甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【鎌倉市】建長寺 前編(三門、鐘楼)

今回は神奈川県鎌倉市の建長寺(けんちょうじ)について。

 

建長寺は市北部に鎮座する臨済宗建長寺派の大本山です。山号は巨福山、正式名称は建長興国禅寺。鎌倉五山の第一位に列しています。

創建は1253年(建長五年)。鎌倉幕府第5代執権・北条時頼による創建で、南宋から渡来した蘭渓道隆を招いて開かれました。伽藍も1253年に建立されたようですが、鎌倉後期の地震で倒壊し、以降、室町初期まで幾度もの火災に遭いました。江戸時代には幕府の寄進を受けて境内伽藍が再建されています。大正期には関東大震災で一部の伽藍を損傷しました。

現在の境内は江戸時代に整備されたもので、主要な伽藍の半数は京都や増上寺(東京都港区)から移築されたものです。梵鐘が国宝となっているほか、6棟の伽藍が国重文に指定されています。

 

当記事ではアクセス情報および三門、鐘楼などについて述べます。

仏殿、法堂、唐門については後編をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒247-8525神奈川県鎌倉市山ノ内8(地図)
アクセス 北鎌倉駅から徒歩15分
朝比奈ICから車で20分
駐車場 20台(600円)
営業時間 08:30-16:30
入場料 500円
寺務所 あり
公式サイト 建長寺
所要時間 1時間程度

 

境内

総門

建長寺の境内は西向き。

境内入口は、鎌倉市街から大船地区へ抜ける巨福呂坂(こぶくろざか)に面しています。

 

駐車場の先には総門。

総門は、一間一戸、四脚門、切妻、本瓦葺。

1783年(天明三年)造営、1940年移築。当初は京都市の般舟院*1という寺院の門だったようですが、明治の廃仏毀釈により維持が困難になったため、建長寺に寄付・移築したとのこと。

 

正面の軒下。

扁額は山号「巨福山」。渡来僧の一山一寧の揮毫とのこと。

「巨」の字は下に点がついていて、巨と臣の中間のような文字。境内の案内板やパンフレットにも、点のついた「巨」の字が使われていました。

 

手前の控柱は几帳面取り角柱。

象鼻が付き、柱上は大斗と肘木。

 

妻面。側面に冠木が突き出ています。

妻飾りは笈形付き大瓶束。

 

破風板の拝みと桁隠しには鰭付きの懸魚。鰭は菊の花が彫られています。

 

内部の通路部分を背面側から見た図。

主柱のあいだに渡された冠木の上には、蟇股が置かれています。蟇股の上には笈形付き大瓶束が2つ。

軒裏は二軒繁垂木で、化粧屋根裏です。

 

三門

総門の先は、有料の区画となります。拝観料を払って参道を進むと、三門が鎮座しています。

建長寺の境内は三門、仏殿、法堂、庫裏が一列に並び、禅宗寺院式の伽藍配置となっています。

 

三門は、三間一戸、楼門、二重、入母屋、正面軒唐破風付、こけら葺形銅板葺。

1775年(安永四年)再建国指定重要文化財*2

 

下層は建具がなく、柱と貫だけの開放的な造り。

正面は3間で、中央の1間が通路となっています(三間一戸)。

 

柱はいずれも円柱で、上端が絞られています(粽柱)。

柱の上部には頭貫と台輪が通っています。台輪の上の中備えは詰組。

 

隅の柱。

頭貫と台輪には禅宗様木鼻がついています。

柱上の組物は、拳鼻の付いた出組。

下層の屋根の軒裏は、平行の二軒繁垂木。

 

右側面(南面)。

側面は2間。軒下の意匠は正面と同じ。

柱の基部は、そろばん珠のような形状の礎石が使われています。

 

下層の通路部分。

柱間には飛貫虹梁が渡され、その中央には大瓶束が立てられています。

 

上層。軒唐破風が設けられています。

巨大な扁額は「建長興国禅寺」。

 

正面中央の柱間。扁額の下の建具は桟唐戸。

柱は下層と同様に粽柱で、上部に頭貫と台輪が通っています。

 

向かって左。こちらは火灯窓が使われています。

柱上の組物は禅宗様の尾垂木二手先。柱間にも組物が置かれています(詰組)。

 

右側面(南面)。

こちらの柱間は、舞良戸と縦板壁。

縁側の欄干は擬宝珠付き。

 

背面。

欄干の影になってしまいましたが、柱間は桟唐戸が使われています。

上層の軒裏は、禅宗様建築のセオリーだと放射状(扇垂木)にするのですが、この門は上層も平行垂木となっています。この門は禅宗様の意匠が多用されていますが、純粋な禅宗様建築とは言えないかと思います。

 

入母屋破風。

破風板の拝みと桁隠しには懸魚。

妻飾りには笈形付き大瓶束があります。

 

鐘楼(梵鐘)

三門向かって右手(南)には鐘楼。

分厚く葺かれた茅と、こんもりとした「むくり」の付いたシルエットが印象的。参道からはずれた位置にあり、ほかの伽藍よりも規模は小さいですが、それを感じさせないほどの存在感があります。

入母屋、茅葺。造営年不明。

 

主柱は円柱で、わずかに内に転びがついています。

主柱には、角柱の控柱が各2本添えられています。

 

虹梁の木鼻は、拳鼻。

柱上は出三斗。中備えは平三斗が置かれています。

軒裏は一重まばら垂木。重厚な外観に対して、内部や軒裏は軽快な印象。

 

内部には梵鐘が吊るされています。

1255年(建長七年)鋳造国宝

北条時頼の発願により、鋳物師・物部重光によって鋳造されたもの。建長寺の創建当初から残る遺品のひとつ。

 

三門、鐘楼などについては以上。

後編では、仏殿、法堂、唐門などについて述べます。

*1:天台宗の寺院。現在は西圓寺と号している。

*2:指定上の名称は「建長寺門」。