甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【京都市】知恩院 その3 経蔵、唐門、勢至堂

今回も京都府京都市の知恩院について。

 

その1では三門などについて

その2では御影堂、阿弥陀堂などについてのべました。

当記事では経蔵、唐門、勢至堂などについて述べます。

 

宝仏殿と納骨堂

御影堂のはす向かいには、宝仏殿が北面しています。

一重、裳階付、寄棟、向拝1間、本瓦葺。

 

向拝は1間。

向拝柱は几帳面取り角柱で、前面に木鼻があります。

虹梁中備えは蟇股。

 

下層の母屋は正面5間ですが、縁束を上へ伸ばして軒裏を受けているため、実質的に正面は7間あります。

縁側の柱(縁束)は円柱で、柱上は出三斗。頭貫には大仏様木鼻がついています。

 

上層も正面5間。

柱は円柱で、組物は出三斗と平三斗。中備えは間斗束。

軒裏は上層下層ともに二軒重垂木。

 

宝仏殿の東側には池があり、石橋の先に納骨堂が西面しています。

一重、裳階付、宝形、本瓦葺。

 

下層は正面3間。

中央は桟唐戸、左右は連子窓。

柱は細い面取り角柱が使われ、柱上は出三斗と平三斗。

 

上層は正面2間。

組物は尾垂木三手先。中備えは間斗束。

頂部や隅棟には、鳳凰の像が置かれています。

 

経蔵

御影堂向かって右(東)には、経蔵が西面しています。

桁行3間・梁間3間、一重、裳階付、宝形、本瓦葺。

1621年(元和七年)再建。「知恩院経蔵」として単独で国指定重要文化財です。

 

堂内には輪蔵(回転式の書架)があり、その手前には輪蔵の考案者である傅大師の像が祀られています。

内部の壁や天井には仏画が描かれているとのこと。

 

下層正面。

前述の宝仏殿と同様に、母屋は3間四方なのですが、その周囲に柱が立てられ、実質的に5間四方となっています。ただしこちらの経蔵は室内室外ともに土間で、縁側はありません。

母屋の正面は、中央部が桟唐戸、左右は火灯窓です。

 

柱はいずれも上端が絞られた円柱。

組物は出三斗。台輪の上の中備えも出三斗です。

 

隅の柱。

頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

側柱(外周の柱)と母屋柱は、貫でつながれています。

下層の軒裏は二軒重垂木。

 

右側面(南面)。

側面も3間で、柱間は桟唐戸と火灯窓です。そのほかの意匠も正面と同様。

 

上層の正面。

上層も3間四方で、粽の円柱が使われています。

 

上層右側面。

頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

組物は尾垂木三手先。中備えは蓑束。禅宗様の意匠が目立つなかで、組物と中備えは和様の意匠です。

上層の軒裏は、放射状(扇)の二軒重垂木。

 

屋根の頂部には、露盤と宝珠。

露盤の側面は、格狭間が2つ並んだ意匠。

 

唐門

御影堂の裏手には集会堂や方丈があり、方丈の手前に唐門が南面しています。なお、この唐門は通行できませんが、御影堂の裏の山廊を進むと方丈の拝観ができます。

唐門は、一間一戸、四脚門、入母屋、正面背面軒唐破風付、檜皮葺。

1641年(寛永十八年)造営。「知恩院唐門」として国指定重要文化財

 

向かって左の控柱。上端が絞られた几帳面取り角柱です。

正面と側面には木鼻が付き、柱上は出三斗。

 

虹梁は眉欠きと袖切が彫られ、隅のほうに薄い線で小さく絵様が描かれています。

中備えの蟇股には、鶴乗り仙人(王子喬?)の彫刻。

その上の妻虹梁には、笈形付き大瓶束があります。笈形は若葉の意匠で、ここに若葉を彫るのはめずらしいと思います。

 

御影堂背面の山廊から、唐門左側面(西面)を見た図。

正面だけでなく、背面にも唐破風が付いているのが確認できます。

入母屋破風には木連格子が張られ、拝みには蕪懸魚が下がっています。

 

勢至堂

御影堂東側の経蔵の近くには、境内上段の勢至堂と御廟へつづく石段があります。

参道左手には、浄土宗の開祖・法然の像。

 

石段の先には、勢至堂が南向きに鎮座しています。

入口の門は、一間一戸、薬医門、切妻、本瓦葺。

 

柱は角柱。

腕木を前方に伸ばして軒裏を受けています。

 

門の左手には鐘楼。

切妻、本瓦葺。

 

柱は円柱で、組物は出三斗。中備えは間斗束。

鐘を吊るす横木の先端は木鼻になっており、妻飾りの意匠の一部となっています。

 

勢至堂は、桁行7間・梁間7間、入母屋、本瓦葺。

1530年(享禄三年)造営。「知恩院勢至堂」として国重文

 

知恩院の伽藍のほとんどは江戸前期の境内拡張にともなって再建されたものですが、この堂にかぎっては室町後期のもので、当寺の最古の伽藍となっています。

ここは法然が晩年を過ごした大谷禅房の跡地で、当初の知恩院はこの勢至堂の近辺だけが境内の領域だったとのこと。

本尊の勢至菩薩像は鎌倉時代の作で、重要文化財です。勢至菩薩はたいてい阿弥陀三尊の脇侍として祀られますが、法然の幼名は「勢至丸」で、そのため法然の本地仏として勢至菩薩が単独で祀られているようです。

 

正面は7間。柱間は中央が板戸で、ほかの6間は障子戸。

扉の上の扁額は「本地堂」。

 

柱は角柱で、柱上は舟肘木。

軒裏は二軒まばら垂木。

縁側は切目縁で、側面には脇障子が立てられています。

 

勢至堂向かって左の堂には、大仏の顔が収められていました。

 

御廟

勢至堂の向かって右側(東側)には境内の最上段に至る階段があり、階段の先には法然の廟所(御廟)があります。

こちらは階段の途中にある蓮華堂。西向き。

桁行3間・梁間2間、宝形、本瓦葺。

 

柱は上端が絞られた円柱で、頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。

柱上の組物は出三斗と平三斗。

 

側面は2間。柱間は火灯窓。

縁側はありません。

 

蓮華堂の先には、御廟が南面しています。上の写真は勢至堂付近から見上げた図。

右が御廟拝殿、中央の低い屋根が御廟唐門、左が御廟堂。

 

御廟拝殿を正面から見た図。

御廟拝殿は、桁行3間・梁間2間、入母屋、檜皮葺。

案内板*1によると江戸時代の造営で、府指定文化財。

 

正面は3間で、建具は中央が桟唐戸、左右各1間が蔀です。

 

柱は角柱で、頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。

柱上の組物は、大斗と花肘木を組んだもの。

台輪の上の中備えは蟇股で、竜などの彫刻がありました。

軒裏は二軒まばら垂木。

 

拝殿の先には御廟唐門。

一間一戸、向唐門、檜皮葺。

こちらも拝殿と同様に江戸時代のもので、府指定文化財。

 

門扉は桟唐戸で、上部の羽目板には三葉葵の紋がついています。

下のほうの羽目板には、輪違の透かし彫り(花狭間?)や、格狭間が入っています。

扉の影になってしまいましたが、門の左右には脇障子のようなついたてがあり、こちらも輪違の透かし彫りがあります。

 

門扉の上の欄間には、雲の彫刻。中備えの蟇股には竜の彫刻があります。

妻虹梁の上には大瓶束が立てられ、その左右は牡丹と思しき花の彫刻。

破風板には兎毛通が下がり、鰭の部分は若葉の意匠。

 

最奥部の廟堂は、桁行3間・梁間3間、宝形、本瓦葺。

こちらも江戸時代のもので府指定文化財です。

進入できるのは拝殿の縁側までとなっており、廟堂の細部を観察するのはむずかしいです。

縁側はなく、柱は円柱で、柱間は火灯窓。頭貫と台輪に禅宗様木鼻があり、柱上は出組、中備えの蟇股には彩色された彫刻が見えます。また、飛貫と頭貫の間にも欄間彫刻が入っていますが、保護用のアクリル板が反射してよく見えず。

 

最後に、拝殿からの眺望。

右手前は勢至堂。奥には京都市街が望めますが、訪問時は雨天で、東山区の市街地よりむこうは見えず。

 

ほか、境内には国重文の大鐘楼があったのですが、見落としてしまったので割愛。再訪の機会があれば、方丈などとあわせて加筆したいと思います。

 

以上、知恩院でした。

(訪問日2023/02/24)

*1:京都府文化財保護基金による設置