甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【大町市】霊松寺

今回は長野県大町市の霊松寺(れいしょうじ)について。

 

霊松寺は市東部の山間に鎮座する曹洞宗の寺院です。山号は功徳林大洞山。

当寺の前身は保昌院という天台宗寺院で、1036年(長元九年)に藤原保近によって祖父の菩提寺として開かれたとのこと。保昌院は室町前期には荒廃しており、その後身として1404年(応永十一年)に霊松寺が創建されました。霊松寺は仁科盛忠が祖先の仁科盛遠を弔うために開いたもので、総持寺(石川県輪島市)の実峰良秀をまねいて開山としています。以降、仁科氏の庇護を受けて隆盛しますが、室町末期に仁科氏が滅びたことで霊松寺も衰退し、桃山時代は寺領を没収され荒廃しました。江戸前期には徳川家光に寺領を寄進されて復興しましたが、1847年の善光寺地震で伽藍を焼失しています。明治初期には廃仏毀釈によって廃寺の危機に瀕しましたが、当寺住職が太政官に直訴したことで廃寺をまぬかれ存続しています。*1

現在の境内は明治以降に整備されたもの。茅葺の山門は江戸後期の建築で、長野県宝に指定されています。

 

現地情報

所在地 〒398-0002長野県大町市大町6665(地図)
アクセス 安曇野ICから車で45分
駐車場 20台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト 霊松寺-大町市
所要時間 20分程度

 

境内

薬医門

霊松寺の境内は南向き。境内は市街地から離れた山中にあり、道中も坂が急なため、徒歩での参拝や積雪期の訪問はむずかしいと思います。

 

境内の南側には薬医門(総門?)。

薬医門、切妻造、銅板葺。

 

柱は面取り角柱。

柱上に冠木が通り、冠木の上から腕木(男梁)をのばして軒桁を受けています。

柱と冠木の接続部には木鼻が出ていて、巻斗と肘木(女梁)を介して腕木を持ち送りしています。

 

内部向かって左側。

主柱(左)と控柱(右)とのあいだには貫があり、その中央に束と舟肘木を置いて梁を受けています。

 

左側面。

梁の上には束を立て、舟肘木を介して棟木を受けています。

破風板の拝みには蕪懸魚。

 

山門

境内の中心部には楼門形式の山門が鎮座しています。

三間三戸、楼門、入母屋造、茅葺。

1852年(嘉永五年)造営。長野県宝*2

 

もとは松川村の大和山観勝院の山門として造られたもの。棟札によると工匠は諏訪郡高部村*3の2代目藤森広八*4、そのほか水内郡奈良井村*5の和田大蔵とその弟子たちが造営に携わったとのこと。*6

観勝院は廃仏毀釈で廃寺となったため、1878年(明治十年)に現在地へ移築されました。

 

正面の柱間は3間あり、3間すべてが通路となっています(三間三戸)。

下層は側面や内部にも建具や壁がなく、すべての柱間が吹き放ちです。

 

下層の柱は八角柱。下端には飾り金具を模した彫刻が入っています。柱は礎盤に据えられ、礎盤も八角形のものになっています。

円柱の床下を八角柱にする例はよくありますが、このような見える場所に八角柱を使った例はめずらしいと思います。

 

正面中央の柱間。

柱間の虹梁は、菊の花の絵様が浮き彫りにされています。両端下部の持ち送りは牡丹の彫刻。

虹梁の上には台輪が通り、中備えに竜の彫刻があります。

 

向かって左の柱間。

こちらの虹梁は、波の浮き彫り。虹梁はやや低い位置にかけられ、虹梁の上の欄間に唐獅子の彫刻が配されています。

柱の正面には唐獅子、側面には獏の頭の木鼻がついています。

台輪の上の中備えは、欠落してしまっているようです。

 

左側面(西面)。

こちらの虹梁は、若葉状の絵様が陰刻された標準的な虹梁です。中備えの欄間彫刻は、右が鹿に紅葉、左は山鳥かと思います。台輪の上の中備えには、波の彫刻があります。

柱上の組物は、いずれも出三斗です。

 

背面。

正面と同様に、竜の中備え彫刻や、唐獅子の欄間彫刻が入っています。

 

内部を正面側から見た図。

格天井が張られています。

柱間は虹梁でつながれていますが、中央の柱間は柱上に冠木を渡しています。

 

冠木の両端は、卍崩しの文様の飾り金具がついています。

 

上層も正面は3間。

中央の柱間は桟唐戸が設けられ、戸の上に虹梁がわたされています。

 

左右の柱間は火灯窓で、壁面は横板壁。

窓の上に長押が打たれています。

軒裏は平行の二軒繁垂木。

 

上層は円柱が使われています。

頭貫には波の意匠の木鼻がつき、柱上の組物は出組。

台輪の上の中備えは蟇股。支輪板にも波の彫刻があります。

 

左側面。

側面は2間で、柱間は火灯窓。

縁側は切目縁で、欄干は擬宝珠付き。

 

背面。

こちらは3間とも長押が打たれ、中央の桟唐戸は彫刻のないやや簡素なものになっています。

 

本堂

山門の先には本堂。

入母屋造、向拝1間、向唐破風、銅板葺。

公式サイトによると、1883年(明治十五年)の再建。

 

向拝の唐破風。

中央の棟の部分には、風神雷神の彫金が乗っています。

破風板の兎毛通は鳳凰の彫刻。

 

唐破風の小壁には虹梁大瓶束。虹梁は鶴が彫られ、大瓶束の左右の笈形は竜の意匠になっています。

虹梁大瓶束の下には、波と怪鳥の彫刻が2つあります。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。見返り唐獅子の彫刻がついています。

柱上は出三斗。

 

向拝柱と母屋柱とのあいだの繋ぎ虹梁は、波の絵様が陰刻されています。

中備えは波の彫刻。

 

母屋柱は角柱。柱間は虹梁と貫でつながれています。

柱上は出組。支輪板には雲と思しき彫刻があります。

 

軒裏は放射状の二軒繁垂木。

 

本堂向かって右には玄関。

むくりのついた妻入り屋根で、銅板葺。壁面はセメントで固められています。

 

セメントの梁の上には牡丹に唐獅子の彫刻。

木製の梁の上には笈形付き大瓶束があり、その左右にも蓑束のような束があります。

 

鐘楼

本堂北側の駐車場の近くには鐘楼。

切妻造、銅板葺。

 

主柱は円柱。面取り角柱の控柱が2本添えられ、つごう12本の柱が使われています。

頭貫には禅宗様木鼻。柱上は大斗と巻斗。

 

妻面は控柱のあいだの頭貫が途切れていて、拳鼻がついています。

 

妻虹梁の上には蟇股が置かれ、棟木を受けています。

軒裏はまばらな垂木が配され、化粧屋根裏です。

破風板の拝みには猪目懸魚。

 

北側の駐車場からは、大町市街と北アルプス(飛騨山脈)が望めます。

市街地の中央に見える茂みは若一王子神社の社叢。中央右寄りの高い峰は爺ヶ岳かと思います。

 

以上、霊松寺でした。

(訪問日2025/04/05)

*1:霊松寺公式サイトより

*2:県指定有形文化財に相当する

*3:現在の茅野市宮川

*4:藤森家は諏訪大社上社の宮大工。2代目広八は「藤森藤五郎政因」とも名乗っていたようで、照光寺薬師堂(岡谷市)や碩水寺楼門(筑北村)の造営もつとめた。

*5:現在の長野市中条

*6:境内案内板より