今回は奈良県奈良市の氷室神社(ひむろ-)について。
氷室神社は市街地東端の東大寺入口に鎮座しています。
創建は社伝によると710年(和銅三年)、春日山に氷の神を祀ったのが始まりで、当社から平城京へ氷を上納していたとのこと。860年(貞観二年)に現在地へ移転し、1217年に社殿が建立されたようです。その後は春日大社の別宮として興福寺の庇護を受け、江戸期に現在の本殿が再建されました。明治期には神仏分離で興福寺から独立しています。
現在の本殿は江戸後期のもので屋根は桧皮葺、表門などは室町期に移築されたものといわれ、いずれも県指定文化財です。氷や氷室の神であるため現在は製氷業者から信仰されています。
現地情報
所在地 | 〒630-8212奈良県奈良市春日野町1-4(地図) |
アクセス | 近鉄奈良駅から徒歩15分 木津ICから車で15分 |
駐車場 | 24台(1時間500円) |
営業時間 | 06:00-18:00 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | 氷室神社公式ホームページ |
所要時間 | 10分程度 |
境内
表門
氷室神社の境内は南向き。
車道をはさんだ向かいは奈良国立博物館、東へ行くと東大寺の駐車場があります。
入口の鳥居は木造の両部鳥居。扁額は「氷室神社」。
鳥居をくぐって左手には、境内社の住吉神社が東面しています。
手前の拝殿(?)は入母屋、銅板葺。
本殿は一間社春日造、見世棚造、銅板葺。
祭神は住吉三神など。
境内社に拝殿がある例はさほどめずらしくないですが、ここまで小規模で人が中に入れないほど小さいものは初めて見ました。
参道を進むと表門があります。
表門は、一間一戸、四脚門、切妻、本瓦葺。
造営年不明。境内案内板(設置者不明)の解説は下記のとおり。
奈良県指定文化財
表門・東西廊
応永九年(1402)禁裏造営の際、旧御所の日華門と神輿宿を当神社に寄付され、寛永十八年(1641)の禁裏造営の時にも日華門の扉を下賜されました。
現在の四脚門の扉はこのときのものです。切妻造、本瓦葺の四脚門に翼廊が接続した禁裏御所の遺構です。
門扉は1641年に移設したものだと明記されていますが、肝心の門そのものの年代がわかりません。もし本当に1402年に移築されたものだったら国重文になっていると思うので、この門は江戸期の再建ではないでしょうか。
門の内部。
主柱は円柱。2つの主柱のあいだに梁が渡され、中備えの板蟇股が棟木を受けています。
妻飾りも板蟇股。
天井はなく、化粧屋根裏になっています。
左右の翼廊(回廊)は切妻、本瓦葺。
表門とあわせて県指定文化財になっています。
柱は角柱。柱上は舟肘木。
柱間は緑色の連子窓で、その上下に長押が打たれています。
拝殿と本殿
表門の先には拝殿と本殿がつづいています。
上の写真は拝殿前の通路の軒下から撮ったもの。
拝殿は入母屋(妻入)、桟瓦葺。
柱は角柱で、柱間に建具がなく吹き放ち。
柱上は舟肘木。軒裏は二軒繁垂木。
内部は格天井。
本殿の手前には、桟唐戸のような門扉のついた鳥居。
木造の明神鳥居。笠木は反りがなく、まっすぐの形状。
本殿は、桁行3間・梁間1間、三間社流造、向拝1間、東面庇1間、檜皮葺。
案内板によると1863年(文久三年)の再建。県指定有形文化財。
祭神は闘鶏大山主(つげのおおやまぬし)、仁徳天皇、額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)の3柱。
向拝柱は角柱で、大きめに面取りされています。
正面の階段は向拝の幅いっぱいに設けられ、欄干の親柱は擬宝珠付き。
母屋柱は円柱。母屋正面は3組の扉が設けられています。
頭貫や木鼻、そして斗栱も使われておらず(正面側の柱上は舟肘木がありました)、非常に古風な造り。
妻飾りは豕扠首。破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚が下がっています。
右側面(東面)。
格子や樹木の影になってしまって見づらいですが、側面後方の軒下に1間の庇がつき、扉が設けられています。床下も祭祀にまつわる空間になっているらしく、その出入口のようです。
案内板いわく“ほかに類例がなく独特なもの”。このような例は初めて見ました。
向かって左から見た図。
大棟には内削ぎ(先端が水平)の千木が2つと、鰹木が5つ。
屋根は檜皮葺で、両端の箕甲の曲面が美しいです。
本殿右手には境内社・舞光神社。
一間社春日造、見世棚造、銅板葺。
祭神は狛光高(こまのみつたか、959-1048)。雅楽や舞曲の達人として崇敬されたようです。
ここに納められていた仮面「木造舞楽面 陵王」は鎌倉時代の作で国重文。現在は奈良国立博物館に収蔵されているとのこと。
以上、氷室神社でした。
(訪問日2021/11/22)