今回は静岡県静岡市の臨済寺(りんざいじ)について。
臨済寺(臨濟寺)は静岡市街に鎮座する臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は大龍山。
創建は室町後期。享禄年間(1528~1532年)に今川氏親が太原雪斎を招いて開いた善得院という寺院が当寺の前身です。1536年(天文五年)に今川義元によって現在の寺号に改められ、今川家の菩提寺となりました。太原雪斎の活躍により勅願寺としても隆盛しましたが、1582年に武田氏の侵攻を受けて境内伽藍を焼失しました。今川氏および武田氏滅亡後は徳川家康が当地を領し、天皇の勅願を受けて現在の本堂が再建されています。今川家の人質であった竹千代(徳川家康)は当寺で手習いを受けていたため、江戸時代を通して幕府から篤く崇敬されました。
現在の境内は江戸初期以降のもの。とくに本堂は徳川家康の時代に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。庭園は国の名勝に指定されているほか、今川氏・徳川氏にまつわる寺宝を多数所蔵しています。また、墓地には太原雪斎、中村一氏などの戦国武将の墓所もあるようです。
現地情報
所在地 | 〒420-0885静岡県静岡市葵区大岩町7-1(地図) |
アクセス | 新静岡駅から徒歩35分 静岡ICまたは新静岡ICから車で15分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 09:00-16:00 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
山門
臨済時の境内は南東向き。入口は住宅地の生活道路に面しています。境内に入ると、一段高い区画に山門と新仏殿(写真左端)が鎮座しています。
山門は、三間一戸、楼門、入母屋、銅板葺。
『静岡案内』(1918年、浦田張洲 編)によると1887年頃の再建らしいです。
下層。
正面3間で、中央の1間が通路となっています。
左右の柱間には仁王像。この仁王像は幕末まで静岡浅間神社にあったもので、明治初期の神仏分離令を受けて当寺に移されたようです。
正面中央の柱間には虹梁がわたされています。虹梁の両端は、下面に斗栱と象鼻を添えて持ち送りとしています。
台輪の上の中備えは蟇股。
向かって左。
柱は円柱で、柱間には飛貫と頭貫虹梁が使われています。
飛貫虹梁の上の中備えは蟇股。木鼻は禅宗様の拳鼻がついています。
柱の上部には頭貫と台輪が通り、禅宗様木鼻がついています。
柱上の組物は三手先。
左側面。側面は2間で、柱間は横板壁。
柱間は飛貫虹梁、頭貫、台輪でつながれています。飛貫虹梁の上の中備えはありませんが、台輪の上には正面と同様の蟇股があります。
内部の通路部分。
台輪の上の中備えは板蟇股。
天井は、格天井となっています。
上層。扁額は山号「大龍山」で、徳川慶喜の揮毫とのこと。
上層も正面は3間。欄干の影になって見づらいですが、中央は板戸、左右は連子窓が使われています。
軒裏は平行の二軒繁垂木。
向かって左。
上層の柱は、上端が絞られた円柱。柱間は貫でつながれ、柱上には台輪がありますが、木鼻は使われていません。連子窓の上には長押が打たれています。
台輪の上の中備えは透かし蟇股。
柱上の組物は尾垂木三手先。桁下には軒支輪があります。
左側面。
上層側面は2間とも連子窓です。
破風板の拝みには猪目懸魚が下がり、妻飾りには笈形付き大瓶束が使われています。
背面全体図。
各所の意匠は正面とほぼ同じです。
左右には築地塀がつづいています。
本堂(方丈)
山門からまっすぐ進んで階段を上った先には本堂が鎮座しています。
本尊は阿弥陀如来。
現在も道場として使われているため、堂内拝観は年に数回の特別公開のときのみとなっています。
桁行22.7m、梁間16.8m、入母屋、こけら葺。
江戸前期の造営。国指定重要文化財。
正面の軒下。扁額は右横書きで「勅東海最初禅林」。
手前の賽銭箱には三葉葵の紋。
正面には縁側が設けられ、縁側と庇の境界に柱が立てられています。縁側から1段上がった通りは庇の空間で、その奥(写真右)の建具のある部分が母屋です。
母屋の建具は、桟唐戸、半蔀、舞良戸、障子戸、襖が使われ、和様と禅宗様の折衷です。
柱はいずれも角柱が使われ、母屋の柱の上には舟肘木が使われています。
縁側と庇の境界部に立つ柱。
江戸初期のもののため、面取りの幅が大きめに取られています。
母屋向かって右側。
襖には松や鶴が描かれています。
向かって左にある玄関部分。
向唐破風、こけら葺。
門扉は桟唐戸。羽目板には三葉葵の紋があります。
柱は上端が絞られた角柱。頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。
柱上の組物は出三斗。組物の上の妻虹梁は、写真左に若葉状の木鼻がついています。
台輪の上の中備えは平三斗。通肘木を介して妻虹梁を受けています。
妻虹梁の上には大瓶束。
本堂周辺の伽藍
本堂向かって左には禅堂。
入母屋(妻入)、桟瓦葺。
妻飾りは虹梁と大瓶束。
拝みには蕪懸魚が下がり、左右の鰭は雲の意匠。
禅堂向かって右(北東)にも名称不明の伽藍があります。
屋根は、宝形、正面軒唐破風付、銅板葺でした。
本堂向かって右手前には鐘楼。
入母屋、桟瓦葺。袴腰付。
柱は角柱で、頭貫に拳鼻がついています。
柱上の組物は出三斗。中備えは平三斗。
妻飾りは豕扠首。
拝みには猪目懸魚。
新仏殿
境内下段、山門向かって左側(西側)には新仏殿が鎮座しています。
1997年建立。
桁行3間・梁間3間、一重、裳階付、入母屋、銅板葺。
「一重、裳階付、入母屋」は禅宗様建築の典型。同様式の建築は国内に何件かありますが、中でも鎌倉市の円覚寺舎利殿や下関市の功山寺仏殿によく似ていると思います。
下層。
上層は3間四方で、その周囲1間に裳階(もこし)をまわしているため、下層は5間四方となります。
建具は、中央の3間が桟唐戸、左右両端の各1間は火灯窓。
正面中央の柱間。
桟唐戸の軸は、飛貫についた藁座で受けています。
飛貫と頭貫のあいだには、波状の弓欄間。中央には宝珠の意匠。
いずれも禅宗様の意匠です。
向かって右の2間。
こちらも飛貫の上に弓欄間が入っています。
火灯窓と腰貫の下は、縦板壁が張られています。
柱は上端が絞られた円柱(粽柱)。頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。
柱上の組物は出三斗。台輪の上の中備えは、詰組(平三斗)があります。
右側面。
中央とその後方の柱間は、縦板壁が使われています。
組物や欄間などの意匠は正面と同様。
上層。
こちらも粽柱が使われ、頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。
柱上の組物は出組。中備えにも同様の詰組が並んでいます。
軒裏は放射状(扇垂木)の二軒繁垂木。
以上、臨済寺でした。
(訪問日2024/04/13)