今回は大阪府藤井寺市の葛井寺(ふじいでら)について。
葛井寺は市の中心部に鎮座する真言宗御室派の寺院です。山号は紫雲山。別名は藤井寺、剛琳寺。
創建は寺伝によると725年、聖武天皇の命を受けた行基によって開かれたとのこと。葛井氏の氏寺として開かれたとする説もあります。いずれにせよ奈良時代には確立され、伽藍が建立されていたようです。
一時荒廃したのち平安後期に再建され、室町期には後醍醐天皇や後村上天皇の帰依を受けますが、1347年(正平二年)の藤井寺の戦いの戦場になり、1510年(永正七年)の地震ですべての堂宇が倒壊しています。その後、安土桃山期から江戸後期にかけて伽藍が再建されています。
現在の境内伽藍のほとんどは江戸期に整備されたものですが、境内西側にある四脚門は豊臣秀頼の寄進で、国重文に指定されています。本尊の乾漆千手観音坐像は国内最古級の千手観音とされ、国宝に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒583-0024大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21(地図) |
アクセス | 藤井寺駅から徒歩5分 藤井寺ICから車で5分 |
駐車場 | なし(※周辺にコインパーキングあり) |
営業時間 | 08:00-17:00 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり |
公式サイト | 西国第5番紫雲山葛井寺〜国宝千手観音の寺〜 |
所要時間 | 20分程度 |
境内
南大門(楼門、仁王門)
葛井寺の境内は南向き。境内入口は住宅地の道路に面しています。
向かって左にある文化庁の案内板には「重要文化財 南大門 ふぢい寺」とありましたが、おそらく後述の西門のことを言っているのだと思います。
向かって右の寺号標は「西国五番観音霊場 紫雲山 葛井寺」。
南大門は三間一戸、楼門、入母屋、本瓦葺。
1776年(寛政八年)上棟、1800年(寛政十二年)竣工。
下層。3間あるうちの1間が通路になっています(三間一戸)。
左右の柱間には仁王像が安置されているため、仁王門と呼んでも差し支えないでしょう。
中央の通路部分の柱間。
柱間にわたされた虹梁には、波状の絵様が彫られ彩色されています。虹梁中備えは出三斗。
内部にわたされた梁の上の中備えは蟇股。波の意匠で、こちらも彩色されています。
虹梁の左右の柱からは、象鼻が出ています。
象鼻は彩色され、毛髪や鼻先は渦巻状に彫刻されています。平面的な象鼻と、立体的な象頭彫刻のあいだを取ったような意匠です。
向かって左の柱間。
頭貫木鼻は象鼻が使われています。こちらは牙のような意匠こそありますが完全な象の顔にはなっていません。
組物は二手先。中備えは蓑束。
蓑束の右隣には火打梁のようなものが飛び出ていますが、反対側(向かって左の柱間)を見てもこのような意匠はありませんでした。
右側面(東面)。壁面はしっくい塗り。
こちらも中備えは蓑束。
向かって左側の内部。
内部の柱から隅に向かって斜めに虹梁がわたされています。
写真左には先述した謎の火打梁が見えます。
上層。
扁額は山号「紫雲山」。「紫」は変わった字体になっていて、「載」と「戦」を足して2で割ったような感じに見えます。
上層の母屋を後方から見た図。
見づらいですが母屋柱は円柱。
柱の上部には頭貫と台輪が通り、禅宗様木鼻が設けられています。
柱上は出組。持ち出された桁の下には軒支輪。
軒裏は二軒繁垂木。
縁側は切目縁で、擬宝珠付きの欄干が立っています。
大師堂と鐘楼
南大門をくぐって参道を進むと、右手(東側)には大師堂と鐘楼があります。
大師堂は寄棟、向拝1間、本瓦葺。
鐘楼は入母屋、本瓦葺。下層袴腰付。
柱は円柱で、頭貫と台輪に禅宗様木鼻が付いています。
柱上は大斗と花肘木。花肘木の上から尾垂木が出ていて、かなり風変わりな造りだと思います。
下層の袴腰は縦板が使われています。
縁側には跳高欄が立てられ、縁の下は板状の持ち送り材で支えられています。
阿弥陀堂と手水舎
参道左手(西側)には阿弥陀堂と手水舎。
こちらは阿弥陀堂ですが工事中で一帯が立入禁止。解体修理の最中なのか、覗いてみても阿弥陀堂の影もない状態でした。
手水舎は利用可能な状態でした。
切妻、本瓦葺。
柱は角柱で、木鼻は透かし彫りの象鼻。
柱上は大斗と実肘木。
妻飾りは蟇股。こちらも透かし彫りで、流麗な波の意匠。
破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。
本堂
境内の中心部には本堂が鎮座しています。
入母屋、向拝1間、本瓦葺。
棟札より1753年(宝暦三年)上棟、1776年(安永五年)竣工。
本尊の乾漆千手観音坐像は国宝。奈良時代に行基によって開眼されたものとされ、日本最古の千手観音像のひとつ。秘仏となっていますが、毎月18日に御開帳して拝観できるとのこと。
向拝柱は几帳面取り角柱。上端が絞られています。側面には象頭の木鼻がついています。
柱上の組物は皿付きの連三斗。
虹梁には波状の絵様が描かれています。
中備えの彫刻は、竜とも唐獅子ともつかない微妙な造形。
母屋柱は円柱。柱間には虹梁がわたされています。
木鼻は象鼻。中備えは蟇股で、花鳥が彫刻されています。
組物は出組ですが、持ち出した斗の上は実肘木だけになっていて、肘木と斗が省略されています。
右側面(東面)。
軒下に正面1間・桁行2間の小屋が設けられています。
妻飾りは二重虹梁で、板蟇股や蓑束が見えます。
破風板の拝みには鰭のついた三花懸魚。
本堂向かって左(西)には護摩堂。
入母屋、本瓦葺。
柱は角柱。柱間は蔀。
頭貫は象鼻。柱上は大斗と実肘木。
西門(四脚門)
境内西側、藤井寺駅方面の出入口には西門があります。西向き。ここから南に50メートルほど行くと辛国神社があります。
西門は、一間一戸、四脚門、切妻、本瓦葺。
豊臣秀頼の寄進で1601年(慶長六年)に再建。南大門として造られたものですが、現在地に移転しています。国指定重要文化財。
向かって右の松の木の影にも南大門と同様に文化庁の案内板(文化財の年代・種別・名称が書かれている)がありましたが、なぜか「四脚門 ふぢい寺」と寺号がひらがな表記されていました。寺社や檀家・氏子が設置した案内板ならともかく、文化庁の案内板で意味もなくひらがな表記するのは奇妙です。
余談ですが、歴史的仮名遣いで表記するなら藤井(葛井)は「ふじい」ではなく「ふぢい」、大阪(大坂)は「おほさか」になります。
正面の軒下。
前方の控柱の柱間には太い虹梁が渡されています。中備えは狭い空間に巻斗が1つ。
奥の主柱には板戸の門扉が立てつけられています。
主柱のあいだに梁が渡され、梁の中間には大瓶束のような腰の膨らんだ束が立てられて棟木を受けています。
妻飾りには大きな板蟇股が置かれています。
内部に天井はなく、化粧屋根裏。軒裏は一重繁垂木。
前後の側柱は大きく面取りされています。
木鼻は正面側面ともに拳鼻。柱上は大斗と実肘木。
以上、葛井寺でした。
(訪問日2021/11/21)