今回は長野県塩尻市の観音寺と麻衣廼神社について。
観音寺
所在地:〒399-6301長野県塩尻市贄川1423(地図)
公式 :観音寺
観音寺(かんのんじ)は旧贄川宿に鎮座する高野山真言宗の寺院です。山号は楊梅山。
創建は寺伝によると806年(大同元年)。中世の沿革は不明。室町末期には木曽氏の崇敬を受けたようですが、木曽義昌が武田から織田へ寝返ったため、1582年に武田勝頼の攻撃を受けて境内伽藍を焼失しています。その後、1597年に珍永によって再興されました。
現在の境内は江戸後期の再建で、楼門が市の文化財となっています。
境内
観音寺の境内は南東向き。旧贄川宿から中央西線と国道19号線をわたると、境内の入口があります。
参道を進むと楼門があります。
三間一戸、楼門、入母屋、銅板葺。
1791年(寛政三年)再建。市指定有形文化財。
下層。
正面3間で、中央の柱間が広く取られています。
正面中央の柱間。
柱は円柱。柱間には、絵様の彫られた虹梁がわたされています。
柱上には台輪が通り、中央の柱間には雲の意匠の蟇股があります。
向かって左手前の柱。
柱は上端が絞られた粽柱です。頭貫には象鼻。
柱上の組物は出組。
左側面。
側面は2間で、柱間は横板壁。
こちらも中備えに蟇股がありますが、正面のものより簡素なものです。
内部、向かって右側。
外周の柱はすべて円柱が使われていますが、内側の通路部分の柱だけは面取り角柱が使われていました。
上層。扁額は山号「楊梅山」。
軒裏は放射状の二軒繁垂木。
柱間は正面3間で、下層と同様に中央の柱間は広く取られています。
柱は上端が絞られ、頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。
組物は出組。
中備えは撥束。
上層左側面。
上層側面は3間で、内部は鐘楼となっています。
上層の軒下。
柱間は3間ですが、中央に組物が置かれており、柱の位置だけを変えたような外観となっています。
背面。
上層の正面と背面は柱間に壁や建具がなく、吹き放ちです。
破風板の拝みには鰭付きの懸魚。
妻飾りには、大瓶束が見えます。
楼門の先には本堂。
入母屋と切妻を組み合わせた構造で、銅板葺です。
1775年(安永四年)の再建のようです。
向かって左の玄関部分。
装飾的な意匠は少ないですが、虹梁や懸魚が使われています。
以上、観音寺でした。
麻衣廼神社
所在地:〒399-6301長野県塩尻市贄川1622(地図)
麻衣廼神社(あさぎぬの-)は旧贄川宿の観音寺の裏手に鎮座しています。
創建は不明。社伝によると、天慶年間(938-947)に諏訪大社の分霊が祀られたのがはじまりとのこと。中世の詳細な沿革は不明ですが、観音寺と同様に1582年に武田勝頼の攻撃を受け、境内社殿を焼失しています。その後、文禄年間(1592-1595)に現在地に遷座し再興されました。明治時代には、由来は不明ですが現在の社号に改められています。 現在の境内は江戸中期の再建。拝殿内部におさめられた本殿は棟梁・金原周防によって造られたもので、市の文化財となっています。
境内
麻衣廼神社の境内は南東向き。観音寺の左手(南)の生活道路を奥へ進むと、境内入口があります。
入口には石造明神鳥居。扁額は「麻衣廼神社」。
鳥居をくぐると、右手に神楽殿があります。
切妻(妻入)、鉄板葺。
妻面。扁額は「麻衣廼神社」。
梁には梶の葉の紋があり、諏訪神社であることが分かります。
神楽殿の近くには4本の御柱。
御柱は境内や社殿の四隅に立てることが多いですが、当社では一列に並べて立てています。
参道を進むと、本殿覆い屋を兼ねた拝殿があります。
切妻、正面軒唐破風付、鉄板葺。
虹梁には波状の絵様が彫られ、「麻衣廼神社」の扁額が掲げられています。
虹梁中備えは組物と蟇股。
唐破風の兎毛通は、菊唐草の彫刻。
向拝部分の柱は几帳面取り角柱。
正面には唐獅子、側面には象の頭の彫刻がついています。
柱上の組物は出三斗。
右側面。側面は4間。
流造に似た外観の切妻となっています。
破風板の拝みには、鰭付きの懸魚。
隠れてしまっていますが、屋根の上の鬼板には梶の葉の紋が描かれていました。
向拝内部の軒下。
母屋部分の正面には虹梁が渡され、「麻衣廼神社」の扁額がかかっています。
格子戸から中を覗き込むと、本殿が鎮座しています。
幕に描かれた紋は四根の諏訪梶で、諏訪大社上社の紋です。
本殿は、桁行3間・梁間1間?、三間社流造、向拝1間、こけら葺。
1747年(延享四年)造営。市指定有形文化財。
棟梁は、何代目かは不明ですが金原周防*1とのこと。
向拝柱は面取り角柱。
側面には獏の木鼻がついています。江戸中期のものにしては平板な造形で、古風な趣です。
組物は出三斗。肘木は、実肘木ではなく通肘木が使われています。
虹梁中備えは蟇股。梅と思しき彫刻が入っています。
以上、麻衣廼神社でした。
(訪問日2023/11/12)