甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【神戸市】石峯寺

兵庫県神戸市

石峯寺(しゃくぶじ)

2025/05/01撮影

概要

石峯寺は市北部の山間の集落に鎮座する高野山真言宗の寺院です。山号は岩嶺山。

創建は不明。寺伝によると創建は651年(白雉二年)で、孝徳天皇の勅願寺として法道によって開かれたらしいです。行基や嵯峨天皇によって伽藍が建立されたという伝承もあります。鎌倉時代から室町前期には多数の僧兵をかかえ、周辺の一帯に多数の伽藍や子院が広がっていたようです。室町中期から桃山時代にかけては嘉吉の乱、応仁の乱、三木合戦で伽藍を焼失しました。江戸前期には明石藩による寺領の寄進を受け、伽藍が再建されました。

現在の境内伽藍は室町中期から江戸時代にかけての古いもの。薬師堂は中世によく見られる折衷様建築、三重塔は同様式の塔の中でも大きい部類のものであり、両者とも室町中期の建築として国の重要文化財に指定されています。ほか、室町前期の石造五輪塔もあり、こちらは県の文化財です。

現地情報

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所在地 〒651-1621兵庫県神戸市北区淡河町1110-1(地図)
アクセス 神戸北ICから車で15分
駐車場 10台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 20分程度

文化財情報

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重要文化財2件(計2棟)

石峯寺薬師堂

石峯寺三重塔 *1

県指定文化財1件(1基)

・石造五輪塔

境内

山門(仁王門)

石峯寺の境内は南向き。境内は山間の集落にあり、境内の南200メートルほどの位置の道路脇に山門が建っています。

三間一戸、八脚門、切妻造、本瓦葺。

 

正面中央の柱間。

飛貫の位置に虹梁がわたされ、中備えは蟇股。虹梁の両端は、下に斗栱が添えられています。

頭貫の上の中備えは蓑束。

 

向かって左。

こちらは虹梁ではなく通常の飛貫が通され、中備えは省略されています。

柱上の組物は出三斗。組物と蓑束は、通肘木を介して軒桁を受けています。

 

柱はいずれも円柱。頭貫に拳鼻がついています。

 

左側面(西面)。

側面は2間。柱間は貫でつながれ、横板壁が張られています。

 

側面の頭貫の上の中備えは、撥束。

妻飾りは虹梁大瓶束。

軒裏は一重のまばら垂木。破風板の拝みには蕪懸魚。

 

内部の通路部分の柱間。冠木の上の中備えは蟇股。

通路上には格天井が張られています。

 

通路の左右の柱間には仁王像。

こちらの柱間は虹梁が使われています。中備えは蟇股。中央のものより簡素な造形です。

 

背面。

左右の柱間は横板壁。

ほかの意匠は正面と同様です。

 

鐘楼と鼓楼

山門から進むと、石垣の上に本堂などの伽藍が現れます。

駐車場は向かって左方向の墓地近くにあります。

 

境内入口向かって左は鐘楼。

切妻造、桟瓦葺。

 

柱は面取り角柱。内に転びがつき、柱間は貫でつながれています。

 

破風板の拝みには蕪懸魚。

ほか、目立った意匠はありません。

 

向かって右は鼓楼。

桁行3間・梁間2間、入母屋造、本瓦葺。袴腰付。

 

左側面(西面)。

母屋側面は2間で、柱間は連子窓。

 

破風板の拝みには、鰭付きの蕪懸魚。鰭は若葉の意匠。

懸魚の影になっていますが、妻飾りは虹梁大瓶束です。

 

背面。

正面および背面は3間あります。

 

中央の柱間。

欄干の影になって見づらいですが、柱間に火灯窓が設けられています。

 

背面向かって左。

柱は円柱。軸部は長押で固められています。柱間は連子窓。

柱上の組物は出組。中備えは蓑束。

 

縁側は切目縁。縁の下は、出三斗をベースとした腰組で支えられています。中備えは蓑束。

縁側の下は縦板を張った袴腰。

 

鼓楼の北側には手水舎。

切妻造、本瓦葺。

 

柱は面取り角柱。妻面の側に象鼻がついています。柱上に組物はなく、妻面の梁を直接受けています。

平の面の柱間には虹梁がわたされていますが、軒桁との距離が近く、中備えがありません。

 

妻面。

虹梁の上には巻斗と舟肘木を置き、上の梁を受けています。

妻飾りは蟇股。

破風板の拝みには、波状の鰭のついた懸魚が下がっています。

 

本堂

境内の中心部へ進むとさらに一段高い区画に入り、本堂が南向きに鎮座しています。

 

桁行5間・梁間6間、宝形造、向拝1間、本瓦葺。

造営年不明。江戸中期から後期のものかと思います。

 

向拝は1間。

虹梁は雲状の絵様が浮き彫りされています。両端の下側に添えられた持ち送りには、菊が彫られています。

虹梁中備えは竜(あるいは麒麟?)の彫刻。上に大ぶりな巻斗がつき、軒桁を直接受けています。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。上端がわずかに絞られています。

側面には唐獅子の木鼻。柱上は連三斗。

 

組物の上では手挟が軒裏を受けています。手挟には花と鳳凰の彫刻。

縋破風の桁隠しには、雲状の鰭のついた桁隠しがあります。

 

向拝柱は、木製の礎盤の上に据えられています。

階段は板を組んだもので、擬宝珠付きの昇高欄が立てられています。

 

母屋は正面5間。

柱間は、中央の3間が桟唐戸、左右両端の各1間が連子窓。

 

中央の柱間。

桟唐戸の軸は、長押の下面に藁座をつけて吊っています。

柱は上端が絞られた円柱。柱上に台輪が通り、組物は出三斗です。

 

隅の柱。

軸部は長押、貫、台輪でつながれ、頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。

台輪の上の中備えはいずれも平三斗。柱上の出三斗と通肘木を共有しています。

 

母屋側面は6間。

柱間は、跳ね上げ式の窓と、開き戸。

 

側面の中備えは、正面と同様の平三斗です。

 

背面には狭い庇がつき、その先にさらに庇と小屋がついています。

 

屋根の頂部には宝輪。

露盤には牡丹らしき花の意匠が2つならんでいます。その上に伏鉢が乗り、反花の上に火炎付きの宝珠が据えられています。

 

堂内は内陣と外陣に区切られ、境界部には腰壁と格子戸が設けられています。格子戸の上には欄間彫刻があります。

 

薬師堂

鼓楼および手水舎の近くには、薬師堂が西面しています。

桁行5間・梁間5間、入母屋造、本瓦葺

明応年間(1492-1501)頃の造営。国指定重要文化財

 

正面は5間。縁側は正面だけに設けられています。

中央の3間は桟唐戸で、禅宗様の意匠。左右両端の各1間は連子窓で、こちらは和様の意匠。

 

正面中央の柱間。

桟唐戸の軸は、頭貫についた藁座で吊っています。

 

柱はいずれも円柱。柱上の組物は出三斗で、頭貫の中備えは撥束。

隅の柱には、禅宗様木鼻がついています。

 

左側面(北面)。

柱間は5間あり、後方(写真左)から2つめの柱間は広く取られています。

柱間は白壁と連子窓。

組物や中備えは正面と同じです。

 

破風板の拝みには蕪懸魚。

妻面は木連格子。

 

背面は5間。

 

軒裏は一重のまばら垂木。

 

内部。

前方の3間通りは外陣、後方の2間通りは内陣に区画分けされ、内外の境界に格子戸を入れて仕切っています。

内外を仕切った構造や、和様と禅宗様が混在した意匠は、室町時代の密教建築(折衷様建築)によくみられる特徴です。

 

三重塔

本堂や薬師堂から少し離れた境内東側の区画には、三重塔が鎮座しています。

三間三重塔婆、とち葺形銅板葺。

全高24.41メートル*2

三重塔としてはやや大きい部類に入りますが、斜面に立ち周辺に木立があるため、その高さを実感しづらいかと思います。

 

室町中期の造営。国指定重要文化財

附に指定されている棟札には、修理の履歴が記録されています。

 

初重西面。

柱間は3間で、中央は桟唐戸、左右は連子窓。

縁側は、欄干のない切目縁。

 

南面。柱間は西面と同様。

軸部には長押が多用され、木鼻は使われていません。和様の構造です。

 

柱上の組物は尾垂木三手先。尾垂木は和様のもので、先端が平たいです。

中備えは間斗束。こちらも和様の意匠。

軒桁の下には支輪が設けられ、格子の小天井が張られています。

 

二重の南面。

柱間は欄干の影になって見づらいですが、中央は板戸、左右は板壁になっています。桟唐戸(禅宗様)ではなく板戸が使われていて、二重三重は純和様の造りです。

組物や中備えは初重と同じで、尾垂木三手先と間斗束。桁下の支輪も初重と同じですが、二重三重は小天井が板張りになっています。

縁側には跳高欄が立てられ、扉の手前は高欄が途切れています。

 

三重南面。

細部意匠は二重とほぼ同じ。

軒裏はいずれの重も平行の二軒繁垂木。

 

頂部の相輪。

基部の露盤には、格狭間が3つ並んでいます。九輪は、上へ行くほど輪が小さくなっています。九輪の上には水煙がつき、頂部には宝珠。

 

ほか、境内の一画には石造五輪塔がありますが、見落としてしまったため割愛。

五輪塔には暦応四年(1341年)の銘があり、県指定有形文化財のようです。

 

以上、石峯寺でした。

*1:附:棟札10枚

*2:境内案内板(神戸市による設置)より