甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【京都市】今宮神社 前編(楼門など)

今回は京都府京都市の今宮神社(いまみや-)について。

 

今宮神社は市北部の住宅地に鎮座しています。

創建は1001年(長保三年)、疫病の神を船岡山から遷座し、当地に社殿を造ったのがはじまりです。当社の前身である摂社・疫神社は、平安遷都以前から当地に鎮座していたとのこと。応仁の乱では境内社殿を焼失しましたが、11代将軍・足利義澄によって1496年に再建されています。江戸時代は桂昌院(徳川綱吉の母)によって1694年に社殿の造営が行われています。

現在の境内は江戸中期から明治にかけて整備されたもの。社殿の大半は1896年の火災ののちに再建されたもので、そのほとんどが国の登録有形文化財です。とくに境内社の若宮社は、比翼春日造というめずらしい様式で造られています。ほか、やすらい祭、今宮祭などの祭礼でも著名なようです。

 

当記事ではアクセス情報および楼門などについて述べます。

拝殿、本殿、若宮社などについては後編をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒603-8243 京都府京都市北区紫野今宮町21(地図)
アクセス 北大路駅から徒歩25分
京都東ICから車で30分
駐車場 40台(1時間100円)
営業時間 09:00-17:00
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 紫野 今宮神社
所要時間 20分程度

 

境内

楼門

今宮神社の境内は南向き。大鳥居は、船岡山公園の北側の通りにかかっています。

 

大鳥居をくぐって200メートルほど北へ進むと、社頭に楼門があります。

楼門は、三間一戸、楼門、入母屋、銅板葺。

1926年(大正十五年)造営。左右の回廊も同年のもので、楼門・回廊ともに国登録有形文化財。

 

下層。

正面3間で、中央の通路部分は柱間が広く取られています。

正面は建具がなく、吹き放ち。

 

中央の柱間。

飛貫と頭貫が通り、頭貫の上には蟇股。蟇股は花と唐草の意匠。

 

正面向かって右の柱間。こちらも蟇股が入っています。

頭貫には拳鼻。

柱上の組物は二手先。

 

下層の左側面(西面)。

柱間は白壁で、目立った意匠はありません。

 

上層は3間。扁額は私には判読できず。

柱間は、中央は板戸、左右は連子窓。

 

柱は円柱。上層の軸部は、頭貫と長押で固定されています。頭貫には、下層と同じ意匠の木鼻があります。

柱上の組物は尾垂木三手先。柱間は間斗束。

 

縁側は切目縁で、欄干は跳高欄。

縁側の床板や、欄干の横木の木口には、飾り金具がついています。

 

上層の右側面(東面)。

中備えは間斗束。欄干の影になってしまい、柱間の建具の有無は確認できず。

 

背面。

正面と同様の意匠で、ほぼ前後対称の造り。

 

楼門向かって左の回廊(西廻廊)。

切妻、桟瓦葺。

 

柱は角柱で、軸間には長押が打たれ、柱間は連子窓。

窓と頭貫の上の中備えは間斗束。

側面(写真右)には板戸が設けられています。

 

柱は面取り角柱。C面(面取り)が大きく取られています。

頭貫木鼻は、若葉とも波ともつかない意匠。

組物は出三斗。

 

側面。こちらは頭貫の上に中備えがありません。

妻虹梁は無地の材が使われ、妻飾りは板蟇股。出三斗を介して棟木を受けています。

破風板の拝みには猪目懸魚。

 

反対側、向かって右の回廊(東廻廊)。

西廻廊と同様の造りです。

 

回廊と楼門の近接部は、基壇と足元の長押を曲げることで、高低差を処理してつないでいます。

 

手水舎と東門

楼門をくぐって右手へ行くと、東廻廊の裏に手水舎があります。

入母屋、銅板葺。

1694年(元禄七年)造営。楼門と同様に、国登録文化財です。

 

別名は「お玉の井」。桂昌院によって再建されたもの。

お玉は当地の八百屋の子で、徳川家光の側室となり徳川綱吉の母となった桂昌院の通名。「玉の輿」という言葉の語源とされますが、真偽のほどは不明。

桂昌院は多くの寺社に寄進しており、市内では当社のほかに、智積院、南禅寺、清凉寺などの造営に貢献しています。

 

柱は角柱。頭貫には象鼻。柱上は大斗と実肘木を組んだものが使われています。

柱間には飛貫と頭貫が通り、飛貫の上には蟇股が2つ、頭貫の上には蟇股が1つ置かれています。

 

入母屋破風は木連格子が張られ、拝みには三花懸魚。

 

境内の東側に出ると、当社の名物「あぶり餅」の店が並び、東門が東面しています。

東門は、一間一戸、薬医門、切妻、桟瓦葺。

1881年(明治十四年)造営。左右の築地塀も同年の造営で、東門・築地塀ともに国登録文化財。

 

柱は角柱。

腕木を出して桁をわたし、軒裏を受けています。標準的な薬医門の造りです。

 

内部。写真右が正面側。

妻飾りは豕扠首。内部は化粧屋根裏。

 

絵馬舎

楼門の左側(境内西側)へ行くと、絵馬舎が東面しています。

桁行6間・梁間2間、入母屋、桟瓦葺。

1800年(寛政十二年)造営。国登録文化財。

 

軒下には絵馬や扁額が掲げられています。

内部は石畳で、参拝者用の休憩所となっています。

 

妻飾りは二重虹梁で、蟇股が見えます。

破風板には鰭付きの蕪懸魚。

大棟には鬼瓦。

 

楼門などについては以上。

後編では拝殿、本殿、若宮社などについて述べます。