今回は奈良県斑鳩町の法輪寺(ほうりんじ)について。
法輪寺は法隆寺の北の山際に鎮座する聖徳宗の寺院です。山号は妙見山。別名は三井寺(みいでら)。
創建は不明。伝説では、聖徳太子の子の山背大兄王によって開かれたとする説と、法隆寺(若草伽藍)の焼失後に百済の僧侶らによって開かれたとする説とがあります。発掘調査の結果によると、遅くとも飛鳥時代後期には確立されていたようです。
創建以来、法隆寺や法起寺とともに隆盛しましたが、1367年の火災で三重塔以外の伽藍を焼失して衰微しました。江戸時代の享保年間(1716-1736)には宝祐によって妙見信仰の寺として再興され、金堂などの伽藍が再建されました。1944年には落雷で三重塔を焼失していますが、作家・幸田文の支援を受けて再建されています。
現在の境内伽藍は、江戸中期から戦後にかけてのもの。現存の三重塔は昭和中期の再建ですが再建前の形式が保たれ、法隆寺五重塔と同様の飛鳥時代の意匠が見られます。ほか、本尊の木造薬師如来坐像をはじめ、飛鳥時代の仏像が重要文化財に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒636-0101奈良県生駒郡斑鳩町三井1570(地図) |
アクセス | 法隆寺駅または大和小泉駅から徒歩40分 法隆寺ICから車で10分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 08:00-17:00(冬季は16:30まで) |
入場料 | 500円 |
寺務所 | あり |
公式サイト | 法輪寺公式 |
所要時間 | 20分程度 |
境内
南門
法輪寺の境内は南向き。法隆寺から北東へ500メートルほどの位置にありますが、こちらはほとんど観光地化されておらず、周辺は田畑や集落が広がりのどかな趣です。
境内入口の南門は、四脚門、切妻造、本瓦葺。
正面の虹梁。
眉欠き、袖切、絵様が彫られ、中備えは間斗束。間斗束は束の部分が短く、巻斗で軒桁を直接受けています。
向かって左の控柱。
控柱は几帳面取り角柱。側面には象鼻。柱上は、大斗と舟肘木を組んだものが使われています。
左(西)の妻面。
主柱は円柱が使われ、側面に冠木が突き出ています。前後には女梁と男梁を伸ばし、控柱とつながっています。
妻虹梁の上は板蟇股。
破風板の拝みには蕪懸魚。
内部。
通路上の冠木の上には間斗束があり、棟木を受けています。
内部は化粧屋根裏で、軒裏は一重まばら垂木。
南門をくぐると、参道の先に講堂(中央奥)が鎮座しています。そして参道の左側(西)には三重塔、右側(東)には金堂が配されています。
これは法隆寺と同じ伽藍配置で、回廊はありませんが法隆寺式伽藍配置の一例といえます。
三重塔
参道左手には三重塔。法隆寺五重塔、法起寺三重塔とならぶ斑鳩三塔のひとつです。
もとあった塔は法隆寺・法起寺と同様に飛鳥時代のものだったようですが、1944年に落雷で焼失し現存しません。現在の塔は1975年のもので、法隆寺の宮大工・西岡常一氏によって再建されています。
三間三重塔、本瓦葺。
初重南面。
初重は正面側面ともに3間。中央は板戸、左右はしっくい壁。
縁側はありません。内部の地下には仏舎利が収められているようです。
軸部は頭貫と長押で固められています。
組物のあいだに中備えはありません。
組物の基部の大斗は、下に四角い皿がついています。
肘木の上の斗は、先端が二股に割れた形状。法隆寺五重塔と同じ意匠です。
組物の斗の位置からは雲肘木が伸び、尾垂木などの部材を介して軒桁を受けています。
尾垂木の先端には斗が乗り、肘木で隅木と軒桁を受けています。
軒裏は一重繁垂木。
東面。各所の意匠は南面と同じ。
柱はいずれも円柱。胴が太く上端が細い形状で、エンタシスです。
二重も柱間は3間あります。欄干の影になって見づらいですが、中央の扉は連子の入ったものが使われています。
欄干は組高欄。下側の欄間は、法隆寺と同様の卍崩しの木組みが入っています。
三重。こちらは柱間が2間となっています。
法隆寺五重塔と法起寺三重塔も最上層が2間となっており、これは飛鳥時代から奈良時代の塔に特有の構造のようです。
頂部の宝輪。
基部は露盤と伏鉢、反花と九輪の上に水煙が乗っています。標準的な構成ですが、水煙の形状が独特です。
金堂
参道右手には金堂。本堂に相当する伽藍です。本尊の薬師如来像は収蔵庫に保存されているようです。
桁行3間・梁間2間、一重、もこし付、寄棟造、本瓦葺。
1761年再建。
下層正面は5間。
中央の3間は蔀、左右両端の各1間は連子窓。
柱は角柱。柱の上部に木鼻がつき、軒桁を受けています。
中備えや木鼻はありません。
下層側面は4間。
柱間は蔀としっくい壁。
上層正面は3間。
上層も柱は角柱が使われています。柱の上部には挿肘木の斗栱がつき、通肘木を介して軒桁を受けています。
頭貫には象鼻。頭貫の上の中備えは蟇股。
軒裏は上層下層ともに一重まばら垂木です。
上層側面は2間。
細部の意匠は正面と同じです。
背面。
下層は右から2間目に引き戸が設けられています。
講堂とその周辺
三重塔と金堂のあいだを進むと講堂があります。現在は本尊や寺宝などの宝物をおさめる収蔵庫として使われています。
RC造、切妻造、本瓦葺。
1960年再建。
講堂の右後方(北東)には妙見堂が南面しています。
入母屋造、向拝1間、本瓦葺。
2003年再建。
向拝柱は面取り角柱。柱上は連三斗。
虹梁中備えは透かし蟇股。
母屋柱も面取り角柱が使われ、頭貫に木鼻がついています。
柱上は出三斗。中備えは撥束。
扁額は「妙見堂」。
側面は3間。後方に1間の庇がつき、つごう4間となっています。
妻飾りは笈形付き大瓶束。
破風板には猪目懸魚。
境内東端の区画には鐘楼。
切妻造、本瓦葺。
柱は面取り角柱で、飛貫と頭貫でつながれています。頭貫には木鼻がつき、中備えは蟇股。
柱上の組物は、皿付きの大斗に肘木を組んだもの。
妻虹梁の上は板蟇股。
破風板の拝みには蕪懸魚が下がっています。
ほか、境内西側の三重塔の裏手には上土門の西門があり、県指定文化財となっていますが、見落としてしまったため割愛。
以上、法輪寺でした。
(訪問日2024/12/07)