今回は長野県茅野市ちの横内(ちのよこうち)の達屋酢蔵神社などについて。
大天白社
所在地:〒391-0001長野県茅野市ちの横内(地図)
茅野駅から達屋酢蔵神社へ行く途中には、大天白社(だいてんぱくしゃ)という神社があります。
覆いの中にある本殿は、こけら葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)、向拝は軒唐破風(のき からはふ)付き。
“一間社流造 軒唐破風付き”という様式は諏訪地域の神社でよく見かけます。
茅野市教育委員会の案内板によると、この本殿は1850年の造営で、棟梁は二代目和四郎こと立川和四郎富昌(たてかわ わしろう とみまさ)。諏訪大社上社本宮を造営した名工の晩年の作です。
彫刻の内容については以下のとおりです。
向拝柱の木鼻は唐獅子と象頭、表虹梁上に粟穂に鶉、その上の万寿頭には宝尽くし。母屋正面小脇羽目に上り龍下り龍、蟇股内に唐獅子と鼠、左右の妻の大瓶束には大きな雲水の笈形をつけ、脇障子は蘆敖仙人・琴高仙人の彫刻で飾っている
「平成十三年六月 茅野市教育委員会」より抜粋
上記の引用文のとおり、虹梁(こうりょう)の中央には「粟穂(あわほ)に鶉(ウズラ)」の彫刻が配置されています。
縁側の終端にある脇障子(わきしょうじ)は蘆敖仙人(ろごうせんにん 黄安仙人とも)と琴高仙人(きんこうせんにん)とのこと。
以上、大天白社でした。
御社宮司社(横内)
所在地:〒391-0001長野県茅野市ちの横内(地図)
大天白社から国道20号のほうへ歩くと、御社宮司社(みしゃぐじしゃ?)があります。
覆いの中には本殿があります。本殿はこけら葺の一間社流造。
全体を見ても彫刻の類がほぼ無く、正面の虹梁に質素な蟇股(かえるまた)があるだけの非常にシンプルな外観。
向拝の柱は面取りされた角柱、母屋の柱は円柱でした。
右側面。
垂木は二重。妻飾りは無し。縁側は切目縁(きれめえん)が三方に回されていて、欄干は跳高欄(はねこうらん)。正面の階段の下の浜床は、くれ縁。
いかにも諏訪大社の系統っぽい雰囲気の神社なので、後述の達屋酢蔵神社みたいに上社の摂社末社なのではと予感したのですが、母屋の柱が円柱であることから察するに、私の予感は見当違いのようです。
神社の柱と格についての話は達屋酢蔵神社の項目で語るので、ここでは割愛いたします。
以上、御社宮司社(横内)でした。
達屋酢蔵神社
所在地:〒391-0001長野県茅野市ちの横内3144-1(地図)
達屋酢蔵神社(たつやすくら-)は茅野駅の西側に鎮座しており、国道20号線に背を向けるようにして南東向きに立っています。
境内はそれほど大きくはないですが社叢が茂っており、社叢の木に負けないくらいの長さの御柱が堂々と立てられています。
案内板(達屋酢蔵神社評議委員会)によると、達屋社・酢蔵社という2社が合祀されて現在の達屋酢蔵神社になったとのこと。また、御柱祭に使用するモミの丸太を、上社本宮と同じ山林から伐り出すことが許されており、このような特権があるのは当社だけのようです。
拝殿は銅板葺の切妻で、屋根には千木と鰹木がのっています。
手前の橋の下は川ではなく池で、前日の台風で近辺の川は濁っているのにこの池だけは透明に澄んでいて、水の中に鯉が泳いでいました。
拝殿の後方には本殿があります。造営年代は不明。
達屋社・酢蔵社が合祀されて1社になった経緯があるため、扉が2組あります。扉は桟唐戸(さんからど)で、諏訪梶の紋がついていました。
扉が2組、つまり柱と柱の間が2つあるので、この本殿は銅板葺の二間社流造(にけんしゃ ながれづくり)というちょっと珍しい様式。諏訪地域に限って言うと、ほぼ全ての神社本殿が一間社なので、二間社やそれ以上の規模のものは希少です。
しかしこの本殿の造りは、標準的な神社本殿と比べると非常に簡素です。彫刻の類がないだけでなく、垂木が一重、そして母屋柱が角柱です。
以上、達屋酢蔵神社でした。
(訪問日2019/10/13)