今回は滋賀県大津市の日吉大社(ひよし たいしゃ)について。
日吉大社は比叡山のふもとに鎮座しています。全国に多数ある日吉神社(日枝神社、山王神社)の総本社。
創建は不明。文献での初出は『古事記』。当初は比叡山にあり、10代・崇神天皇の時代に現在地へ移転したようです。延暦寺が開かれた際には、日吉大社が鎮守社となっています。平安時代には『延喜式』の名神大社に列しています。
平安以降は山王権現として延暦寺と習合して隆盛し、戦国期には織田信長の焼き討ちで全焼しています。その後、豊臣秀吉と徳川家康によって現在の境内社殿が再建されました。
仏教色を排除しようとする動きは江戸初期からあったようですが、明治期の神仏分離令により延暦寺から完全に独立し、現在の社号「日吉大社」となりました。この動きは廃仏毀釈運動の発端になったとのこと。
現在の境内は安土桃山時代に整備されたもので、国重文の社殿が立ち並び充実した内容となっています。とくに国宝の西本宮本殿と東本宮本殿は当社に特有の日吉造という様式。また、山王鳥居というめずらしい鳥居を見ることができます。
当記事ではアクセス情報および西本宮について述べます。
東本宮についてはその3をご参照ください。
現地情報
所在地 | 〒520-0113滋賀県大津市坂本5-1-1(地図) |
アクセス | 坂本比叡山口駅から徒歩10分、または比叡山坂本駅から徒歩20分 京都東ICまたは大津ICから車で20分 |
駐車場 | 50台(※駐車料金は入場料と共通) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 300円 |
社務所 | あり |
公式サイト | 日吉大社 |
所要時間 | 1時間程度 |
西本宮
山王鳥居
駐車場に車を置いて西本宮へ向かうと、日吉大社の名物の山王鳥居が東向きに立っています。
山王鳥居は明神鳥居の上に山型の意匠がついたもので、日吉神社の系統の神社(山王神社、日枝神社など)でまれに見られるめずらしい鳥居です。
鳥居の先にある小屋には、日吉大社の神の使いである猿が飼われています。ここでは神猿(まさる)と呼ばれているようです。写真は割愛。
西本宮楼門
山王鳥居の先へ進むと、西本宮が南向きに鎮座しています。こちらは西本宮楼門。
三間一戸、楼門、入母屋、檜皮葺。
1586年(天正十四年)再建。国指定重要文化財。
楼門としてはそこまで大きくなく、小ぢんまりとした印象。
紅白を基調とした配色で、各所には安土桃山期らしい極彩色の彫刻がワンポイントで配置されています。
正面中央の柱間。
頭貫の上の中備えには蟇股が置かれています。
蟇股の彫刻は菊。極彩色に塗り分けられていますが、退色が進んでいる様子。
右側面(東面)。
柱は円柱で、柱上では二手先の組物が上層の縁の下を受けています。
頭貫の上の中備えは、間斗束。頭貫に木鼻はありません。
上層。
欄干の影になってしまって見えないですが、こちらも中備えに蟇股が使われています。
組物は尾垂木三手先。
隅の組物には尾垂木の上に神猿の彫刻(写真左上)が乗り、隅木を受けています。パンフレットによると、ここがこの楼門の見どころとのこと。
持ち出された桁の下には軒支輪と格子の小天井。
上層の右側面。
下層と同様に中備えは間斗束。
縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は跳高欄。
軒裏は二軒繁垂木。
西本宮拝殿
楼門のすぐ後ろには西本宮拝殿があります。
桁行3間・梁間3間、入母屋(妻入)、檜皮葺。
1586年再建。国指定重要文化財。
滋賀県内でしばしば見かける、壁がなく吹き放ちの拝殿。
柱は角柱で、組物は舟肘木。軒裏は二軒まばら垂木。全体的に簡素な意匠で造られています。
西本宮本殿
拝殿の後方には西本宮本殿が鎮座しています。
桁行5間・梁間3間、日吉造、向拝1間、檜皮葺。
1586年再建、1597年改修。国宝。
祭神は大国主。
正面の柱間(桁行)が5間もあり、非常に大規模な神社本殿。
様式は入母屋に見えますが、日吉造(ひよしづくり)というここでしか見られない特殊な様式が採用されています。日吉造は背面の構造に特徴があります。
背面の様子がこちら。
後方の軒が短くなっていて、軒先がM字型の断面を呈しているのが特徴的。
入母屋とはちがう様式であることがお解りいただけるでしょう。
日吉造を平たく説明するなら、「切妻屋根の正面と両側面に庇を設けたもの」といったところ。
このような様式になった理由としては、正面3間・側面2間の神座の正面と両側面に、外陣として庇を各1間くわえたためと思われます。日吉造が成立したのは、平安中期の10世紀ごろとのこと*1。
背面の細部意匠については後述します。
正面の向拝。
角柱を2本立て、舟肘木と軒桁で庇を支えています。
たいていは2つの角柱を梁(虹梁)でつなぐのですが、虹梁すらないというシンプルな造り。
向拝の縋破風。
縋破風の前方(写真右)の端は金色の金具で装飾されています。
軒桁に下がる桁隠しは、猪目懸魚。金色にメッキされていて華やか。
向拝の下には、角材の階段が7段。木口が金具で飾られています。
昇高欄は擬宝珠付きで、擬宝珠が金メッキになっています。
階段の下には浜床。
母屋の柱は円柱。
軸部は長押で固定され、頭貫木鼻はありません。長押には派手な金色の飾りや釘隠しがついています。
柱上は舟肘木。こちらも木口に金具。
母屋の左側面(西面)。
側面は3間。
正面側の柱間(写真右)には板戸が設けられています。これはおそらく通用の扉。縁側の欄干が途切れているのはこのためでしょう。
縁側は切目縁が4面にまわされています。欄干は跳高欄。縁束は円柱。
正面と同様、長押の上に中備えなどはなく、柱上は舟肘木が置かれているだけ。
軒裏は二軒繁垂木。背面側には隅木がないため、写真左奥は軒裏が途切れたような感じに見えます。
妻壁の様子。
奥まっていて見づらいですが、妻飾りは古風な豕扠首のようです。
拝みの猪目懸魚や、大棟鬼瓦を彩る金色がまぶしいです。
改めて背面の全体図。
壁面の様子や長押を見てみると、中央の3間が本当の母屋で、左右の1間は庇の軒下であることが推察できます。
背面の隅の詳細。
柱はいずれも円柱ですが、隅の柱には舟肘木がありません。
また、中央3間の柱と隅の柱は、長押のほかに虹梁のような部材でつながれています。
軒裏はなんとも言えない独特の納まり。
西面の縋破風。
こちらは飾り金具がないですが、桁隠しの猪目懸魚はメッキされています。
西本宮については以上。
*1:『神社の本殿 -建築にみる神の空間-』p.131 三浦正幸 著 2013年 吉川弘文館