今回は長野県諏訪市の足長神社(あしなが-)について。
足長神社は諏訪市南東部の斜面に鎮座しています。
社殿はこの地域の神社のご多分に漏れず豪華な彫刻で満たされていますが、本殿についてはシンプルな外観をしており、諏訪地域でも造営年代の古い部類に入ります。
ちなみに、相方(?)の手長神社は諏訪市街の北東に鎮座しています。
現地情報
所在地 | 〒392-0012長野県諏訪市大字四賀普門寺5426-2(地図) |
アクセス | 上諏訪駅または茅野駅から徒歩50分 諏訪ICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし(八剱神社が兼任) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
参道
足長神社の境内入口は旧甲州街道に面しています。
鳥居はちょっと奥まった位置にありますが、千木と鰹木のついた灯篭が立っているのですぐに神社の入口だとわかります。
参道の鳥居。扁額の字は「足長神社」。
階段はせいぜい100段程度。境内の向きは、手長神社と同じで西向きです。
舞屋
急な石段を登りきると、舞屋と拝殿のある小さな広場に出ます。写真は正面から見た舞屋で、鉄板葺の寄棟。
手前に写っているのは二の御柱で、当然のことながらこの足長神社も諏訪大社の系統に属します。社格としては旧村社で、上社の末社とのこと。
舞屋の正面右側の梁の周辺のアップ。
案内板*1によると舞屋は1862年(文久二年)に石田房吉という宮大工らによって造営されたとのこと。正面10.3メートル・側面6.4メートル。
極太の梁には花のような意匠が彫られ、組物と組物の間にも彫刻(題材は獏など)が配置されています。そして右端の木鼻にはこちらを振り向く唐獅子。
垂木は一重で、柱はいずれも角柱でした。
拝殿
足長神社の最大の見どころと言えるのが拝殿。
拝殿は銅板葺の切妻(平入)で、正面に千鳥破風(ちどりはふ)と軒唐破風(のき からはふ)付き。
軒下の垂木は二重。側面の虹梁(こうりょう)は二重になっています。
案内板によると五棟造(いつむねづくり?)らしいので、背面側にも千鳥破風があると思われます。
拝殿は1842年(天保十三年)に大隅流の矢崎専司らによって造営されたもの。正面1間(3.8メートル)・側面2間(3.1メートル)。なお、ここで言っている“間”というのは柱間がいくつあるかを示す単位のことであり、長さの単位ではありません。
正面を右側から見た図。
金網が張られていてちょっと見づらいですが、梁と桁は三手先(みてさき)の組物で持出しされており、その周辺には大量の彫刻が配置されていて非常ににぎやか。
母屋は正面と側面1間が目の粗い格子戸で覆われており、内部を覗き込めます。
正面軒下の唐破風部分。
唐破風の中央から垂れ下がる兎毛通(うのけどおし)は、波に龍。波の部分は籠彫(かごほり)のようになっており、この部分に籠彫を配置するのはちょっと珍しいです。
唐破風と丸桁(がぎょう)の間の彫刻は、きんちゃく袋などの宝物が題材。
拝殿内部を覗き込むと、ここにも彫刻が配置されています。
敷居の下にあるのは波、両脇は龍。
縁側は壁面と直行に板を張った切目縁が、正面と左右側面にあります。
写真は左側面の縁側の終端に立てられた脇障子(わきしょうじ)。題材は鳳凰。脇障子の上には波のような意匠の彫刻がのっています。
反対側の脇障子は麒麟が題材になっていました。
本殿
本殿は拝殿の脇から見上げることで一部を見ることができます。
本殿は銅板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)。母屋の柱は円柱。
石垣の上には鉄線が張られており、後方の斜面は急でとても登れないので、これ以上近づいて観察するのは難しいです。
写真からは解りづらいですが、束、蟇股、拳鼻、脇障子、跳高欄を確認できました。
案内板*2では“社額裏面の延享四年(一七四七)の墨書などからして、十八世紀の建造物と考えられる。”とあり、年代についてはっきり判っていない模様。
諏訪地域や信州の寺社建築は立川流や大隅流の宮大工の手掛けたものが多く、立川流・大隅流は木鼻に唐獅子や象や獏の彫刻を配置することが多いです。しかしこの本殿の木鼻は拳鼻(こぶしはな)というシンプルで古風なタイプのものです。
また、本殿の脇障子にはいちおうの彫刻はありますが、この脇障子は絵の輪郭線を彫ったくらいのもので、本格的な彫刻ではありません。
「よってこの本殿は、江戸末期にありがちな彫刻まみれの社殿が流行するよりも前の時代のものと考えられる」という旨の考察が案内板に書かれていました。
以上、足長神社でした。
(訪問日2019/10/13)