今回は滋賀県大津市の天孫神社(てんそん-)について。
天孫神社は大津駅の北側の市街地に鎮座しています。
創建は社伝によると延暦年間(782-806年)で、当初は同市中庄に鎮座していたようです。史料では『日本三代実録』の882年の記事に「海南神」の表記で当社が記載されています。鎌倉初期には佐々木定綱によって社殿が再建されましたが、室町時代には火災や水害に遭い、何度か移転しています。現在地に移転したのは元亀年間(1570-1573年)の火災のあとで、青地伊代守なる武将の寄進を受けて社殿が再建されました。桃山時代に大津城が築城された際はその余材で社殿が修復され、以降、大津城下の氏神として庶民の崇敬を集めます。江戸時代には「四宮神社」と呼ばれていましたが、明治時代に現在の社号に改められました。
現在の社殿は近現代に整備されたものと思われ、境内には摂社末社が点在しています。境内は桜の名所となっているほか、大津祭は多数の曳山が巡行する盛大なものとなっており、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒520-0044滋賀県大津市京町3-3-6(地図) |
アクセス | 大津駅または島ノ関駅から徒歩5分 京都東ICから車で15分 |
駐車場 | 3台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | 天孫神社(滋賀県大津市) |
所要時間 | 10分程度 |
境内
舞殿
天孫神社の境内は東向き。境内裏には中央大通りがあり、入口は住宅地の生活道路に面しています。
入口の鳥居は石造明神鳥居。扁額は「天孫神社」。
鳥居をくぐると左手に手水舎があります。
入母屋、桟瓦葺。
柱は几帳面取り角柱で、唐獅子と獏の木鼻がついています。
柱上の組物は出三斗。
虹梁中備えは蟇股。菊の花が立体的に彫られています。
参道の先には舞殿。滋賀県内ではこの舞殿のように4面すべてが吹き放ちとなった拝殿をよく見かけますが、公式サイトによると拝殿ではなく舞殿とのこと。
入母屋(妻入)、銅板葺。
柱は面取り角柱で、柱上は舟肘木。
柱間は貫と長押でつながれています。木鼻はありません。
軒裏は二軒まばら垂木。垂木の木口は金具でカバーされています。
正面と背面の中央の柱間の長押は、1段高い位置に打たれています。
内部には小組格天井が張られ、中央部が折り上げられています。
正面の軒下には石材の階段が設けられています。欄干の親柱は擬宝珠付き。
縁側は切目縁で、跳高欄が立てられています。
拝殿
舞殿の奥には、本殿に接続する拝殿があります。内部は土間床となっています。
入母屋、正面千鳥破風付、正面軒唐破風付、銅板葺。
正面の千鳥破風。
破風板の飾り金具には菊の紋があります。拝みには鰭付きの蕪懸魚が下がっています。
入母屋破風には木連格子が張られています。
正面の軒下。
唐破風の小壁や台輪の上の中備えに彫刻がありますが、金網がかかっています。
柱は円柱が使われ、軸部は貫や長押で固定され、柱上に台輪が通っています。中央の柱間は、台輪の下に頭貫ではなく虹梁が使われています。
柱は上端が絞られています。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。
柱上の組物は出組。
拝殿の後方には本殿。こちらは境内南側の道路から本殿左側面を見た図。
軒下に板が張られており、細部を観察することはできませんが、公式サイトに内部の写真が掲載されています。
桁行3間・梁間2間?、三間社流造、向拝3間、銅板葺。
祭神は、ホオリ、大国主、国之常立神、仲哀天皇の4柱。
境内社
境内には多数の境内社が点在しています。こちらは幣殿の左右に鎮座する末社。
両社とも、一間社流造、銅板葺。
舞殿向かって右側には3棟の社殿が南面しています。
左端は八幡神社などを合祀した社殿。
一間社流造、正面千鳥破風付、銅板葺。
向拝柱は几帳面取り角柱。側面に獏の木鼻があります。
柱上は連三斗。
虹梁中備えは蟇股。竜の彫刻が入っています。
正面の軒下には多数の社名が列挙された扁額が3つも掲げられています。
母屋柱は円柱で、頭貫に木鼻があります。
柱上の組物は出組。中備えにも出組が置かれ、組物のあいだには蟇股が配されています。
妻飾りは豕扠首。破風板には蕪懸魚が下がっています。
母屋柱は床下も円柱で、石材の礎石の上に立てられています。
縁束も円柱が使われていますが、こちらは土台となる横木の上に立てられています。
縁束の上には斗が使われ、花肘木のような部材を介して縁の下を受けています。
3棟のうち中央にあるのが稲荷社。
一間社流造、銅板葺。
小規模な社殿ですが、縁側や階段、浜床が設けられています。大棟には千木と鰹木。
右端は輻輳神社。初めて見る社名で、読みかたが分かりません。
入母屋、正面千鳥破風付、向拝1間、銅板葺。
母屋柱は円柱で、柱上は舟肘木。中備えはありません。
軒裏は一重の繁垂木。
以上、天孫神社でした。
(訪問日2024/06/15)