要時間 | 20分程度 |
境内
南門
法起寺の境内は南向き。
境内の南側は広大な農地が、北側には集落と里山が広がっています。法隆寺とは対照的に観光地化されておらず、のどかな趣。
境内の南側には南門がありますが、通行はできません。拝観受付はこちらではなく、境内西側にあります。右奥に見えるのは三重塔。
南門は、四脚門、切妻造、本瓦葺。
江戸前期の造営。
正面の軒下。
門扉は板戸、手前の控柱は角柱が使われています。
左端に見切れている標柱は「不許酒肉五辛入門内」(酒肉五辛 門内に入るを許さず)。
向かって右の控柱。
面取り角柱が使われ、正面と側面に木鼻がついています。柱上は大斗と実肘木を組んだもの。
門扉の上には冠木が通り、中備えは蟇股。蟇股には麒麟と思しき神獣の彫刻があります。
蟇股の上には虹梁がわたされ、中央に蓑束を立てて棟木を受けています。
左側面(西面)。
妻虹梁の上の妻飾りは板蟇股。板蟇股の中央には片喰の紋。
破風板の拝みには蕪懸魚が下がっています。
境内西側へ行くと西門があります。門の先には拝観受付があります。
西門は、薬医門、切妻造、本瓦葺。
構造は標準的な薬医門のもので、前方に女梁と男梁を突き出して軒桁を支えています。
意匠は南門とくらべると簡素。目立つものは拝みの蕪懸魚や、大棟の鬼瓦くらいです。丸瓦の円いくぼみには「法起寺」の字があります。
講堂
順路にしたがって境内北側へ進むと収蔵庫があります。
内部には本尊の木造十一面観音立像が安置されています。平安時代、10世紀後半の作で、もとは講堂に安置されていたようです。
境内北東には講堂(こうどう)が南面しています。構造や外観は法輪寺金堂と似ています。
桁行3間・梁間3間、一重、もこし付、寄棟造、本瓦葺。
1694年(元禄七年)再建*2。
下層は正面5間。
中央は2つ折れの桟唐戸、その左右各1間は連子窓。左右両端の各1間は白壁。
柱は角柱で、軸部は貫と長押でつながれています。柱上は実肘木。
上層は正面3間。
こちらも角柱と実肘木が使われています。
大棟には鯱(しゃちほこ)。
左側面(西面)。
下層は5間で、中央に引き戸が設けられています。上層は3間。
聖天堂
講堂の南西、境内の中心部には聖天堂(しょうてんどう)が東面しています。
桁行3間・梁間3間、宝形造、向拝1間、本瓦葺。
1863年(文久三年)再建。
向拝は1間。
虹梁中備えは板蟇股で、彫刻は2本のダイコンを交差させた構図。めずらしい題材ですが、ダイコンは聖天の象徴です。
向かって左の向拝柱。
向拝柱は几帳面取り角柱。側面には象鼻。柱上は出三斗。
母屋の周囲には縁側がまわされ、縁束を上へのばして庇の柱としています。
向拝柱と縁束とのあいだには、クランク状に曲がった梁がわたされています。
母屋正面は3間で、柱間は半蔀。扁額は「歓喜天」。
縁束と母屋柱は面取り角柱。柱上は舟肘木。
軒裏は一重まばら垂木。
右側面(北面)。
母屋側面は3間で、後方に1間通りの庇があります。建具は舞良戸が使われています。
左側面(南面)。
中央の柱間の扁額は「聖天堂」。
頂部の宝珠。
露盤は格狭間が2つならんだ意匠。伏鉢の上にタマネギ状の宝珠が据えられています。
聖天堂の南には鐘楼跡。
規模や礎石の跡を見るに、1間四方の小規模な鐘楼だったと思われます。
三重塔
境内の東端の区画には三重塔が西面しています。
三間三重塔婆、本瓦葺。
初重の大きさに対して二重と三重が小ぶりで、逓減率の高いプロポーションです。
684~706年(天武十三年~慶雲三年)造営。国宝。
この法起寺三重塔は国内に現存する古建築のなかでも五指に入る*3古さを誇り、最古の建築である法隆寺金堂と法隆寺五重塔に次いで古いものと考えられます。
初重正面(西面)。
柱間は3間で、中央は板戸、左右はしっくい壁。中央は柱間が広く取られています。
縁側はありません。
右側面(南面)。
柱はいずれも円柱。上端と下端が細く、胴が膨らんでいて、エンタシスとなっています。
柱間は貫と長押でつながれています。
柱上の組物は、雲肘木と尾垂木を組んだもの。大斗の基部には四角い皿がついています。
法隆寺五重塔の組物とおなじ構造で、飛鳥時代の建築に特有の意匠です。
尾垂木の先端には花肘木が乗り、軒桁と隅木を受けています。
軒裏は一重の繁垂木。
二重の南面。
柱間は3間で、柱間は連子窓。
縁側の欄干は組高欄。下側の欄間には卍崩しの木組みが入っていて、これも飛鳥時代に特有の意匠です。
二重の組物は、初重のものと同じ構造です。
三重。
柱間は2間四方となっています。
最上層が2間四方となる塔はめずらしく、このような例は法隆寺五重塔、當麻寺東塔(二重と三重が2間)と法起寺三重塔の3棟しか例がありません*4。いずれの例も飛鳥時代から奈良時代にかけてのきわめて古い建築です。
頂部の宝輪。
露盤はほかの塔のものとくらべて低い形状で、格狭間のような意匠が見えません。伏鉢の上は反花、九輪、水煙、宝珠といった構成。
以上、法起寺でした。
(訪問日2024/12/07)