今回は京都府京都市の松尾大社(まつお たいしゃ、まつのお たいしゃ)について。
松尾大社は京都市街西端の桂川右岸に鎮座しています。
創建は不明。上古の時代から松尾山の磐座で祭祀が行われていたようです。『秦氏本系帳』によると、701年(大宝元年)、秦都理という人物が勅命を受け、現在地に社殿を造営したのが当社のはじまりとのこと。創建以来、天皇家の崇敬が篤く、一条天皇をはじめ多くの天皇の参詣や寄進を受けました。平安時代の『延喜式』にも当社が記載され、名神大社に列しています。
中世以降は武家から崇敬され、遠方にも多数の社領を持っていたようです。安土桃山時代や江戸時代に至っても崇敬を受けつづけ、広大な社領が安堵されています。明治時代には社号を「松尾神社」と改称しましたが、戦後に現在の「松尾大社」に復しました。
現在の社殿のほとんどは、江戸前期から後期に再建されたもの。本殿は両流造というめずらしい様式で造られており、室町前期の建築という点でも貴重であることから、国の重要文化財となっています。また、酒造の神として現在も醸造業者の信仰を集めているほか、境内には酒造の資料館もあります。
現地情報
所在地 | 〒616-0024京都府京都市西京区嵐山宮町3(地図) |
アクセス | 松尾大社駅から徒歩3分 沓掛ICから車で15分 |
駐車場 | 100台(無料) |
営業時間 | 09:00-16:00 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | 松尾大社 |
所要時間 | 20分程度 |
境内
参道
松尾大社の境内は東向き。入口は桂川沿岸の住宅地に面しています。
松尾大社駅を出ると、「松尾大社」という交差点があり、道路上に一の鳥居がかかっています。明神鳥居で、扁額は「松尾大神」。
参道を進むと駐車場があり、二の鳥居が立っています。こちらも明神鳥居で、扁額は「松尾大神」。
鳥居の貫の部分には、榊の枝が吊るされています。
これは脇勧請(わきかんじょう)というもので、全部で12本吊るされており*1、これで各月の天候と作物の吉凶を占ったようです。
参道の左手には舟が置かれています。
祭礼で神輿を巡行させる際、この舟に神輿をのせて川を渡るようです。
参道右手には客殿。
楼門
二の鳥居の先には楼門が鎮座しています。
三間一戸、楼門、入母屋、桧皮葺。
1667年(寛文七年)上棟。
下層。
中央の柱間は広く取られ、左右の柱間には随神像が置かれています。
中央の通路部分の柱間。
柱は円柱、組物は三手先。
頭貫の上には、間斗束が2つ配されています。
向かって右の柱間。
頭貫に木鼻はありません。
左右の柱間は、中央の柱間よりも間隔が狭いため、中備えの間斗束は1つとなっています。
右側面(北面)。
側面は2間で、柱間は白い土壁。
組物や中備えは正面と同様。
上層。
柱は円柱で、正面3間。中央の柱間は板戸、左右は白壁です。
欄干の影になってしまいましたが、上層も頭貫木鼻はなく、純然たる和様建築です。
組物は三手先。持ち出された桁の下には軒支輪。
中備えは蓑束で、下層(中備えは間斗束)より少し手の込んだ意匠となっています。
縁側の欄干は跳高欄。
上層の左側面(南面)。
正面と同様の意匠です。
軒裏は二軒繁垂木。
背面。
正面と背面とで意匠は変わらず、ほぼ前後対称の造りとなっています。
拝殿
楼門をくぐると、参道右手に手水舎があります。
入母屋、桟瓦葺。
面取り角柱が使われ、虹梁木鼻は拳鼻。虹梁中備えは蟇股。
内部には格天井が張られています。
楼門の先は一段高い区画になっており、拝殿が鎮座しています。
拝殿は、入母屋(妻入)、檜皮葺。
造営年不明。
左側面(南面)。
正面側面ともに3間。いずれの面も吹き放ちですが、側面の柱間には腰壁がついています。
正面の軒先には、後補と思われる片持ちの庇がついています。
母屋柱は面取り角柱。柱上は舟肘木。
軸部は長押で固定され、中備えはありません。
内部は格天井が張られています。
拝殿の南側には神輿庫。
切妻、桟瓦葺。造営年不明、1863年移築。
縁側には大量の酒樽が積まれています。全国の酒造から奉納を受けているようで、私の地元の銘酒もありました。
中門と回廊
拝殿の後方はさらに一段高い区画となり、中央に中門、中門の左右には回廊がつながっています。
中門は、一間一戸、向唐門、檜皮葺。
1851年(嘉永四年)改築。
正面は1間、側面は2間で、構造的には四脚門に近い造り。
側面中央の主柱と、前後の控柱は、虹梁と長押で連結されています。
奥には本殿の母屋の扉が見えます。
前方の柱は几帳面取り角柱。上端がわずかに絞られています。柱の正面と側面には木鼻。
組物は出三斗。
正面の虹梁中備えは蟇股。
その上の妻虹梁には、笈形付き大瓶束が置かれています。
門の左右の回廊。こちらは向かって左のもの。
切妻、檜皮葺。
L字型に折れ曲がり、本殿の正面と左右を囲っています。
本殿
(※画像はWikipediaより引用、2014年頃の撮影)
中門と回廊の奥には本殿が鎮座しています。祭神は大山咋とイチキシマヒメ。
桁行3間・梁間4間、三間社両流造、檜皮葺。
1397年(応永四年)再建、1542年(天文十一年)に大改修を受けました。部材の大部分は大改修時のもののため、室町後期の1542年の造営と解釈されているようです。国指定重要文化財。
左側面(南面)。妻飾りは豕扠首、破風板には猪目懸魚が5つ下がっています。
側面は4間。中央の2間は母屋で、前後の各1間は向拝(外陣)。屋根は前後対称の造りとなっています。
このように正面と背面に外陣を設けた建築様式を、両流造(りょうながれづくり)といいます。厳島神社本殿(広島県廿日市市)や気多大社本殿(石川県羽咋市)など、類例は各地にいくつかありますが、流造の多さとくらべると両流造はきわめて数が少なく、非常にめずらしい建築様式です。
大棟は箱棟になっており、菊の紋があしらわれています。
めずらしい建築様式ですが、回廊に阻まれて細部の観察ができないのが惜しいです。
境内社
中門や回廊の左側(南)には、4棟の境内社が並立しています。こちらは右端に鎮座する衣手社と、そのとなりの一挙社。
2棟とも、一間社流造、銅板葺。見世棚造。
右から3番目の金刀比羅社。
一間社流造、銅板葺。
虹梁中備えは蟇股。渦状の彫刻が入っています。
向拝柱は角面取りで、側面には麒麟(?)の木鼻。柱上は連三斗。
母屋の組物は出三斗。
妻飾りは笈形付き大瓶束。笈形は若葉の意匠。
左端は祖霊社。
一間社流造、銅板葺。
ほか、回廊の北側にも境内社があったようですが、見落としてしまったため割愛。
以上、松尾大社でした。
(訪問日2023/02/22)
*1:旧暦の閏月のある年は13本になるらしい