兵庫県三木市
伽耶院(がやいん)
2025/05/01撮影
概要
伽耶院は市南部の山間に鎮座する本山修験宗の寺院です。山号は大谷山。
創建は不明。寺伝によると創建は645年(大化元年)で、孝徳天皇の勅願寺として法道によって開かれたらしいです。修験道の寺院として隆盛し、平安中期には多数の坊舎と修験者をかかえる大寺院になり、花山天皇の行幸もあったようです。鎌倉から室町中期の沿革は不明。安土桃山時代には、三木合戦(1578年)で別所軍の陣が当寺に置かれたため、羽柴軍の攻撃を受けて伽藍を焼失しました。江戸初期には1609年の火災ですべての境内伽藍を焼失しており、その後、現在の伽藍が再建されています。もとは大谿寺(だいけいじ)または東一坊(といちぼう)と呼ばれていましたが、1681年に後西上皇によって「伽耶院」に改められました。
現在の境内伽藍は江戸前期の再建です。境内の中心部には本堂と三坂明神社と多宝塔が鎮座し、3棟とも国の重要文化財に指定されています。また、本尊の木造毘沙門天立像が重要文化財、開山堂が県の文化財に指定されています。
当記事では二天門、本堂などについて述べます。
現地情報
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| 所在地 | 〒673-0513兵庫県三木市志染町大谷410(地図) |
| アクセス | 三木東ICから車で5分 |
| 駐車場 | 30台(無料) |
| 営業時間 | 随時 |
| 入場料 | 無料 |
| 寺務所 | あり(要予約) |
| 公式サイト | 伽耶院ホームページ |
| 所要時間 | 20分程度 |
文化財情報
境内
仁王門

伽耶院の境内は南向き。境内の西200メートルほどの位置の道路脇には仁王門が西面しています。
三間一戸、八脚門、切妻造、本瓦葺。
公式サイトによると1928年(昭和三年)再建。


通路の左右の母屋。
火灯窓は再建前のものを再利用しているとのこと。
火灯窓の奥には焼けた仁王像が置かれています。仁王像は、案内板によると行基の作という伝承があり、三木合戦(1578年)で羽柴軍の攻撃を受けて頭部と脚部を焼失したらしいです。

正面中央の柱間。
柱は角柱。柱上は舟肘木。
柱間には虹梁がわたされ、中備えは板蟇股。蟇股のうしろには素木の横板が張られています。

正面向かって左側。
こちらは虹梁のかわりに長押が打たれています。中備えはありません。

右側面(南面)。
側面は2間で、前方は吹き放ち。後方は壁が張られ、腰貫の下は素木の縦板壁です。

妻飾りは梁と束を二重に組み合わせたもの。梁に絵様や眉欠きといった彫りはついていません。
破風板の拝みには鰭付きの懸魚。懸魚は三花懸魚と蕪懸魚を組み合わせたような形状。

背面。
左右の柱間に壁がある以外は、正面と同じです。

仁王門の先へ進むと、境内西側の駐車場の近くに寺務所があります。

寺務所の門は西向きで、左右に塀がつながっています。
薬医門、切妻造、本瓦葺。

柱は角柱。
前方に腕木をのばして小天井を張り、桁をわたして軒裏を受けています。

妻飾りは板蟇股。中央には六葉が彫られています。
内部に天井はなく、化粧屋根裏です。
二天門

道に沿って駐車場と寺務所の東へ進むと、道路に面した場所に二天門が南面しています。
右の寺号標は「新西国二十六番 大谷山大谿寺伽耶院」。

二天門は、三間一戸、八脚門、切妻造、本瓦葺。
1651年(慶安四年)造営*3。案内板によると“屋根及び軒まわりは後世の修理の際改変されている”とのこと。
市指定有形文化財。

正面中央。扁額は「大谷山伽耶院」。
柱は円柱。柱間は飛貫虹梁と頭貫でつながれています。


向かって左。こちらは虹梁ではなく通常の飛貫が使われています。
頭貫や飛貫に木鼻や中備えはありません
柱上の組物は出三斗。

側面は2間。前方は素木の横板壁、後方はしっくい壁です。

側面中央の柱は、柱上に出三斗が使われています。
妻飾りは二重虹梁。虹梁の上に板蟇股を置いています。
角度がついていて見づらいですが、破風板の拝みには蕪懸魚が下がっています。

内部は格天井。
通路の左右の扉筋の柱には、冠木がわたされています。
通路の左右の柱間には、持国天と多聞天の木造が置かれています。二天門と同時期に造られたもののようです。

背面。
中央の柱間は、頭貫の上に蟇股があります。
本堂(金堂)

二天門をくぐって階段を昇ると境内の中心部に至り、本堂が鎮座しています。公式サイトには金堂とも書かれています。
桁行5間・梁間5間、寄棟造、本瓦葺。
墨書から1646年(正保三年)造営と考えられます*4。「伽耶院」3棟として国指定重要文化財。

正面は5間。
柱間は、中央が禅宗様の桟唐戸、左右各2間が和様の半蔀。半蔀の上には長押が打たれ、桟唐戸の上は一段高い位置に長押が打たれています。
上の写真からは見えませんが、内部は前方を外陣、後方を内陣とし、両陣の境界に格子戸を入れています。和様禅宗様の混在した外観や、外陣内陣を区切った内部構造は、室町以降の折衷様建築(密教建築)の特徴です。

桟唐戸を開いた内側は、鴨居の部分に欄間彫刻があります。
題材は牡丹に唐獅子。

柱は円柱。頭貫には禅宗様木鼻。
柱上の組物は出三斗。中備えは蓑束。

右側面(東面)。
側面は5間。柱間は舞良戸と横板壁で、どちらも和様の意匠です。
縁側は切目縁が3面にまわされています。

左手前の軒裏。
軒裏は平行の二軒繁垂木。

左側面(西面)。
後方(写真左)には軒下に庇が設けられています。
二天門、本堂などについては以上。