甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【鎌倉市】建長寺 後編(仏殿、法堂、唐門)

今回も神奈川県鎌倉市の建長寺について。

 

前編では山門、鐘楼などについて述べました。

当記事では仏殿、法堂、唐門などについて述べます。

 

仏殿

三門の先には、当寺の本堂に相当する仏殿が鎮座しています。

桁行3間・梁間3間、一重、裳階付、寄棟、裳階正面軒唐破風付、瓦棒銅板葺。

江戸初期の造営、1647年(正保四年)移築国指定重要文化財

もとは徳川秀忠夫人の霊屋として増上寺(東京都港区)に建立された霊廟建築で、霊屋の建て替えに際して当寺に譲渡・移築されたもの。

 

下層は正面側面ともに5間。

中央の3間は二つ折りの扉、両端の各1間は火灯窓。

 

裳階(もこし)の唐破風部分。扁額は退色して判読できず。

下層(裳階)の軒裏は二軒繁垂木ですが、唐破風の部分の茨垂木はまばらになっています。

唐破風の兎毛通は猪目懸魚。

 

扉は羽目板のものですが、よくある桟唐戸とは形が異なります。

火灯窓は板が張られ、内部が見えなくなっています。

 

窓の上の欄間は、輪違のパターンの透かし彫り。

 

柱上の組物は出三斗。

台輪の上の中備えには、木鼻付きの出三斗が並んでいます。

 

向かって右手前(南西)の隅の柱。

柱は円柱で、上端が絞られた粽柱です。

頭貫と台輪には禅宗様木鼻。そしてなぜか台輪木鼻の上にミミズクの像が載っています。

 

右側面(南面)。

こちらには小屋が設けられていますが、組物の構造は正面とほぼ同じです。

 

上層は正面側面ともに3間。

軒下には組物がびっしりと配され、軒裏は放射状の垂木となっており、禅宗様建築の要素が非常に濃いです。

 

下層と同様に上端が絞られた粽柱で、頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。

組物は禅宗様の尾垂木三手先。中備えにも組物(詰組)が並びます。

 

左前方(北西)から見上げた図。

下層はすっきりした印象であるのに対し、上層は非常に情報量の多い造りとなっていて対照的。

 

背面。

下層には片流れの小屋が設けられています。上層は正面と同様の意匠。

 

内部。写真右が裳階部分、左奥の仏像のある空間が母屋部分。

裳階の空間には虹梁が渡され、化粧屋根裏となっています。

 

内部の虹梁の母屋側。母屋柱から斗栱を出して、虹梁の下部を持ち送りしています。

裳階と母屋をへだてる壁面には彩色の跡がありますが、なにが描かれていたのかはわからず。

 

母屋部分は折り上げ格天井が張られています。禅宗様建築は鏡天井を採用することが多いですが、この堂はもともと霊屋だった(禅宗様建築として造られたものではない)ため、格天井が採用されています。

本尊は地蔵菩薩。建長寺が開かれる前、当地には刑場があったようで、そのなごりで地蔵を本尊としているようです。

 

内部の正面中央の欄間彫刻。

松の木と天女が彫られた力作ですが、退色してしまっています。

 

法堂

仏殿の後方には法堂(はっとう)が鎮座しています。

桁行3間・梁間3間、一重、裳階付、入母屋、銅板葺。

1814年(文化十一年)上棟、1825年(文政八年)竣工国指定重要文化財

 

下層は正面側面ともに5間。

 

中央の3間は桟唐戸。

扁額は「東海法窟」。

 

左右両端の各1間は火灯窓。

 

柱はいずれも粽柱。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

組物は出三斗。

 

飛貫と頭貫のあいだの欄間には、細かな格子が張られています。ここは弓連子を使うのが禅宗様のセオリーですが、この格子も禅宗様の繊細なイメージとよく合致していると思います。

台輪の上の中備えは木鼻付き出三斗。

 

下層の側面は、桟唐戸、連子窓、縦板壁が使われています。

 

上層は正面側面ともに3間。

軒裏は平行の二軒繁垂木。

いちおう詰組も使われていますが、あまり禅宗様建築らしい外観ではありません。

 

粽柱が使われ、頭貫と台輪に禅宗様木鼻。

組物は拳鼻付きの二手先。

台輪の上の中備えは組物(詰組)が置かれていますが、組物のあいだには間斗束が立てられています。禅宗様というより、和様の要素が多分に含まれた意匠です。

 

上層側面。意匠は正面と同様。

 

入母屋破風の妻壁は、笈形付き大瓶束。

破風板の拝みには鰭付きの懸魚が下がっています。

 

内部の、裳階の空間。

仏殿と同様に、海老虹梁が渡され、化粧屋根裏になっています。

 

中央の母屋部分は鏡天井。竜の絵が掲げられています。

堂内には釈迦苦行像と千手観音座像が安置されています。

 

堂内向かって右には「華厳小宝塔」。長野県諏訪市の工匠の作。

禅宗様の三間五重塔婆で、初重(最下層)に裳階がついています。禅宗様の仏塔はほとんど例がなく、風変わりです。

 

唐門

仏殿・法堂の後方へと進むと、一段高くなった区画に唐門が鎮座しています。

一間一戸、四脚門、向唐門、銅板葺。

1628年(寛永五年)建立、1647年移築国指定重要文化財

前述の仏殿とともに、徳川秀忠夫人の霊廟から移築されたもの。2011年に解体修理が行われ、当初のきらびやかな姿が復元されています。

 

門扉は桟唐戸。

黒漆と飾り金具が多用され、江戸初期の霊廟建築の典型といえる作風。

 

正面側の柱は円柱。上端が絞られています。

頭貫と台輪に禅宗様木鼻が付き、柱上は出三斗。

 

台輪の上には中備えがありません。

妻面には、妻虹梁と大瓶束が使われています。

 

破風板の拝みには金色の菊の花の彫刻。その下の兎毛通は猪目懸魚。

鬼板には北条氏の三つ鱗の紋。ここは移築後の改造でしょう。

 

右側面(南面)。

側面は1間。

 

後方の柱は角柱が使われています。こちらも上端が絞られています。

 

背面側は、柱の形状と門扉がない以外は、正面とほぼ同じ造り。

 

唐門の脇から先へ進むと、方丈と庭園があります。

方丈の内部や庭園については撮影禁止のため割愛。

 

方丈は、入母屋、向拝1間、銅板葺。

境内入口の総門とともに、般舟院から移築されたもの。

 

ほか、建長寺の鎮守社にあたる半僧房や、隈研吾氏による設計の虫塚があるようですが、見てまわる時間がなかったため割愛。

国重文の昭堂と大覚禅師塔については、拝観できない区画にあるため割愛いたします。

 

以上、建長寺でした。

(訪問日2022/09/28)