甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【京都市】東本願寺(真宗本廟) 前編 阿弥陀堂

今回は京都府京都市の東本願寺(ひがしほんがんじ)について。

 

東本願寺は京都市街に鎮座する真宗大谷派の本山です。山号はありません。通称は東本願寺、お東さん、正式名称は真宗本廟(しんしゅうほんびょう)

本願寺としての創建は1321年(元亨元年)、東本願寺としての創建は1602年(慶長七年)です。本願寺の東西分裂までの沿革については、西本願寺の項にて述べたため割愛いたします。

本願寺の分裂がはじまったのは石山合戦の終結時で、大坂からの退去をめぐり、教如派と顕如派とで対立が起きました。本願寺(のちの西本願寺)が現在地に移転したあとも対立はつづき、教如が徳川家康から土地を寄進されたため、1603年に教如派が「本願寺」を開きました。これが現在の東本願寺です。

江戸時代には失火や禁門の変の戦火により、4度にわたって伽藍を焼失しています。戦後には、内紛を経て現在の「真宗本廟」が正式名称となりました。

現在の境内伽藍は幕末から明治にかけてのもの。広大な境内に巨大な伽藍が立ち並び、阿弥陀堂や御影堂など計20棟が重要文化財となっています。

 

当記事ではアクセス情報および阿弥陀堂門、阿弥陀堂について述べます。

御影堂門、御影堂については後編をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒600-8505京都府京都市下京区烏丸通七条上る(地図)
アクセス 京都駅から徒歩15分
駐車場 なし
営業時間 3-10月:05:50-17:30、11-2月:06:20-16:30
入場料 無料
寺務所 なし
公式サイト 真宗大谷派(東本願寺)
所要時間 30分程度

 

境内

阿弥陀堂門(唐門)

東本願寺の境内は東向き。西本願寺と同様に、浄土宗系の寺院のため、主要な伽藍は東面しています。

境内入口は国道24号・烏丸通に面した場所にあり、境内の手前には公園のようなスペースがあります。

 

境内の正面入口には2つの門があり、南側には阿弥陀堂門があります。別名は唐門。

一間一戸、四脚門、切妻、正面背面軒唐破風付、檜皮葺。

1911年(明治四十四年)造営。「真宗本廟東本願寺」6棟として国指定重要文化財

 

正面の軒下。

虹梁中備えは蟇股。

その上には虹梁大瓶束があり、唐破風の棟を受けています。大瓶束の左右には、雲間を飛ぶ天女の彫刻があります。

 

左手前の控柱。

控柱は几帳面取り角柱。正面(写真右)には牡丹、側面(左)には唐獅子の頭の木鼻がついています。その下にも小ぶりな禅宗様木鼻があります。

柱上の組物は皿付きの出三斗。

 

金網が反射して見づらいですが、妻虹梁の上には大きな蟇股が置かれ、棟木を受けています。

破風板の拝みと桁隠しは三花懸魚。

 

内部向かって右側。写真右方向が正面です。

中央の主柱は円柱が使われています。前方の控柱とのあいだは貫や長押で連結され、腰貫の上の欄間には花狭間が彫られています。

門扉は桟唐戸。下のほうの羽目板には、菊や藤の紋があしらわれています。

 

背面全体図。

四脚門のため、ほぼ前後対称の構造となっています。

 

阿弥陀堂門をくぐると、左手(南)に鐘楼がありますが、訪問時は工事中でした。2024年9月まで、屋根の葺き替えなどをするとのこと。

鐘楼は、入母屋、檜皮葺。1894年(明治二十七年)再建で、阿弥陀堂門と同様に国重文です。

 

阿弥陀堂

阿弥陀堂門の先には、当寺の本堂に相当する阿弥陀堂が鎮座しています。

入母屋、向拝3間、本瓦葺。

1895年(明治二十八年)再建。こちらも「真宗本廟東本願寺」6棟として国重文*1

 

向拝は3間。

虹梁中備えは蟇股が使われています。

 

向かって左の向拝柱。

向拝柱は几帳面取り。上端が絞られています。側面には象の木鼻。

柱上の組物は、皿付きの連三斗。

 

向拝の組物の上では、手挟が軒裏を受けています。手挟には植物と思しき彫刻が入っています。

縋破風の桁隠しは猪目懸魚。

 

母屋正面。

母屋の正面と両側面は、外側の1間通りが吹き放ちの庇になっています。後述の御影堂や、西本願寺の阿弥陀堂と御影堂も同様の構造です。

庇の柱と母屋の柱はいずれも円柱。母屋の正面の柱間は、桟唐戸が使われています。

 

母屋左側面(南面)。

側面の庇は後方までまわっておらず、格子戸を立ててふさいでいます。

 

庇の左手前(南東)の隅の柱。

上端が絞られ、頭貫と台輪の位置に禅宗様木鼻がついています。

柱上の組物は尾垂木三手先。

 

母屋の左手前の隅の柱。

こちらも上端が絞られていますが、飛貫虹梁の位置に象鼻がつき、頭貫の位置には海老虹梁が取り付いています。

柱間にわたされた飛貫虹梁の中備えには、笈形付き大瓶束が使われています。

頭貫の上の中備えには何らかの彫刻がありますが、金網がかかっていてよく見えず。

柱上の組物は、こちらも尾垂木三手先です。

 

左側面全体図。

 

破風板は青海波の文様が彫られ、飾り金具がついています。拝みと桁隠しは三花懸魚。

妻飾りは二重虹梁をさらに複雑化した構造となっています。妻虹梁を支える組物のあいだには、波(あるいは雲?)の彫刻がありますが、私のスナップ写真では遠くて詳細まで観察できず。

 

阿弥陀堂については以上。

後編では御影堂門、御影堂について述べます。

*1:附:宮殿