甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【三木市】伽耶院 後編(三坂明神社、多宝塔)

兵庫県三木市

伽耶院(がやいん)

2025/05/01撮影

 

前編では二天門、本堂などについて述べました。

当記事では三坂明神社、多宝塔、開山堂について述べます。

三坂明神社

本堂向かって右には、鎮守社の三坂神明社(みさか みょうじんしゃ)が南面しています。

桁行3間・梁間1間、三間社流造、向拝1間、こけら葺。

正保年間(1645-1648)頃の造営*1。「伽耶院」3棟として国指定重要文化財

 

虹梁中備えは蟇股。

彩色され、鵲と思われる鳥が彫られています。

 

向拝柱は面取り角柱。江戸前期のもののため、面取りがやや大きいです。側面には象の木鼻。

柱上の組物は連三斗。象の頭に乗った巻斗が、連三斗の肘木に添えられています。

 

海老虹梁は向拝の組物の上から出て、母屋の頭貫の位置に取りついています。

向拝の桁の木口には、平板な造形の桁隠しがついています。

 

向拝の下には階段が5段。階段は、母屋中央の柱間よりやや広い幅で造られています。階段の下には浜床。

階段や縁側の欄干は擬宝珠付き。

 

母屋は正面3間、側面1間。

正面は3間とも板戸。扁額は右横書きで「三坂大明神」。側面の柱間は横板壁。

 

母屋柱は円柱。軸部は貫と長押で固められています。頭貫の上の中備えは平三斗。

縁側は切目縁。正面と両側面の計3面に設けられています。側面後方には脇障子。

 

組物は通肘木を介して妻虹梁を受けています。

妻飾りは豕扠首。

 

背面は3間。柱間はいずれも横板壁。

 

隅の柱。母屋柱の柱上の組物は連三斗。

頭貫には拳鼻がつき、側面の拳鼻は巻斗を介して連三斗を持ち送りしています。

 

破風板には蕪懸魚が3つ下がっています。

 

縁の下は、礎石に据えられた縁束で支えられています。

母屋柱は基壇の上に据えられています。床下も円柱に成形され、柱間に壁が張られています。

 

多宝塔

三坂明神社の右側、境内東端には多宝塔が鎮座しています。

三間多宝塔、本瓦葺。

1648年(正保五年)造営*2。小倉城主の小笠原忠真の寄進によるもの。

「伽耶院」3棟として国指定重要文化財

 

南面。縁側に賽銭箱が置かれているため、おそらくこちらが正面かと思います。

柱間は3間。中央は桟唐戸、左右は連子窓。

縁側は切目縁で、擬宝珠付きの欄干が立てられています。

 

母屋柱は円柱。軸部には長押が多用され、頭貫木鼻はありません。

柱上の組物は、木鼻のついた二手先。

中央の柱間は、中備えに蟇股が使われています。蟇股には天女の彫刻があり、退色していますが彩色されています。

左右の柱間の中備えは撥束。

 

西面。

こちらは中央の蟇股に白い牡丹が彫られています。

 

東面の中備えの蟇股は、桃に栗鼠。めずらしい組み合わせだと思います。

北面については蟇股の彫刻が省略されていました。

 

縁束は礎石に据えられています。

母屋柱は亀腹の上に据えられ、床下が八角柱になっています。

 

上層。

下層が平行垂木であるのに対し、上層は放射状の扇垂木です。和様と禅宗様の意匠が混在しており、折衷様の多宝塔となっています。

 

上層の組物は尾垂木四手先。尾垂木は先端が平たく、和様のもの。

隅木には風鐸が下がっています。

 

頂部の相輪。案内板によると、昭和末期の補修によるもの。

九輪の上と下に反花がつき、頂部に火炎付きの宝珠があります。

 

多宝塔の東側には臼稲荷という境内社が西面しています。

当地には石臼にまつわる伝承があるようで、社殿は山積みの石臼の上に置かれています。

 

臼稲荷は一間社春日造、銅板葺。

母屋の屋根と庇とで別々に造られており、隅木入りでない春日造です。

 

開山堂

本堂西側の一段低い区画には開山堂が南面しています。

桁行3間・梁間3間、宝形造、向拝1間、本瓦葺。

墨書より1656年(明暦二年)造営*3。県指定有形文化財。

峰山藩主の京極高供(1623-1674)の寄進による造営で、案内板によると“堂内部の壁面には極彩色の飛天を画き、長押天井回り及び須弥壇上の宮殿には何れも入念な彩色文様をほどこし”ているとのこと。

 

向拝は1間。

虹梁中備えは蟇股。蟇股の彫刻は鳳凰。

 

向拝柱は面取り角柱。側面には象の木鼻。

柱上の組物は連三斗。

 

向拝の組物の上には手挟。菊らしき花の彫刻がありますが、経年によりほとんど退色しています。

縋破風には桁隠しの懸魚があります。

 

母屋正面は3間。

柱間は3間とも桟唐戸。中央の桟唐戸はやや大きく、戸の上の長押が一段高いです。

中央の長押に掲げられた扁額は「開山堂」。

 

母屋柱は円柱。頭貫には禅宗様木鼻。

柱上の組物は和様の尾垂木二手先。

頭貫の上の中備えは蓑束。中央の柱間(写真左端)は中備えに蟇股が使われています。

 

右側面(東面)。

柱間は、前方の1間が半蔀、中央の1間が腰壁と火灯窓、後方の1間が横板壁。和様と禅宗様が混在しています。

縁側は切目縁で、欄干は擬宝珠付き。

背面の軒下には、庇が設けられています。

 

側面も、中央の1間は中備えに蟇股が使われています。

蟇股の彫刻は、花鳥を題材としたもの。

 

左側面。

軒裏は平行の二軒繁垂木。

 

行者堂

開山堂の北西には行者堂が南面しています。

桁行3間・梁間3間、宝形造、本瓦葺。

1631年(寛永七年)造営*4。市指定有形文化財。

案内板には“土佐城主源忠義”の寄進とあり、山内忠義によって建立されたもののようです。“屋根・軒まわり・縁まわりは後世の修理により改変され”たものですが、“内部の厨子・脇仏壇等は寛永期のもの”とのこと。

 

正面は3間。柱間は半蔀。

中央の柱間は小さく取られ、「行者堂」の扁額があります。

柱は角柱で、柱上は舟肘木。

 

側面も3間。柱間は前方の1間が舞良戸、後方の2間がしっくい壁。

縁側は切目縁が4面に設けられています。

軒裏は一重のまばら垂木。

 

以上、伽耶院でした。

*1:文化遺産オンラインより。なお、公式サイトと案内板には「伝慶長十五年(1610)」とある。

*2:文化遺産オンラインより。公式サイトと案内板には1647年とある。

*3:公式サイトおよび案内板より

*4:公式サイトおよび案内板より