今回は群馬県富岡市の貫前神社(ぬきさき-)について。
貫前神社は富岡市街の丘陵の中腹に鎮座する上野国一宮です。
創建は、社伝によると27代・安閑天皇の時代とのこと。創建の経緯については諸説あり、史料上に見られる「抜鉾神社」と「貫前神社」の関連性など、不明点が多いです。当社の史料上の初見と思われるのは『続日本後記』で、「拔鋒神」の表記で記載されています。『日本三代実録』や『延喜式』には、「貫前神」「貫前神社」と記載されています。
鎌倉以降は武家の崇敬を受け、源氏や後北条氏に庇護されたり、武田氏によって社殿が造営されたりしました。江戸時代にも幕府の庇護を受け、3代将軍家光や5代将軍綱吉によって現在の境内や社殿が整備されました。江戸時代までは「抜鉾神社」と呼ばれていたようですが、明治時代に『延喜式』の記載にならって現在の「貫前神社」に改められました。
境内は丘陵の頂部付近に大鳥居や総門があり、北へ階段を下りた場所に本殿などが鎮座する、独特な「下り宮」となっています。主要な社殿は江戸前期のもので、楼門などの3棟が国の重要文化財に指定されており、とくに本殿はほかに例のない建築様式で造られています。
当記事ではアクセス情報および楼門、拝殿などについて述べます。
現地情報
所在地 | 〒370-2452 群馬県富岡市一ノ宮1535(地図) |
アクセス | 上州一ノ宮駅から徒歩15分 富岡ICまたは下仁田ICから車で20分 |
駐車場 | 20台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | 一之宮 貫前神社 |
所要時間 | 20分程度 |
境内
参道
貫前神社の境内は南向き。境内は市街地の中の丘陵上にあり、丘の頂部の平地に鳥居と総門があります。
こちらは境内南側の鳥居で、両部鳥居です。扁額はありません。
鳥居の先には総門と駐車場があります。
総門は、一間一戸、四脚門、切妻、銅板葺。
正面の軒下。
前方の柱は面取り角柱。柱上は大斗と実肘木。
柱間にわたされた梁の中備えも、大斗と実肘木です。木鼻は使われていません。
側面。
妻虹梁には、眉欠きと渦状の絵様が彫られています。妻飾りは板蟇股。
破風板の拝みには蕪懸魚。鰭は若葉の意匠。
総門から境内中心部を見た図。写真中央は楼門。
総門の先には下り階段があり、総門よりも低い位置に楼門や本殿などの主要な社殿が鎮座しています。坂を下って参拝する「下り宮」となっており、非常にめずらしい構成の境内です。
階段から総門背面を見た図。
階段を下ると、参道左手(西側)に末社の月読神社(つきよみ-)が東面しています。
入母屋(妻入)、銅板葺。
案内板(設置者不明)によると、この社殿は本社(貫前神社)の旧拝殿で、現在の拝殿が造られた1635年以前の建物らしいです。ただし、当初の形態がどこまで残されているのかは分かりません。
現在の拝殿が造られて以降、牛王神社堂として使用されていましたが、明治の神仏分離によって月読神社に改められました。
楼門の左手前、参道左手には手水舎。
入母屋、銅板葺。
楼門
総門から階段を下った先には、回廊のついた楼門があります。
楼門は、一間一戸、楼門、入母屋、銅板葺。
1635年(寛永十二年)造営、1698年(元禄十一年)改修。「貫前神社」3棟として国指定重要文化財。
下層は正面1間・側面2間。
柱は円柱が使われています。
正面の虹梁の上には台輪がわたされ、柱間には組物と蟇股が置かれています。組物は二手先です。
左側面(西面)。
こちらは台輪が使われず、柱間には長押が打たれています。
中央の柱は上層まで通っています。この柱の組物は、肘木を柱に差した構造(挿肘木)で、大仏様の組物です。
中備えは蟇股。
背面。
門扉は板戸。扉の軸は藁座で受けています。
上層は正面3間・側面2間。
正面の柱間は、中央が板壁、左右各1間が連子窓です。
隅の柱は円柱ですが、正面の内側の柱2本は角柱となっています。
柱上の組物は尾垂木三手先。中備えはありません。
上層の側面および背面。
側面も中備えがなく、柱間は板壁のようです。
軒裏は二軒繁垂木。
門の左右には、回廊がならんでいます。こちらは向かって左側(西側)のもの。
桁行5間・梁間2間、切妻、銅板葺。
造営年不明。
柱は角柱で、軸部は長押で固定され、柱上には舟肘木。
柱間には緑色の連子窓が設けられていますが、楼門寄りの1間(写真右)は窓の連子が菱形に組まれています。
妻飾りは板蟇股。
破風板の拝みには猪目懸魚。
向かって右(東)側の回廊については、左側のものを左右反転させた構造のため割愛いたします。
拝殿
楼門の先には極彩色の拝殿があります。
桁行3間・梁間3間、入母屋、正面軒唐破風付、檜皮葺。
1635年(寛永十二年)造営、1698年(元禄十一年)改修。「貫前神社」3棟として国指定重要文化財*1。
後述の本殿や、前編で述べた楼門とともに、3代将軍・徳川家光によって造営され、5代・綱吉による改修で現在の極彩色の姿となりました。
正面は3間。
中央の柱間には桟唐戸が設けられ、長押に穴をあけて戸の軸を受けています。
左右の柱間は腰壁と窓が使われています。
正面中央の軒下。
長押には輪違の文様、頭貫には菱形のパターンの文様が描かれています。
中備えは蟇股で、はらわたには花鳥の彫刻が入っています。蟇股の左右の壁面の絵は、唐草と鳳凰。
唐破風の虹梁には牡丹と唐草が描かれ、虹梁の上の小壁には雲が描かれています。
右側面(東面)。
側面も3間。側面の柱間はいずれも腰壁と窓。
縁側は切目縁が3面にまわされ、背面側は黒い脇障子を立てています。欄干はありません。
柱はいずれも面取り角柱。
柱上の組物は出三斗。
側面は、長押と頭貫のあいだの欄間に、波と神獣の絵が入っています。
入母屋破風。
破風板には金色の飾り金具がつき、拝みには猪目懸魚。
妻飾りは豕扠首。中央の束の左右には唐獅子が、豕扠首の斜め上には牡丹と思しき花が描かれています。
楼門や拝殿などについては以上。
*1:附:棟札1枚