甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【一宮市】真清田神社

今回は愛知県一宮市の真清田神社(ますみだ-)について。

 

真清田神社は市の中心部に鎮座する尾張国一宮です。

創建は不明。社伝では初代・神武天皇の時代の創建とされますが、第10代・崇神天皇の時代とする説もあるようです。

平安時代には確立されていて、『延喜式』には「真田神社」として名神大社に列しています。1165年の史料には「尾張国一宮」の記述があり、平安後期には一宮とされていたようです。鎌倉以降は広大な社領を有していましたが、安土桃山時代に地震で社殿が倒壊し、豊臣秀吉に社領を没収されて衰微します。江戸時代は尾張徳川家の庇護を受けました。近現代は、明治初期に現在の社号に改められますが、一宮空襲(1945年)ですべての社殿を焼失しています。

現在の境内社殿は戦後の再建ですが、本殿や祭文殿は当地に特有の「尾張造」の形式で再建されていて、計3棟が国の登録有形文化財となっています。また、当社は「一宮市」「尾張一宮」の地名の由来となった神社です。

 

現地情報

所在地 〒491-0043愛知県一宮市真清田1-2-1(地図)
アクセス 尾張一宮駅または名鉄一宮駅から徒歩10分
一宮東ICまたは一宮稲沢北ICから車で15分
駐車場 なし
営業時間 09:00-16:00
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 真清田神社
所要時間 15分程度

 

境内

楼門

真清田神社の境内は南向きで、市街地の中に社叢が茂っています。入口は道路の交差点に面しています。

境内入口には石造明神鳥居。

右の社号標は「真清田神社」。

 

楼門の前には神橋。

通行できないため、左か右に迂回して進みます。

 

楼門は、三間三戸、楼門、入母屋、銅板葺。

1961年再建。

 

正面は3間で、中央の柱間はやや広くとられています。

内部には3組の扉が設けられ、3間すべてが通路となっています(三間三戸)。

 

向かって左の柱間。

柱はいずれも円柱。

柱の上部には飛貫と頭貫があり、頭貫に木鼻がついています。木鼻は角ばったシルエットで、波状の彫刻があります。

柱上の組物は三手先。中備えは間斗束。

 

中央の通路部分は、貫のかわりに虹梁がわたされ、中備に蟇股があります。蟇股の彫刻は、若葉の意匠。

 

内部の通路部分。

門扉の上の中備えには板蟇股。板蟇股の上は、花肘木と二斗(ふたつど)を一体化した形状の組物が使われています。

 

上層。

軒裏は二軒繁垂木。

母屋は正面3間で、柱間は中央が桟唐戸、左右は連子窓です。

縁側は切目縁で、跳高欄が立てられています。

 

柱間には長押が使われ、中央の柱間の長押は一段高い位置に打たれています。

扁額は「真清田大神」。

扁額のうしろには、蟇股が配されています。

 

向かって左の柱間。

上層も柱は円柱で、下層と同様の頭貫木鼻がついています。

組物は尾垂木三手先。先端は飾り金具でカバーされています。

中備えは間斗束。

 

下層の左側面(西面)を、後方から見た図。

前後の柱間には腰貫が通り、腰貫の上には横板壁が張られています。

 

上層左側面。

こちらも側面2間。網がかかっていて見づらいですが、中備えは間斗束で、軒下の意匠は正面とほぼ同じです。

 

入母屋破風。

破風板には飾り金具がついています。拝みには猪目懸魚が下がり、左右の鰭は若葉の意匠。

妻飾りは、奥まった場所が影になってしまい、観察できませんでした。

鬼板には菊の紋があしらわれ、鳥衾が突き出ています。

 

楼門の左右には回廊がつながっています。こちらは向かって右(東側)のもの。

回廊は、桁行4間・梁間2間、切妻、銅板葺。

柱間は連子窓で、頭貫には楼門と同様の木鼻が使われていました。

 

楼門の背面全体図。

ほぼ前後対称の構造となっています。

 

手水舎

楼門をくぐると、参道左手に手水舎があります。

切妻、銅板葺。

 

柱は面取り角柱。主柱のとなりに細い控柱が添えられ、つごう12本の柱で構成されています。

虹梁の位置には、大仏様とも禅宗様ともつかない木鼻がついています。

柱上は舟肘木で、主柱と控柱でひとつの肘木を共有しています。

 

妻面。

控柱のあいだには無地の虹梁がわたされ、中備えは蓑束。

妻飾りは、蟇股のような形状の笈形付き大瓶束。

 

内部にも虹梁がわたされ、笈形付き大瓶束が棟木を受けています。

天井はなく、化粧屋根裏です。

 

拝殿

楼門の先には、尾張地域でよく見られる妻入屋根の拝殿が鎮座しています。

 

梁間3間・桁行8間、切妻(妻入)、向拝1間 切妻(妻入)、銅板葺。

戦後の再建です。詳細な年代は不明。

 

正面の向拝の切妻破風。

猪目懸魚が下がり、鰭は若葉の意匠です。

 

向拝の正面には虹梁がわたされ、中備えに蟇股があります。蟇股の彫刻は植物の意匠。

しめ縄の上の妻面は、豕扠首が使われています。

 

向拝柱は大面取り角柱。角ばった形状の木鼻がついています。

柱上の組物は出三斗。

 

祭文殿と本殿

拝殿(写真右)の後方には、祭文殿(さいもんでん)がつながっています。

祭文殿は、桁行3間・梁間3間、二重、切妻、銅板葺。

1956年再建。国登録有形文化財。

 

下層の柱は角柱で、柱間は窓と白壁が入っています。

上層の柱間は連子窓。妻壁には蟇股、豕扠首、破風板には懸魚が見えます。

 

祭文殿の左右には回廊(翼廊)が伸び、後方にある本殿を囲っています。これは、当地に特有の尾張造(おわりづくり)という建築様式です。

こちらは向かって左(西)の回廊。

梁間4間・桁行1間?、切妻、銅板葺。

 

柱は角柱で、柱上は舟肘木。前面は吹き放ちで、柱間に欄干があります。

 

右側(東側)の回廊の外から、本殿を見た図。回廊に阻まれ、本殿の詳細をみることはできません。

本殿の前(写真左奥)は渡殿(わたどの)という社殿で、屋根は本殿と一体化しています。

 

渡殿は、梁間1間・桁行3間、切妻(妻入)、銅板葺。

本殿は、桁行3間・梁間2間、三間社流造、銅板葺。

両者とも1954年再建。前述の祭文殿とともに国登録有形文化財。

祭神は天火明命(あめのほあかりのみこと)。

 

境内社(東側)

本殿および回廊の東側には、境内社の服織神社が並立しています。

 

服織神社の東側には三末社。

社殿は、三間社流造、向拝1間、銅板葺。見世棚造。

 

三末社の東側には、3棟の本殿が並立しています。

左から須佐之男社、愛宕社、秋葉社。

須佐之男社と愛宕社は、一間社流造、銅板葺。秋葉社は一間社神明造、銅板葺。

 

境内の東側の出入口には、東門が東面しています。

一間一戸、薬医門、切妻、銅板葺。

 

門扉は桟唐戸で、冠木に開けた穴で軸を受けています。

前後(写真では左右方向)にわたされた梁は、先端に繰型がついています。

妻飾りは束と笈形。蟇股のような形状で、若葉の彫刻が入っています。

 

境内南東の区画には池があり、池に浮かぶ島に社殿があります。

 

島には2棟の社殿が並立しています。

朱塗の社殿は厳島社。素木の社殿は八竜神社。

両者とも、一間社流造、銅板葺。

 

池と楼門のあいだには、稲荷社が西面しています。

 

稲荷社本殿は、一間社流造、銅板葺。

向拝の中備えや木鼻に彫刻があります。

 

境内社(西側)

拝殿向かって左(西)には、神水社なる名前の手水舎があります。

切妻、銅板葺。

 

柱は面取り角柱で、正面と側面に木鼻があります。

虹梁中備えは蟇股。

 

境内の西端の出入口には、西門が南面しています。

一間一戸、薬医門、切妻、銅板葺。

 

門の先には塀が立ち、塀の先に三八稲荷社(さんぱち いなりしゃ)の社殿があります。

当初は境内の北西端に鎮座しており、1951年に現在地に遷座され、現在の社殿が再建されたとのこと。

 

三八稲荷社の本殿は、一間社流造、銅板葺。

祭神はウカノミタマ。

 

以上、真清田神社でした。

(訪問日2023/03/11)