今回は寺社の基礎知識として、大仏様建築と禅宗様建築について。
前回の記事(下記リンク)では、和様・大仏様・禅宗様および折衷様の概説と代表例を述べました。
当記事では、鎌倉新様式(大仏様と禅宗様)の歴史や特徴について詳細に解説していきます。
大仏様と禅宗様の歴史
当項では大仏様と禅宗様の成り立ちと歴史について述べます。
大仏様と禅宗様のちがいについて手短に知りたいかたは、当項を読み飛ばして大仏様建築と禅宗様建築のちがいの項をご参照ください。
鎌倉新様式 大仏様と禅宗様
大仏様と禅宗様は鎌倉時代に成立した建築様式で、この2つをあわせて鎌倉新様式と呼びます。
大仏様と禅宗様は成立した時期・年代が近く、中国大陸由来とされる寺院建築という点でも共通しており、よく似た意匠も多くあります。とはいえ、成立の過程や特徴的な意匠を知っていれば、見分けるのは決してむずかしくはありません。
当項では、大仏様と禅宗様の成立の過程と、その後の展開について述べます。
大仏様の成立と衰退
(東大寺南大門、鎌倉時代、奈良県)
大仏様は、鎌倉時代の最初期に成立しました。
鎌倉初期の東大寺は源平合戦の争乱で大部分の境内伽藍を焼失しており、朝廷や鎌倉幕府の後援を受けて再建が進められました。その工事の大勧進職(寄付集めの責任者)として抜擢されたのが、大仏様を成立させた重源(ちょうげん、1121-1206)です。
重源は中国大陸(南宋)に3度渡った経験があり*1、南宋の建築*2を参考にして、東大寺の南大門と大仏殿を再建しました。このとき採用された構造や様式は、それまでの日本にはなかった特異なものだったため、大仏様(だいぶつよう)と呼ばれるようになりました。
東大寺の再建という国家的な大事業のもと華々しく登場した大仏様建築でしたが、その後の大仏様建築は、とくに目立った発展や普及を見せることなく衰退しました。大仏様建築のほとんどは重源の手がけたものであり、重源の死後、純粋な大仏様建築が造られることはありませんでした*3。その理由として、大仏様の豪壮な作風が日本の美的感覚とあまり合致せず受け入れられなかったという説や、そもそも大仏様は東大寺のような規格外の巨大建築を造るための技法であり*4、標準的な規模の建築には必要なかったという説があります。
(浄土寺浄土堂、鎌倉時代、兵庫県 ※画像はWikipediaより引用)
現存する純粋な大仏様建築は東大寺南大門、浄土寺浄土堂、東大寺大仏殿(江戸時代の再建)の3例のみです。ほか、京都市の醍醐寺経蔵も重源の造った大仏様建築だったようですが、戦前に火災で焼失しています。
(大仏様木鼻の発展形が和様建築に使われた例*5 )
純粋な大仏様建築は重源の死とともに衰退し、造られなくなりましたが、その技法や意匠は後世の建築でも連綿と使われつづけました。部分的ではありますが、挿肘木や大仏様木鼻などは、後世の折衷様建築や和様建築に使われています*6。また、江戸初期の東大寺大仏殿の再建でも、大仏様が採用されています。
禅宗様の成立と普及
(東大寺鐘楼、鎌倉時代、奈良県)
禅宗様は、大仏様から少し遅れて、鎌倉時代の中期から後期にかけて成立したと考えられます。具体的な成立年や、誰が成立させたかについては不明。禅宗様の構造や意匠は、栄西などの禅僧らが大陸から伝えたとされます。
禅宗様の意匠が確認できる建築としてもっとも古いのは東大寺鐘楼(1207-1211年)です。大仏様の中に禅宗様の意匠が混在*7しており、これは禅宗様建築の萌芽といえるでしょう。
純粋な禅宗様建築の例としては、善福院釈迦堂(1327年頃)、功山寺仏殿(1320年)、安楽寺八角三重塔(1290年代以降)が現存最古と目されます。これらの建築の造営年から、禅宗様建築は遅くとも鎌倉後期には確立されていたと考えられます。
なお、13世紀(1200年代)の建築で、純粋な禅宗様建築といえるものは残っていません。
(禅宗様建築の典型例*8 )
成立年や成立過程など不明点の多い禅宗様建築ですが、こちらは大仏様建築とは対照的に、途絶えることなく鎌倉末期から江戸時代まで造られつづけます。代表的な例については、数がかなり多いため文末にて後述します。
中でも、功山寺仏殿や円覚寺舎利殿に代表される「一重、もこし付、入母屋」という様式は、禅宗様建築の典型としてよく似た構造や意匠で造られ、各地に現存例が多く点在しています。
大仏様建築と禅宗様建築のちがい
ここまで、大仏様と禅宗様の歴史について述べました。大仏様建築は現存例が3つしかないため、「この建物は大仏様か禅宗様か」と迷うことはないはずです。
とはいえ、部分的に大仏様を採用する例や、大仏様と禅宗様が混じった折衷様建築も少なからずあります。この項では、大仏様建築と禅宗様建築とで異なる点を解説していきます。
大仏様と禅宗様のちがいを簡潔に比較すると、下表のようになります。
表 大仏様と禅宗様の比較
大仏様 | 禅宗様 | |
成立 | 鎌倉初期 | 鎌倉中期~後期? |
人物 | 重源 | 栄西など? |
歴史 | 普及せず衰退 | 広く普及 |
作風 | 豪快、壮大 | 繊細、装飾的 |
軒裏 | 隅扇垂木 | 扇垂木 |
天井 | なし | 鏡天井 |
組物 | 挿肘木と通し肘木 | 詰組 |
木鼻 | 大仏様木鼻 | 禅宗様木鼻 |
軒裏
(大仏様:隅扇垂木)
(禅宗様:扇垂木)
大仏様は、軒の隅の垂木だけを放射状にした隅扇垂木を使います。禅宗様は、全体を放射状にした扇垂木を使います。
どちらの様式も、軒裏の中央部分の垂木はほとんど平行になっていて、判別がむずかしいです。しかし平行な部分と放射状の部分の比率が異なり、大仏様では中央付近の大部分が平行になっているのに対し、禅宗様では中央から少し左右にいった場所からすでに放射状になっています。
天井
(大仏様:化粧屋根裏で、天井を張らない)
(禅宗様:化粧屋根裏と鏡天井)
どちらの様式も、化粧屋根裏を使う点は共通です。しかし、大仏様では天井を張らず、禅宗様では鏡天井を張るという点が異なります。
また、大仏様建築は天井のない雄大な内部空間が特徴であるのに対し、禅宗様建築は天井のあまり高くない落ち着いた内部空間が特徴です。
組物
(大仏様:挿肘木と通し肘木)
(禅宗様:詰組)
組物は、大仏様と禅宗様とでまったく構造がちがうため、簡単に判別できます。
大仏様の組物は、柱に肘木を挿した挿肘木*9という部材を使って、組物を展開していきます。そして、組物と組物のあいだに通し肘木という懸架材がわたされているのが大きな特徴です。
禅宗様の組物は、柱の上に置かれた大斗をベースにして展開していきます。この点は、和様の組物と同じです。禅宗様の組物の大きな特徴として、下に柱のない場所にも組物を置き、軒下に組物をびっしりと並べる詰組があります。また、先端のとがった尾垂木を出す点も禅宗様の組物の特徴のひとつです。
木鼻
(大仏様:大仏様木鼻)
(禅宗様:頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついた例)
木鼻も、大仏様と禅宗様とのちがいが顕著な箇所です。
どちらの木鼻も、円弧や曲線を組み合わせた形状のシルエットを持っている点は共通しています。しかし、大仏様木鼻は平板な造形であるのに対し、禅宗様木鼻は若葉や渦状の模様が彫られたり墨で書き込まれたりしている点が大きく異なります。また、禅宗様木鼻には台輪木鼻*10が添えられることがあり、この場合、側面から見るとT字状のシルエットになります。
その他
ほか、禅宗様に特有の意匠として、火灯窓、弓欄間、桟唐戸があります。これらは大仏様では使われません。
大仏様と禅宗様の共通項としては、貫を多用し長押を使わないこと、扉の軸受けに藁座を使うこと、土間床を採用し縁側を設けないことが挙げられます。これは、和様建築(長押を多用、長押で扉の軸を受ける、縁側を設ける)と対になる要素です。
禅宗様建築の例
最後に、禅宗様建築の例を列挙します。以下に列挙した禅宗様建築は、代表的な遺構と当サイトに記事のあるものだけで、すべてを網羅しているわけではないことにご留意ください。
なお、大仏様建築については東大寺南大門、浄土寺浄土堂、東大寺大仏殿の3例しかないため割愛いたします。
- 善福院釈迦堂(鎌倉時代、和歌山県)
- 功山寺仏殿(鎌倉時代、山口県)
- 安楽寺八角三重塔(鎌倉時代、長野県)
- 永保寺観音堂(南北朝時代、岐阜県)
- 円覚寺舎利殿(室町前期、神奈川県)
- 正福寺地蔵堂(室町前期、東京都)
- 天恩寺仏殿(室町前期、愛知県)
- 最恩寺仏殿(室町前期、山梨県)
- 清白寺仏殿(室町前期、山梨県)
- 定光寺仏殿(室町後期、愛知県)
- 信光明寺観音堂(室町後期、愛知県)
- 東光寺仏殿(室町後期、山梨県)
- 大徳寺仏殿(江戸前期、京都府)
- 瑞竜寺仏殿(江戸前期、富山県)
- 万福寺大雄宝殿(江戸前期、京都府)
- 長勝寺本堂(江戸前期、茨城県)
- 妙心寺仏殿(江戸後期、京都府)
以上、大仏様建築と禅宗様建築についてでした。