今回は長野県諏訪市の八剣神社(やつるぎ-)について。
八剣神社(八剱神社、八劔神社)は諏訪市街の中心地に鎮座しています。諏訪大社上社本宮の摂社のひとつです。
創建は不明。1443年(嘉吉三年)の御神渡りの記録が残されていることから、室町初期には草創されていたと思われます。当初は同市高島の、湖に面した場所*1に鎮座していたようです。安土桃山時代に豊臣秀吉の命で現在地に遷座し、当社の跡地に高島城が造られました。江戸時代は諏訪高島藩から崇敬され、明治以降は当地の氏神として信仰されています。
現在の社殿は江戸後期以降のもので、拝殿は立川流の彫刻で飾られています。当社には諏訪湖の結氷で吉凶を占う御渡神事(御神渡り)と、その古記録が伝わっており、信州の冬の風物詩として著名です。
現地情報
所在地 | 〒392-0024長野県諏訪市小和田13-18(地図) |
アクセス | 上諏訪駅から徒歩15分 諏訪ICから車で15分 |
駐車場 | 5台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道と拝殿
八剣神社の境内は南西向き。入口は、国道20号線に並行する生活道路に面しています。
入口には石橋があり、少し奥まった位置に石造明神鳥居が立っています。石橋は水路が移転したため無用橋と化しています。
右の社号標は「八劔神社」。
参道左手には手水舎。
切妻、銅板葺。
柱は石材が使われています。
石材の柱のあいだには、鯉の滝登りの彫刻。
柱上には舟肘木と梁がわたされています。
妻飾りは蟇股ですが、棟木の持ち送り板と一体化しており、風変わりな構造です。
破風板の拝みには懸魚。
参道の先には神楽殿。
切妻、銅板葺。
扁額は「八剣宮」。正面ではなく、左側面の妻壁に掲げられています。
大棟には棟覆板が付き、神明造のような外観。
背面。
こちらにも虹梁がわたされ、蟇股が3つ並べられています。
内部では、地元の画家の作品が展示されていました。
蟇股の詳細。
はらわた部分の彫刻は、四根の諏訪梶。上社本宮の紋です。
神楽殿の裏手には、社務所の玄関。
妻飾りの蟇股や、破風板の懸魚に彫刻が入っています。
社務所に展示されていた御神渡りの写真。2008年に撮影されたもので、氷の山は最大60センチメートルほどの高さだったとのこと。
これ以降の年では、2010年、2014年、2015年、2020年に御神渡りが観測されています。古記録ではほぼ毎年観測されていたようですが、昭和末期から頻度が激減し、御神渡りが見られるのは3~4年に1回くらいとなっています。
拝殿
神楽殿の裏には拝殿。参道や神楽殿の筋から、やや左にずれた位置に鎮座しています。
入母屋、正面千鳥破風付、向拝1間 軒唐破風付、銅板葺。
1848年(嘉永元年)上棟。彫刻は立川専四郎富種*2の作。
正面の千鳥破風と唐破風。
千鳥破風の拝みには、鰭付きの蕪懸魚。
向拝の軒下。
虹梁中備えは竜。唐破風の小壁には、戯れる唐獅子。兎毛通は鶴の彫刻。
いずれの彫刻も力作なのですが、金網がかかっていて見づらいのが惜しいです。
向拝柱は几帳面取り。
正面の木鼻は唐獅子、側面は象の彫刻。こちらも金網がかかっています。
海老虹梁は大きく湾曲し、母屋の頭貫の位置に取り付いています。
手挟は菊水の彫刻。
母屋の正面は3間。扁額は「八劔神社」。
母屋柱は円柱で、柱間は格子戸。
右側面。
側面は2間で、前方は格子戸、後方は横板壁。
縁側は切目縁が3面にまわされ、背面側は脇障子を立てています。
頭貫には木鼻。柱上は出組。
桁下の支輪板には雲状の彫刻が入っています。
左後方(北側)から見た図。
拝殿の後方に、切妻(妻入)の幣殿がつながっています。
拝殿幣殿ともに軒裏は二軒繁垂木で、垂木が直交する箇所は隅木を入れて処理しています。
幣殿部分も柱は円柱で、柱上は出組。
本殿と境内社
拝殿の後方には、塀に囲われた本殿が2棟鎮座しています。
祭神は八千矛神(大国主)、ヤマトタケル、誉田別命。
2棟とも、一間社流造、板葺形銅板葺。見世棚造。
柱はいずれも角柱。組物や彫刻はなく、軒裏は板軒です。
妻飾りは豕扠首。
大棟には棟覆板がつき、外削ぎの千木が出ています。
拝殿と本殿の右手(境内東側)には境内社が並んでいます。
写真右は八剣神社の御柱。境内社の社殿の四周にも、それぞれ御柱が立てられていました。
以上、八剣神社でした。
(訪問日2023/02/08)