今回は山梨県山梨市の大嶽山那賀都神社(だいたけさん ながと-)について。
大嶽山那賀都神社は、山梨市から秩父市へ抜ける国道140号線の沿線の山奥に鎮座しています。清流沿いの参道を1kmほど登った先に社殿があり、せせらぎの音に包まれた境内の中で、立派な社殿を楽しむことができます。
現地情報
所在地 | 〒404-0206山梨県山梨市三富上釜口617(地図) |
アクセス | 山梨市駅または塩山駅にて西沢渓谷行きのバスに乗車 天科バス停にて下車 勝沼ICから車で30分 |
駐車場 | 30台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | 大嶽山那賀都神社【公式情報サイト】 |
所要時間 | 1.5時間程度 |
備考 | 駐車場から拝殿まで片道30分程度 |
境内
参道
駐車場に車をとめ、人家の庭先と間違えてしまいそうな道から川沿いに入ると、那賀都神社の参道が現れます。ここから拝殿まで片道30分くらいかかります。
境内には紙と串でつくられた小さなのぼり旗が無数に立てられており、参道の脇を急な川が流れています。このような景色がしばらくつづきます。
参道の下を流れる川。笛吹川(富士川)の支流です。
写真は、まるで城下町の「鍵の手」みたいに屈曲した箇所。なぜこうなったのかは謎。
参道の中間地点あたりの鳥居。ここを過ぎると境内の景色が変わってきます。
鳥居の先は、苔の生えた石段になっており、右大臣・左大臣の像や狛犬が両脇に控えています。
参道を進み、赤いトラス橋をわたると随神門が見えてきます。
このトラス橋は揺れるうえ真下に急流が水しぶきを上げているので、スリルを求めないなら脇道のコンクリートの橋を通ったほうが無難だと思います。
随神門
随神門は2階建ての楼門になっています。
屋根は入母屋(平入)で、正面に軒唐破風(のき からはふ)付き。正面3間・側面2間で、柱はいずれも円柱。案内板(大嶽山那賀都神社宮司による設置)によると1904年(明治三十七年)の造営とのこと。
正面右側。随神門は多数の彫刻で埋め尽くされています。
写真右の木鼻は唐獅子と象、中央下半分は波に鶴、上半分は何かの故事を題材としたものと思われますが題材不明。
彫刻は都留市谷村の工匠・福田俊秀氏がこの地にこもり半生を捧げて作ったものとのこと。
随神門の中には天狗が控えており、内部にも彫刻が配置されています。
このあたりで天狗を崇拝する寺社というと高尾山薬王院(八王子市)がありますが、高尾山が飯縄権現であるのに対し大嶽山那賀都神社はオオヤマツミ(大山祇)が主祭神なので、関連性はないでしょう。
随神門の軒下を見上げた図。
屋根裏の垂木は二重になっており、それを受ける桁は二手先(ふたてさき)の組物で持出しされています。
木鼻は正面・側面ともに唐獅子でした。
手水舎と神楽殿
随神門を過ぎると、参道の左側に手水舎が現れます。
鉢の奥には丸い鏡が置かれいるのが独特。すぐ横を川が流れているので、しっかりと水が出ており、よく手入れが行き届いている様子でした。
あと一息で拝殿に到着するのですが、ちょっと脇道にそれた場所には立派な神楽殿が建っています。
神楽殿は銅板葺の入母屋。
案内板によると災害で手水舎とともに流失したため、1963年(昭和三十八年)に再建したものとのこと。
随神門は垂木は二重で柱は円柱でしたが、こちらの神楽殿の垂木は一重でまばら、柱は角柱でした。
とはいえ、彫刻が各所に配置されていてにぎやかなのは随神門と同様です。
神楽殿右側面の床下。
床下にも抜かりなく彫刻が配置されています。人物像が彫られていますが、題材は不明。
拝殿
参道に戻ると、最後は急な階段になっています。この階段を登った先が拝殿です。
そして階段を登った先には、社務所を兼ねた拝殿。
また、飛礫(つぶて)占いというアトラクション(?)もあります。
ここで専用の石を買い、参道の途中にある岩に向けて投げ、石の乗った場所で大吉・中吉・小吉を占うというもの。
拝殿前の休憩所から見下ろした境内。
境内は深い谷の中にあるので見晴らしはあまり良くないですが、前述の神楽殿を上から眺めることができ、みごとな十字棟になっている様子がわかります。
本殿(立入禁止のため拝観できず)
拝殿の裏の山の頂上には立派な本殿があるようなのですが、大嶽山那賀都神社の公式サイトによると、拝観はお断りしているとのこと。
いちおう本殿へ向かう道があったので、上の写真にある砂防ダムを越えて駄目元で行ってみましたが、「禁足地のため立入禁止」という立て札があったので断念。ウェブで検索してみると、以前は一般の参拝者も本殿まで行けたようです。
本殿については山梨市公式サイトに写真が載っているので、下記リンクをご参照下さい。
大嶽山那賀都神社本殿 - 山梨県山梨市オフィシャルサイト『誇れる日本を、ここ山梨市から。』
本殿の様式は一間社入母屋(いっけんしゃ いりもや)で、正面と左右側面に向拝1間。屋根葺については不明。造営は明治時代とのこと。
以上、大嶽山那賀都神社でした。
(訪問日2019/10/26)