今回は山梨県山梨市の大井俣窪八幡神社(おおいまた くぼはちまん-)について。
大井俣窪八幡神社は笛吹川北岸の住宅地に鎮座しています。
創建は『大井俣神社本記』によると859年(貞信元年)。宇佐神宮から笛吹川の中州に八幡宮が勧請されたのが由来で、のちに現在の場所に移転したとのこと。1516年(永正十三年)および1521年(大永元年)に駿河の今川氏の侵攻による戦火でほとんどの社殿を焼失し、武田氏の信虎や晴信(信玄)らによって現在の社殿が再建されました。
境内には室町期の社殿が多数現存し、全部で9棟の建造物が国指定重要文化財(重文)に登録されています。境内の中枢である窪八幡神社本殿は十一間社流造という建築様式になっており、神社本殿として最大規模といえます。
当記事ではアクセス情報およびに鳥居、神門、比咩三神、鐘楼について述べます。
窪八幡神社拝殿・本殿については「その3」をご参照ください。
現地情報
所在地 | 〒405-0041山梨県山梨市北654(地図) |
アクセス | 東山梨駅から徒歩30分 または山梨市駅からバスで10分 勝沼ICから車で30分 |
駐車場 | 5台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | 大井俣窪八幡神社 |
所要時間 | 30分程度 |
参道と境内入口
鳥居
大井俣窪八幡神社の境内は南東向き。後述の社殿も南東向きとなっています。
鳥居は、境内の南にのびる生活道路に立っています。
木造両部鳥居。扁額は「大井俣神社」。
柱は円柱、前後の稚児柱は角柱で、内側に転び(傾き)がついています。円柱の上には円い台輪が置かれ、その上に反りのついた島木・笠木が載っています。両部鳥居としては標準的な造り。
スギ材が使われているようですが、円柱をつなぐ貫だけはマツ材のようです。高さ約7.41m、横幅約5.91m、円柱はφ550mmくらいとのこと。
1535年(天文四年)の造営で、木造鳥居として現存最古。「窪八幡神社鳥居」として、単独で国指定重要文化財です。
案内板によると下記のとおり。
神社本紀の記録によると、天文四年(一五三五)、武田信虎によって四十二才の厄壤祈願(やくばらいきがん)のため鳥居と石橋が建立されたとあり、現在の鳥居はこのときに再建されたものと考えられる。
(※中略)
この鳥居は、均整のよくとれた形のすぐれている木造鳥居であり、一般的には造替の頻度が多い建造物のため、造立年代が室町時代まで遡る例は珍しく、現存の木造鳥居のなかで最も古い遺構としてきわめて価値が高い。
山梨県教育委員会
山梨市教育委員会
神門
鳥居から数十メートルほど歩くと社頭の神門に到着します。左の社号標は「縣社 大井俣八幡神社」。
神門は、一間一戸、四脚門、切妻、檜皮葺。
1511年(永正八年)または1542年(天文十一年)の造営とされます。「窪八幡神社神門」として国重文。
箱棟の紋は武田菱と花菱。
主柱は円柱、前後の控柱は大面取り角柱。
妻飾りには板蟇股があります。
通路上にわたされた冠木の上の中備えは、間斗束。
天井はなく化粧屋根裏で、軒裏はまばら垂木。
神門の前にかかっている石橋。花崗岩製。
1535年(天文四年)に信州の高遠石工によって造られたことが銘に書かれているようです。
神門の附(つけたり)として国重文です。
神門の先には、参道の左手に手水舎があります。
入母屋、銅板葺。
柱は几帳面取り角柱。内部は格天井で、頭貫には木鼻がついています。
造営年代不明。とくに文化財指定はないようです。
比咩三神
参道をまっすぐ進むと、境内中心部へ向かう橋と階段があります。水路に沿って左へそれると、末社の比咩三神(ひめさんじん)の社殿があります。
後方の石垣の上から見下ろした図。
池に突き出した半島のような地形に鎮座しています。
一間社流造、銅板葺。
1625年(寛永二年)再建。徳川忠長*1による再建とされます。
「窪八幡神社末社比咩三神社本殿」として国重文。
祭神は田心姫、湍津姫命、市杵島姫命の3柱。明治時代初期まで弁財天と呼ばれていたとのこと*2。
室町時代の社殿がひしめく境内の中、この社殿は比較的新しい江戸初期のもの。とはいえ、神社本殿として装飾は控えめです。
向拝柱は角面取り。側面には拳鼻。
柱上は平三斗で、挿肘木を介して軒桁を受けています。
虹梁は絵様や袖切はありませんが、眉の部分が金色に彩色されています。中備えは平三斗。
正面には角材の階段が5段。縁側は3面にまわされています。階段も縁側も、欄干はありません。
母屋柱は円柱。柱上は舟肘木が使われています。
妻虹梁の上には大瓶束。「その2・その3」で述べる社殿はいずれも妻飾りに豕扠首が使われていて、それらとは作風が少しちがっています。
破風板の拝みに下がる懸魚は、左半分が破損してしまっています。
鐘楼
参道に沿って進み、階段で石垣の上の区画へのぼると、境内の中心部に到着します。中心部には、長大な拝殿や多数の本殿などが点在しています。
まずは境内上段の区画の右端(北東)にある鐘楼から紹介。
桁行1間・梁間1間、寄棟、檜皮葺。袴腰付。
武田晴信により1553年(天文二十二年)に造営されたもの*3。県指定有形文化財。
神社の社殿ですが、上層内部には梵鐘が吊るされ、寺院風の趣。神仏習合の時代のなごりを色濃くとどめています。
柱は円柱。上部に頭貫が通り、拳鼻があります。
柱上は出三斗。中備えは間斗束。
軒裏は一重まばら垂木。内部は格天井。
下層は袴腰。
内部に出入りする扉は、桟唐戸です。
鳥居、神門、比咩三神、鐘楼については以上。