今回も京都府京都市の興正寺について。
当記事では、鐘楼、阿弥陀堂、経蔵などについて述べます。
鐘楼
三門の南側、境内南東には鐘楼があります。
桁行3間・梁間2間、入母屋、本瓦葺。袴腰付。
1774年(安永三年)造営。
南面の軒下。
金網がかかっていて見づらいですが、柱は円柱で、軸部は長押と頭貫で固定され、頭貫には拳鼻がついています。
柱上の組物は三手先。
中備えは蓑束と蟇股です。
縁の下。
腰組も三手先で、中備えに蓑束と蟇股があります。こちらの蟇股の彫刻は、山鳥と思われます。
東面。こちらは側面2間。
縁の下の中備えの蟇股は、鶴が彫られていました。
阿弥陀堂
御影堂向かって右側(北側)には、阿弥陀堂が東面しています。
桁行5間・梁間5間?、一重、裳階付、入母屋、向拝3間、本瓦葺。
1915年(大正四年)再建。
屋根に裳階がついて二重の外観になっており、禅宗様建築の仏殿*1を思わせるシルエットですが、下層には縁側と向拝が付き、腰高なシルエットとなっています。知恩院の阿弥陀堂とよく似た外観だと思います。
向拝は3間。
向拝柱は、上端が絞られた几帳面取り角柱。側面には象の木鼻。
柱上の組物は、皿付きの連三斗。
虹梁の中備えは蟇股。彫刻の詳細は観察できず。
下層の母屋正面は7間。
柱間はいずれも桟唐戸。桟唐戸の内側は障子戸です。
縁側は切目縁が3面にまわされ、擬宝珠付きの欄干が立てられています。
左側面(南面)。柱間は板戸と桟唐戸。
前編で述べた御影堂と同様に、側面の縁側が途中で途切れ、後方は格子戸でふさがれています。
母屋柱は上端が絞られた円柱。柱の上部は頭貫虹梁でつながれ、象鼻がついています。
組物は二手先。中備えは蟇股。
上層。正面は5間。
頭貫と台輪に禅宗様木鼻が付き、組物は尾垂木三手先。
中備えは蟇股。
軒裏は二軒繁垂木。下層(裳階)が並行垂木であるのに対し、上層は扇垂木です。
入母屋破風。
妻飾りは二重虹梁で、蟇股などの意匠が見えます。
破風板の拝みには三花懸魚。桁隠しは、三花懸魚を変形させた意匠のものが使われています。
阿弥陀堂と御影堂のあいだには、このような渡り廊下が設けられています。
桁行4間・梁間1間、向唐破風、本瓦葺。
柱は几帳面取りで、柱上は大斗と肘木を組み合わせたものが使われています。
頭貫には木鼻、妻飾りには笈形付き大瓶束があります。
軒裏は二軒で、化粧屋根裏。茨垂木がまばらに配されています。
阿弥陀堂門
阿弥陀堂の手前の、境内入口に面した場所には、阿弥陀堂門が東面しています。
よって、興正寺は境内正面(東側)に2つの門(三門と阿弥陀堂門)が並立していることになります。なお、西本願寺と東本願寺も当寺と同様に2つの門が並立しています。
阿弥陀堂門は、一間一戸、四脚門、切妻、本瓦葺。
1912年再建。
正面の軒下。
虹梁中備えには、蟇股が2つ置かれています。彫刻の題材は仙人。
向かって左手前の控柱。
控柱は几帳面取り角柱。正面(写真右)は唐獅子、側面(左)は象の木鼻がついています。
柱上は出三斗。
内部、向かって右側。写真右が正面方向です。
前後の控柱は角柱ですが、中央の主柱は円柱が使われています。主柱と控柱は、腰貫と長押で連結されています。
門扉は桟唐戸で、上のほうの羽目板には透かし彫りの彫刻が入っています
主柱の上部には竜の彫刻がつき、上の梁を持ち送りしています。竜は玉眼がはめ込まれ、鱗や爪まで造形されており、力作だと思います。
妻面を内側から見た図。
見づらいですが、妻虹梁の上に笈形付き大瓶束があります。
背面の軒下。
正面と同様に、虹梁中備えは蟇股で、控柱の木鼻に彫刻があります。
軒裏は二軒繁垂木。
経蔵
境内の北東には、経蔵が南面しています。
宝形、正面軒唐破風付、本瓦葺。
1848年(嘉永元年)造営。
下層は壁面がしっくいで塗り固められ、正面に向唐破風の庇がついています。庇は銅板葺。
庇の軒下は、虹梁や蟇股、兎毛通などの意匠が使われています。
基壇には石造の欄干が立てられ、縁側のかわりとなっています。欄干の親柱には禅宗様の逆蓮。
左側面(西面)。
側面には、中央よりやや奥(写真左)寄りの位置に窓がついています。窓は火灯状の曲線で構成され、格狭間のような意匠です。
壁面の上のほうにも、火灯状曲線を左右につなげた装飾があります。
上層正面。軒唐破風がついています。
扁額は「法宝蔵」。右大臣・近衛忠煕の揮毫で、孝明天皇から下賜されたものだそうです。
正面は3間で、組物は二手先が使われています。
金網がかかっていてほとんど見えないですが、頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついていました。
左側面。側面は4間。
中備えには、蓑束らしき意匠が見えます。
縁の下の腰組は三手先で、雲肘木のような意匠で持ち出しをしています。
以上、興正寺でした。
(訪問日2023/11/18)