今回も静岡県静岡市の静岡浅間神社について。
当記事では少彦名神社、八千戈神社などについて述べます。
少彦名神社
楼門を出て境内北側の区画へ行くと、駐車場に面した場所に摂社の少彦名神社(すくなひこな-)の本殿が南面しています。拝殿はありません。
桁行3間・梁間2間、三間社入母屋、銅瓦葺。
1850年(嘉永三年)造営。「神部神社浅間神社」23棟として国指定重要文化財(国重文)*1
正面は3間。庇がなく、神社本殿としてめずらしい造りです。
柱間は、中央が桟唐戸、左右は半蔀。
正面中央の軒下。虹梁にしめ縄がかけられています。
頭貫は六角形のパターンに桜の花が描かれています。
頭貫の上の中備えは蟇股。こちらの彫刻は竹に虎。蟇股の左右の壁面には、雲が描かれています。
柱上の組物は出組。軒桁は菱形のパターンに塗り分けられています。
向かって左の柱間。
こちらの柱間は、中央の柱間(写真右)より少し低い位置に虹梁がわたされています。
柱はいずれも円柱で、隅の柱は頭貫の位置に唐獅子の木鼻があります。
中備えの蟇股の彫刻は、躑躅(ツツジ)に兎。
右側面(東面)。
側面は2間で、柱間は舞良戸。
軒裏は二軒繁垂木。地垂木の木口は金色に彩色されています。
破風板には赤いラインが入り、飾り金具がついています。拝みには蕪懸魚が下がり、左右の鰭は雲の意匠。
妻飾りは虹梁大瓶束。束の左右には、彩色された菊の彫刻があります。
玉鉾神社
少彦名神社向かって左側のあまり目立たない場所には、玉鉾神社(たまほこ-)が東面しています。祭神は羽倉東麿、岡部真淵、本居宣長、平田篤胤の4柱で、いずれも国学者です。
本殿は、一間社流造、銅板葺。
造営年不明。1876年(明治九年)の創建とのことで、おそらくこの本殿も創建時のものと思われます。文化財指定はとくにないようです。
向拝は1間。
角材の階段が5段設けられ、その下には浜床が張られています。
母屋の正面には板戸。
向かって右の向拝柱。
向拝柱は面取り角柱。柱上の組物は連三斗。柱の側面に斗栱が付き、連三斗を持ち送りしています。
連三斗と軒桁のあいだには通肘木が使われています。
虹梁中備えは透かし蟇股。
内側の彫刻は、鎌倉時代の蟇股に見られるような平板で幾何学的な造形です。
母屋柱は円柱。軸部は貫と長押で固められています。
頭貫には拳鼻。正面のものは繋ぎ虹梁と一体化し、側面のものは巻斗を介して組物を持ち送りしています。
正面の扉の上の中備えは蟇股。向拝の虹梁のものと同じ造形です。
右側面(北面)。
組物は連三斗。中備えはありません。
妻飾りは豕扠首。破風板の拝みと桁隠しは猪目懸魚。
八千戈神社
楼門の前を通って境内南側へ進むと、社務所の向かいに摂社の八千戈神社(やちほこ-)が東面しています。
中央手前が中門、向かって左が南透塀、右が北透塀、中央奥が八千戈神社本殿です。
4棟とも1838年(天保九年)の造営で、「神部神社浅間神社」23棟として国重文*2。
中門は、一間一戸、平唐門、銅瓦葺。
正面の柱間には虹梁がわたされ、その上に頭貫と台輪が通っています。
台輪の上の中備えは、中央に平三斗が置かれ、その左右に金色の雲の彫刻があります。
向かって右の柱。
柱は上端が絞られた円柱。
柱から前方に腕木(男梁)を伸ばし、組物を介して軒桁を受けています。腕木の下には小さい腕木(女梁)と巻斗が添えられ、持ち送りとしています。
腕木の先端の繰型や、柱に添えられた笈形は雲状の意匠になっています。
門扉は赤い桟唐戸。
桟唐戸の上方の羽目には格狭間があり、麒麟の彫刻がはめ込まれています。
中門の左右には北透塀と南透塀が設けられ、八千戈神社本殿を囲っています。こちらは向かって右にある北透塀。
北透塀は、折曲り延長10間、銅瓦葺。
南透塀も同様の造りで、北透塀を左右反転した構造です。
柱は角柱。柱間は長押でつながれています。
柱の上から腕木を出し、軒桁を受けています。
柱間には赤い連子が入り、その下の腰壁には彩色された波の彫刻があります。
中門と南北透塀の内には、八千戈神社本殿が鎮座しています。
桁行3間、梁間4間、入母屋、正面千鳥破風付、向拝3間 軒唐破風付、銅瓦葺。
向拝は3間あり、母屋の正面も3間。母屋の中央1間の幅に階段が5段設けられ、階段の下に浜床が張られています。
向拝の中央の柱間。
柱間にわたされた虹梁は金色に彩色され、中央には牡丹が描かれています。中備えの彫刻は、獏と思しき神獣が題材です。
中備えの上にも黒い虹梁がわたされ、中央に大瓶束を立てて唐破風の棟木を受けています。大瓶束の左右には、雲や草木の彫刻が入っています。
向かって左。
向拝柱は几帳面取り角柱。上端の飾り金具には、三葉葵の紋があしらわれています。柱の正面および側面には唐獅子の木鼻。
柱上の組物は出三斗。
虹梁の上の中備えは蟇股。こちらの彫刻は老婆に乳を飲ませる構図で、題材は二十四孝の「唐夫人」。
軒桁は菱形のパターンに塗り分けられています。
隅の向拝柱と母屋柱のあいだの縁側にはこのような壁や建具が入っており、火灯窓と板戸が設けられています。ほかの本殿では見られない風変わりな造りだと思います。
火灯窓の上の欄間には、鳳凰の彫刻。
母屋柱は円柱が使われ、中央の柱間は板戸。左右の柱間は半蔀です。
向拝柱と母屋柱のあいだには湾曲した海老虹梁がわたされ、母屋の頭貫の位置に取り付いています。
頭貫と台輪の上は、中備えに蟇股があります。こちらの蟇股は蓑を着た男が雪の中でたけのこを見つけた構図で、題材は二十四孝の「孟宗」。
屋根の正面の唐破風と千鳥破風。
唐破風の中央には鳳凰の彫刻が下がっています。
千鳥破風の拝みには懸魚が下がり、妻飾りは虹梁と大瓶束。大瓶束の左右には菊水の彫刻。
左側面(南面)。
写真左の4間が母屋、右が向拝部分です。
反対側、右側面の向拝部分。
向拝と母屋のあいだに台輪がわたされ、台輪と軒裏のあいだの欄間は極彩色の雲の彫刻が入っています。
向拝の縋破風は赤と黒に塗り分けられ、三葉葵の紋があります。桁隠しの懸魚は牡丹の彫刻ですが、金色で題材が解りにくいです。
母屋部分。
母屋柱は円柱で、上端は金色の飾り金具がついています。
柱間の建具は舞良戸。舞良戸の上には長押が打たれています。
柱上の組物は二手先。中備えの蟇股は、こちらも二十四孝を題材にした彫刻が入っています。
右側面の入母屋破風。
破風板の拝みには蕪懸魚。左右の鰭は雲の意匠。
妻飾りは虹梁大瓶束。虹梁の下には菊水の彫刻。大瓶束の左右の彫刻は、波に鯉。
少彦名神社、八千戈神社などについては以上。