甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【河内長野市】観心寺 後編(金堂、建掛塔、開山堂など)

今回も大阪府河内長野市の観心寺について。

 

前編では鎮守堂、恩賜講堂などについて述べました。

当記事では金堂、建掛塔、開山堂などについて述べます。

 

金堂

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境内奥の中心部には金堂が鎮座しています。

桁行7間・梁間7間、入母屋、向拝3間、本瓦葺。

正平年間(1346-1370)の建立国宝

本尊は如意輪観音で、こちらも国宝。

 

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室町時代初期(南北朝時代)の大型の仏堂で、各所の意匠は和様をベースとしていますが部分的に禅宗様が取り入れられ、折衷様となっています。

建築様式や外観は同市の金剛寺金堂(国重文)と似ています。

 

堂内は前方2間通りが外陣となっており、靴を脱いであがることができます。

内陣の左右1間通りは脇陣、後方の1間通りは後陣となっているようです。

 

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正面の向拝は3間。

 

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向拝柱は角面取り。面取りの幅が大きく取られています。

柱上の組物は出三斗。柱の側面に設けられた斗栱が連三斗を持ち送りしています。

虹梁は無地の材のもので、中備えは二つ斗。

 

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組物の上では手挟が軒裏を受けています。手挟は渦巻や花の意匠が彫られ、カラフルに彩色されています。

縋破風から下がる桁隠しは、中央に菊の意匠、左右両端は緑色の若葉の意匠。

 

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向拝柱と母屋をつなぐ懸架材はありません。

母屋の正面は7間。左右両端の各1間は連子窓が設けられ、中央の5間は両開きの桟唐戸となっています。紅白の彩色は和様の意匠ですが、禅宗様の意匠である桟唐戸にもその彩色が使われているのが特徴的。

 

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母屋柱は円柱。

軸部は頭貫で固定されています。長押を使わないのは禅宗様風の造りです。頭貫には木鼻が付いています。

柱上の組物は出組。隅の組物には尾垂木があります。

頭貫の上の中備えは二つ斗。

 

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側面。こちらも7間で、柱間は桟唐戸としっくい壁。

縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干はありません。

縁の下は縁束で支えられ、母屋は亀腹の上に立てられています。

 

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背面。こちらは中央の3間に桟唐戸があります。

床下の亀原の部分は表面のしっくいがところどころ剥がれてしまっており、その修復のため左官職人が修復作業をしていました。

 

阿弥陀堂と御影堂

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金堂の東側には小さな池があり、その中の小島には弁天堂があります。

一間社流造、本瓦葺。

神社本殿で本瓦葺はめずらしいと思います。

 

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弁天堂の東側には阿弥陀堂。

桁行3間・梁間3間、宝形、本瓦葺。

 

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柱は角柱で、柱間は桟唐戸と舞良戸。

組物は大斗と実肘木、中備えは板蟇股。

 

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阿弥陀堂の東側、少し石段を登った先には御影堂。

桁行3間・梁間3間、宝形、向拝1間、桟瓦葺。

江戸中期の再建。府指定文化財。

 

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向拝柱は角面取りで、柱上は舟肘木。

虹梁はありますが、中備えや木鼻がありません。

 

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母屋柱も角柱。柱上は舟肘木。

柱間は蔀で、蔀の下は障子戸。

 

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阿弥陀堂のとなりには行者堂。

屋根は宝形銅板葺ですが、銅板の下から茅がはみ出ているうえ、途中から桟瓦葺になっています。

 

建掛塔

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阿弥陀堂の南側には建掛塔(たてかけとう)。写真は西面で、こちらが正面のようです。

桁行3間・梁間3間、宝形、茅葺。

1502年(文亀二年)再建国指定重要文化財

 

塔という名前がついていますが、一重の平屋となっています。

南北朝時代、楠木正成の発願で三重塔を造ることになったのですが、初重(一重目)を造った段階で楠木正成が戦死してしまったため、初重に屋根をかけるなどの改造を加えていちおうの完成としたものです。ただし当初の塔は焼失しており、これは焼失前の塔を再現して1502年に再建されたもの

 

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柱は円柱。正面側面ともに3間あります。

中央の柱間には両開きの板戸。左右の柱間は貫があるだけで、窓などのない壁面になっています。

母屋の周りには切目縁がまわされています。欄干はありません。

 

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軸部は長押と頭貫で固定され、木鼻は使われていません。純粋な和様の造りです。

組物は尾垂木三手先。中備えは間斗束。

桁のあいだをふさぐ部材がないため、隙間から母屋の小屋組が覗いて見えます。

 

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建掛塔の南には鐘堂。

切妻、銅板葺、袴腰付。

台形の石積みの上に乗り、その形状に合わせたように下層が袴腰になっています。

 

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柱は角柱で、上端が絞られています。

虹梁木鼻は拳鼻、中備えは波の意匠の蟇股。

妻飾りは笈形付き大瓶束。

破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。懸魚とその左右の鰭は雲状の意匠で、流麗な造形です。

 

開山堂と楠木正成首塚

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境内東端には開山堂が鎮座しています。

桁行3間・梁間3間、宝形、檜皮葺。

1646年再建。府指定文化財。

 

開山堂の後方には、空海の一番弟子であり当寺の実質的な開山者である実恵(道興大師)の廟があるようですが、よく見えず。

 

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正面は3間で、中央は2つ折れの桟唐戸、ほかの柱間は舞良戸。

 

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柱は円柱で、頭貫木鼻がついています。

柱上は出三斗。中備えは平三斗。

 

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軒裏は一重繁垂木。放射状に延びた扇垂木になっており、ここは禅宗様の意匠です。

 

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開山堂のとなりには楠木正成の首塚。この写真ではほとんど写っていないですが、二重の瑞垣の奥にある石塔が首塚です。

楠木正成は湊川の戦い(1336)で足利軍に敗れて自害しました。その首は足利軍によって京の六条川原に晒されたのち故郷の河内へ送り返され、菩提寺である当寺で供養されています。

 

以上、観心寺でした。

(訪問日2021/11/20)