甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【河内長野市】金剛寺 その2(多宝塔、金堂、鐘楼)

今回も大阪府河内長野市の金剛寺について。

 

その1では南門、楼門、食堂、竜王三社について述べました。

当記事では多宝塔、金堂、鐘楼について述べます。

 

多宝塔

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食堂の前を進むと境内は一段高い区画に入ります。この区画は南側に多宝塔、北側に本堂が鎮座しています。まずは多宝塔から紹介。

 

多宝塔は三間多宝塔、木賊葺。木賊葺(とくさぶき)は板葺の一種で、ここではサワラ材の薄板が使われているとのこと。

国指定重要文化財

建立は平安時代とのことで、現存する多宝塔として日本最古の歴史があります。ただし1606年(慶長十一年)に豊臣秀頼による大改修で大幅に改変されており、実質的に江戸時代の最初期(安土桃山時代)のものです。当初の姿のまま残っていれば確実に国宝指定されていたと思われます。

 

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下層は正面・側面ともに3間。

安土桃山風の紅白の彩色になっていますが、これは平成期の改修工事(2012年から開始)後の姿で、改修前は彩色されていない素木の姿でした。後述の金堂も改修前は素木だったようです。

 

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中央の柱間は板戸、左右は緑色の連子窓。柱は角柱が使われています。

河内長野市役所がYouTubeに公開した動画によると、内部には円柱の四天柱が立てられ、柱や壁面にはびっしりと仏画が描かれています。

 

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柱は非常に大きく面取りされています。面取りの幅から推察するに、ここは建立当初の平安期のものではないでしょうか。

軸部は長押で固定され、頭貫木鼻はありません。

組物は出組。桁下には軒支輪。

 

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組物のあいだの中備えは蟇股。

はらわたの彫刻は牡丹などの植物が題材。改修工事をしてからまだ日が浅いため、鮮やかな彩色が保たれています。

 

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側面も同様の意匠。

縁側は切目縁で、擬宝珠付きの欄干が立てられています。

軒裏は二軒繁垂木。

 

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上層は亀腹の上に造られ、母屋と縁側は円形になっています。標準的な多宝塔の造りです。

上層も柱は円柱で、柱間には板戸や連子窓が見えます。軒裏は二軒繁垂木。下層とちがって中備えはありません。

 

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組物は肘木で4回ほど持ち出しているので四手先だと思います。なおWikipediaには九手先と書かれており、隅の組物の斗の並び方で数えるとたしかに九手先まで持ち出しています。

 

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屋根の頂部には相輪。

四角い露盤の上に立てられ、標準的な九輪となっています。

 

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多宝塔の南側には経蔵が北面しています。

切妻、桟瓦葺、向拝1間。

「金剛寺22棟」として国重文。

 

金堂

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境内中心部、多宝塔の北側には金堂(こんどう)が南向きに鎮座しています。

桁行7間・梁間7間、入母屋、向拝1間、背面1間通り三間庇、本瓦葺。

1320年(元応二年)再建1605年(慶長十年)に豊臣秀頼によって改修されています。多宝塔と同様、実質的に江戸時代最初期のものと解釈すべきでしょう。

国指定重要文化財

 

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(写真はパンフレットより引用)

堂内には本尊と脇侍の三尊が安置されています。

本尊は大日如来(木造大日如来坐像)で、平安期の造像。向かって左は木造降三世明王坐像、右は木造不動明王坐像で、両者とも鎌倉期の造像。これら3体で国宝に指定されています。

パンフレットの解説文いわく“智證大師請来の尊勝曼荼羅を極めて忠実に立体化して表現されたもので、他に類例を見ない”とのこと。

 

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大型の仏堂ですが向拝は1間。

向拝の軒下はいかにも安土桃山期らしい極彩色で飾られ、非常に色鮮やかで美麗な雰囲気。

 

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向拝柱は几帳面取り。外側(写真右側)には獏の頭の彫刻。

組物は連三斗。

 

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反対側の柱を、母屋のほうから見た図。

組物の上では桁と手挟が軒裏を受けています。桁は緑色に彩色され、手挟は雲の意匠。

写真左端に見える虹梁は、見切れてしまっていますが鳳凰が描かれています。

向拝柱と母屋をつなぐ懸架材はありません。

 

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虹梁には雲間を飛ぶ天女が描かれています。

中備えの蟇股には蓮の花が彫られ、花の上は丸に梵字が小さく書かれています。

 

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極彩色になっているのは上部だけで、向拝柱の下部は赤を基調とした彩色。几帳面取りの部分が黒く塗り分けられていますが、下端のほうは日光や雨が直に当たるせいか黒い塗りが剥げてしまっています。

向拝の下には角材の階段が5段。欄干の親柱は擬宝珠付き。

 

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母屋の正面(桁行)は7間。

中央の5間は桟唐戸で、左右両端の各1間は連子窓。

縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。

 

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母屋柱は円柱。軸部は長押と頭貫で固定されています。頭貫には拳鼻。

組物は三斗。隅の部分は出三斗で、ほかは木鼻のついた平三斗が使われています。

中備えはいずれも間斗束と実肘木。

 

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側面(梁間)も7間。

柱間は連子窓、板戸、しっくい塗りの壁となっています。

組物や中備えは正面と同様。

 

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背面には幅3間の庇が付加されています。

背面向かって右は、背面・側面ともに壁になっています。

 

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3間のうち中央の1間には唐破風(平入)の孫庇が付き、床下は腰組によって支えられています。

 

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背面向かって左は壁がなく吹き放ちの空間。

庇の柱は円柱。2方向に拳鼻がついています。

虹梁の上の蟇股は、正面の向拝のものと似た蓮の意匠。虹梁、蟇股ともに極彩色に塗り分けられています。

 

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妻飾りは虹梁と大瓶束。

破風板の拝みには大きな猪目懸魚が下がっています。

 

鐘楼

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金堂向かって右奥には鐘楼。奥に見える茅葺の屋根は摩尼院

桁行3間・梁間2間、入母屋、本瓦葺。下層は袴腰。

室町時代前期の造営。国指定重要文化財。

 

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柱は円柱で、上端がわずかに絞られています(粽)。柱間は連子窓。

頭貫と台輪には禅宗様木鼻が設けられています。

柱上の組物は尾垂木三手先。中備えはありません。

軒裏は二軒繁垂木で、扇垂木になっています。

 

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下層。

縁側は切目縁で、跳高欄が立てられています。縁の下は三手先の腰組で支えられています。

黒い袴腰の上の貫と台輪にも禅宗様木鼻がついています。

 

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入母屋破風の内部の妻飾りは、虹梁と大瓶束。結綿の部分が緑色に塗り分けられています。

破風板の拝みには猪目懸魚。大棟には鬼瓦。

 

多宝塔、金堂、鐘楼については以上。

その3では薬師堂、五仏堂、御影堂などについて述べます。