甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【神戸市】如意寺

兵庫県神戸市

如意寺(にょいじ)

2025/05/01撮影

概要

如意寺は西区の山間に鎮座する天台宗の寺院です。山号は比金山。

創建は不明。寺記によると645年(大化元年)に法道が地蔵と毘沙門天を祀ったのがはじまりらしいです。のちに第36代・孝徳天皇によって大伽藍が造営され、平安時代は円仁によって文殊堂が造られたとのこと。

当寺の史料上の初見は1152年(仁平二年)の記事であり、発掘調査では10世紀以降の遺物が出土したことから、じっさいの創建は平安後期と考えられます。1223年(貞応二年)には国役を免除された記録があり、1385年に現在の三重塔が、1453年に現在の文殊堂が再建されました。1539年には本堂などの伽藍を焼失し、数年後に再建したようです。江戸時代は寛永寺(東京都)の末寺として隆盛しました。戦後には、老朽化した本堂を解体しています。

 

現在の境内伽藍の主要部は鎌倉時代から室町前期の非常に古いもので、中世の山岳寺院のおもかげをとどめています。伽藍は文殊堂、阿弥陀堂、三重塔の3棟が国指定重要文化財です。山門の仁王像は鎌倉時代の作とされ、こちらは県の文化財に指定されています。

現地情報

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所在地 〒651-2237兵庫県神戸市西区櫨谷町259(地図)
アクセス 西神南駅から徒歩30分
伊川谷ICから車で10分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 20分程度

文化財情報

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重要文化財3件(計3棟)

如意寺文殊堂 *1

如意寺三重塔

如意寺阿弥陀堂

境内

山門

如意寺の境内は南向き。境内は山間の谷間にあり、谷の入口にあたる場所に山門が西面しています。

山門は、三間一戸、八脚門、切妻造、本瓦葺。

造営年不明。

 

正面中央の柱間。

柱は円柱が使われています。

柱上の組物はなく、柱が軒桁を直接受けています。

 

向かって右。

こちらは柱間に飛貫があります。

 

左側面(北面)。

側面は2間で、軸部は貫でつながれています。柱間は、前方は吹き放ち、後方は横板壁。

 

主柱の上からは、冠木が突き出ています。

冠木の上には束が立てられ、棟木を受けています。

柱の前後方向をつなぐ頭貫にも短い束が立てられ、貫で束を連結しています。

住宅建築の小屋組ではよく見られる技法ですが、寺院建築の門としては風変わりな造りだと思います。

 

背面。

こちらは中央の柱間にも頭貫が通っています。

左右の柱間は横板壁。

 

文殊堂

仁王門から東へ150メートルほど進むと、境内の中心部に到着します。

参道を北へ進むと、右手(東側)に文殊堂が鎮座しています。こちら(南面)は斜面から突き出した造りになっています。

 

北面。斜面の上側が正面になるようです。

桁行5間・梁間4間、入母屋造、本瓦葺。

墨書より1453年(享徳二年)の造営と考えられます。国指定重要文化財

 

右側面(西面)。

側面は4間。柱間は、前方と後方の各1間が格子の引き違い戸、中央の2間が横板壁。

 

柱は円柱。軸部は貫で固められ、頭貫に禅宗様木鼻がついています。

柱上の組物は出三斗。通肘木を介して軒桁を受けています。

 

頭貫の上の中備えは間斗束。組物と肘木を共有しています。

 

背面。

背面と正面は5間で、柱間は5間とも引き違いの格子戸。

組物や中備えは側面と同様です。

縁側はくれ縁が4面にまわされ、擬宝珠付きの欄干が立てられています。

 

背面の縁の下。背面の縁側は2メートル以上の高さがあります。

縁束と母屋柱は礎石の上に据えられ、母屋の床下の柱間は白壁が張られています。

 

阿弥陀堂付近から見た入母屋破風。

破風板には蕪懸魚らしき懸魚が下がり、妻壁には縦板が張られています。

 

三重塔

境内の東側には、三重塔が西面しています。

 

三間三重塔婆、本瓦葺。全高21.33メートル。

1385年(至徳二年)造営。国指定重要文化財

 

柱はいずれも円柱で、軸部の固定は長押が多用されています。柱間は3間。

中央は板戸、左右各1間は腰壁が張られ、長押の上に盲連子の連子窓が設けられています。

 

柱上の組物は尾垂木三手先。尾垂木は先端が平たく、和様のものです。

組物のあいだの中備えは間斗束。こちらも和様の意匠。

桁下には軒支輪があり、軒支輪と母屋とのあいだには格子の小天井が張られています。

 

軒裏は平行の二軒繁垂木。

縁側は切目縁。欄干はありません。

 

縁束は面取りされた角柱。

母屋柱は床下も円柱に成形されています。

縁束と母屋柱は礎石の上に据えられ、母屋部分は地面がわずかに盛り上げられています。

 

二重の北面。

二重と三重は、縁側に跳高欄が立てられています。

 

母屋部分の意匠は初重と同じで、組物は和様の尾垂木三手先ですが、二重と三重は中備えが省略され、中央の1間だけに間斗束が入っています。

 

三重の西面。

ほとんど見えませんが、柱間は初重と同じく板戸と連子窓です。

軒裏は二重三重も平行の二軒繁垂木。

禅宗様の意匠はまったく使われておらず、純粋な和様建築の塔といえます。

 

頂部の相輪。

露盤の上に九輪と水煙がつき宝珠が乗る、標準的な構成。

 

阿弥陀堂

三重塔の向かいの境内西側の丘の上には、阿弥陀堂が東面しています。

当寺の最古の伽藍で、県内でも五指に入る古さを誇る建築です。構造や意匠は純然たる和様で、鎌倉時代のものですが平安時代の建築に通じる古風な技法で造られています。

 

桁行3間・梁間3間、入母屋造、とち葺形銅板葺。

鎌倉前期の造営と考えられます。国指定重要文化財

 

正面は3間。中央の柱間は広く取られています。

柱間は半蔀で、軒裏から吊り金具が下がっています。

 

向かって左。

柱は大面取り角柱。面取りの幅が非常に大きく、平安時代から鎌倉時代にかけての非常に古風な造りです。

軸部は貫と長押でつながれています。頭貫に木鼻がありませんが、この堂は木鼻が伝来する前の時代か、木鼻が地方に伝播する前の建築かもしれません*2

隅の柱の組物は出三斗。大斗や巻斗に対して肘木が長く、独特のバランス。

 

頭貫の上の中備えは透かし蟇股。上には巻斗が乗り、軒桁を直接受けています。

内側の彫刻は、猪目などの曲線を組み合わせた幾何学的な意匠。平板な造形で、鎌倉時代から室町前期の技法に見えます。

 

縁側はくれ縁で、4面にまわされています。寺社建築は切目縁(縁側の床を壁と直角に張る)を使うことがほとんどですが、あえてくれ縁を採用するのは古風だと思います。

柱や縁束は礎石の上に据えられ、母屋は亀腹の上に建てられています。

 

左側面(南面)。

側面も3間で、中央が広く取られています。柱間は、前方(写真右)が板戸、中央が半蔀、後方がしっくい壁。

 

隅の柱には出三斗が使われていますが、中央側の柱には平三斗が使われています。肘木の独特なバランスは出三斗も平三斗も同様です。

 

背面も3間。

中央の柱間は板戸が設けられ、左右の柱間はしっくい壁。

 

背面にも、正面や側面と同様の透かし蟇股があります。

 

妻壁には豕扠首。

破風板の拝みには蕪懸魚が下がっています。

 

本堂跡

境内の北の奥へ進むと、本堂の跡があります。

もとあった本堂は幕末の再建だったようで、老朽化のため戦後に解体したとのこと。

 

礎石の配置を見ると、正面が5列、側面が4列となっています。

本堂は正面側面7間(柱間が7つある)の平面だったようで、そこから逆算すると礎石(柱の数)は正面側面ともに8列になるかと思います。礎石の一部が撤去されたのか、あるいは私が見落としていただけなのか、どちらなのかは不明。

 

阿弥陀堂の奥(境内北西)には、子院の翫玉院の門が東面しています。

薬医門、切妻造、本瓦葺。左右袖塀付。

 

以上、如意寺でした。

*1:附:厨子1基

*2:木鼻が出現するのは1199年の東大寺南大門以降