世をひねる

甲信地方(山梨県と長野県)の寺院・神社建築を語る雑記。

【長野市】湯福神社と建御名方富命彦神別神社

今回は長野県のマイナー観光地ということで、善光寺の裏手にある2つの神社を紹介していきます。

長野市というとやはり善光寺があるので寺町のイメージが強いかと思いますが、意外にも善光寺の周辺には神社が多く、“善光寺三鎮守”とか“善光寺七社”とかいった神社群が存在します。そしてそのほとんどが諏訪大社の系列です。

湯福神社と建御名方富命彦神別神社は両社とも善光寺の裏手の少々目立たない場所に鎮座する神社で、善光寺境内を散歩して人混みや喧噪に疲れたときに足を伸ばしてみるといいかもしれません。

 

 

湯福神社(ゆぶく-)

・所在地

 〒380-0801

 長野県長野市箱清水3丁目1−2

 

湯福神社は“善光寺三鎮守”の1社で、あとの2社は善光寺の門前のほうにある武井神社と妻科神社です。なお、社名の読みは「ゆく」です。

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境内全景。鳥居は両部鳥居で、扁額には唐破風の庇が付いています。

 

拝殿

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拝殿は銅板葺の入母屋(平入)で向拝は軒唐破風。

左のほうに見切れているのは本田善光(善光寺の開基)の廟だそうですが、特筆するほどのものは無かったのでスルー。

 

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唐破風の軒下。虹梁の上には中国の故事が題材と思しき彫刻があり、両端の木鼻は獅子と象が配置されています。懸魚は鶴でしょうか。この彫刻の配置は、諏訪の立川流の造営でよく見られますが、棟梁が誰なのかは謎。

 

本殿

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拝殿の裏には本殿。本殿は銅板葺の三間社流造(さんけんしゃ ながれづくり)、正面3間・側面2間で、向拝1間。1862年の造営とのこと(wikipediaを参照)。

こちらも正面の虹梁の上に複雑な彫刻が配置されています。

 

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母屋の左側面。組物で持ち出された梁の上には3本の束が立てられており、さらにその上にある梁と束が大棟を受けています。非常に凝った造りだと思います。

束にも細かい彫刻が施されており、中央の束は鬼の意匠になっていて、鬼がふんばって梁を支えているかのようです。この部分に鬼の彫刻を配置した神社というと粟狭神社(千曲市)がありますが、関連性は不明。

 

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右側面。大きくカーブした海老虹梁(えびこうりょう)と、その上で屋根の垂木を受ける手挟み、虹梁の木鼻の獅子など、向拝部分のディテールも見事。

ちょっと気になるのは母屋の柱が角柱で、しかも雨戸と土壁が使われている点。神社本殿は母屋に円柱を使い、建具は蔀(しとみ)か桟唐戸(さんからど)、壁は横板壁を使うのが正式です。向拝や梁の上が凝った造りをしているだけに、母屋の壁があっさりしすぎている点がちょっと惜しいかも。

難癖が付きましたが、善光寺三鎮守の一角にふさわしい、立派な社殿だと思います。

 

以上、湯福神社でした。

 

建御名方富命彦神別神社(たけみなかたとみのみこと ひこかみわけ-)

・所在地

 〒380-0801

 長野県長野市大字長野字本城東2411

 

建御名方富命彦神別神社は善光寺の北東、城山公園(じょうやま-)に隣接する神社です。善光寺七社ではないですが、諏訪大社の系統なので何かしらの関係はあると思います。読みは「たけみなかたとみのみこと ひこかみわけ-」で、やや難読な上、ものすごく長いです。

祭神はもちろんタケミナカタですが、タケミナカタの子を祭ったという説もあって、はっきりしないようです。

 

参道

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鳥居。扁額に切妻の庇がついた両部鳥居です。ちょうど桜の季節だったため、境内にはプレハブの茶店が建っていました。

 

拝殿

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ゆるやかな石段を登った先に瓦葺きの拝殿があります。

中央に入母屋(平入)の拝殿があり、その左右に入母屋(妻入)の片拝殿(?)が連結しています。なんとなく諏訪大社の幣拝殿を想起させる造りです。

 

本殿

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本殿は銅板葺の一間社流造。正面1間・側面1間、向拝1間という標準的な構造です。もともと善光寺の境内にあったものを、1879年に神仏分離のため遷座(移築?)したとのこと(wikipediaを参照)。

先述の湯福神社本殿とはちがって、母屋の柱がちゃんと円柱になっています。「母屋は円柱、向拝は角柱」というのが神社建築のセオリーです。

全体的に装飾は控えめで、彫刻もあまり立体的でないプレーンなものが多い印象。正面側の階段は、角材を使った木階(きざはし)というタイプのものです。

 

ところで、本殿の周辺が瑞垣だけでなく有刺鉄線のフェンスで囲われているのは何故なのでしょう...? この辺は市内でも有数の花見の名所なので、酔客から本殿を守るため...?

 

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最後に、境内からの眺めを。ちょっとした岡の上に建っているため、社叢の葉が落ちている季節なら、異様に長い善光寺本堂の側面を見下ろすこともできます。

 

以上、建御名方富命彦神別神社でした。

(訪問日2019/04/16)

 

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